したまま、身体を固くした。調所が出し抜けに出て来るとは、二人の考えないことであった。

「御家老様とも存じませず、無調法を致しまして――」
「何々、この娘子は、お前のか」
「はい、至って不つつかな――」
「美しい女子じゃが、嫁入前かの」
「はい」
「よい聟があるが何うじゃ。侍でないといかんかな。これからはお前達、町人の世の中だぞ。金の物云う世の中じゃぞ。肩肱、張って騒ぐより、算盤を弾く方が大事じゃ。手紙でみると、お前の夫は何か騒ぎ立てているらしいが、そんな夫に同意せずと、離別されて、こうして国へ戻る方が、人間は利口じゃ」
「何う諫めましても聞き入れませず、妾は離別、又、これの下に、もう一人妹がござりますが、姉妹同士でも、意見のちがいがござりましょうか、二人だけがこうして離れて参りましたような訳、国許へまでの路銀が足りませぬゆえ、申し難うござりまするが、これを暫く、女中代りになりと、此処へお留めおきを願い、その間に、妾一人国許へ戻りまして、すぐ迎えに参じましょうと、御無理な、虫のよい御願いでござりますが、元家中の者のよしみをもちまして、このこと御願い致しとう存じまする」
「徒党を組んでおるのは、幾人程かの」
「さ、少しも、夫は、妾に洩らしませぬゆえ」
「成る程――そして、此後、何んとするな、お前達」
「国へ戻りまして」
「居候か」
「親族もおりますことなり」
「裁許掛見習では、親族も、大したことはあるまい。何うじゃ、嫁入しては――一片づきに片付くではないか。ここへ置くのは、易いことじゃが、仙波の娘とあっては、万一の時に――と、申すのは色仕掛の間者など、よく芝居にもある手でのう。若侍だのは――」
 七瀬と、綱手とは、色仕掛の間者という言葉に内心の騒ぎを、顔へ出すまいと、俯向いて、必死に押えていた。そして、到底、女二人の智慧ぐらいで対手のできる人でないかもしれぬと考えた。
「――気が早いから、万一の時に困るで――何うじゃ、対手は、歴とした町人じゃ。この調所が太鼓判を押す。名を明かしてもよい。存じておろう、浜村孫兵衛。わしが、大阪町人からの借財を二百五十年年賦ということにしたのは、この浜村の智慧を借りたのじゃが、それが訴訟になってのう。浜村め、気の毒に敗訴して、大阪所払い、只今、泉州堺におるが、その倅の嫁を、わしに頼んでおる。二百石、三百石の侍より、町人の方がよいぞ。ここへ世話をしてやろう。一口にお前ら町人と蔑《さげす》むが、国の軽輩、紙漉武士等に、却って天晴れな人物がおるように、町人の方が、近頃は武士よりもえらい。わしも、何れ程、町人から学文したか判らん。浜村へ世話をしてやろう。このくらいの別嬪なら喜ぶであろう。なかなかあでやかじゃ。裁許掛見習などを勤めて、四角張って、調伏の、陰謀のと、猫の額みたいなことに騒いでいる奴の娘にしては、出来すぎじゃ。ゆっくり、長屋で休憩して、よく考えてみるがよい。これからは、町人の世の中――」
 と、云って、立上って
「町人の世の中じゃぞ――今、長屋へ案内させる」
 と、廊下へ出て、独り言のように云って、何っかへ行ってしまった。二人が
(調所様は、こっちの企みをお察しなさっておられるのではあるまいか)
 と、胸をしめつけられてきた時、二三人の侍をつれて、調所が戻って来た。そして
「案内してやれ」
 と、その後方からついて来ている女中に命じた。そして、自分は侍達と、何っかへ行ってしまった。

 大きい眼鏡をかけて朱筆をもって、時々、机の上の算盤を弾きながら、分厚の帳面に何か記入していた調所が、筆を置いて
「袋持《たいもち》、別嬪じゃろうがな」
 と、振向いた。袋持三五郎は、紺飛白《こんがすり》の上に、黒袴をつけたままで
「何者でござりますか」
 調所は、それに答えないで、机の向う側に坐っていた二人に
「〆て」
 二人が、算盤をとって、指を当てた。
「一つ、鬱金二万三千二百八十五両也。一つ、砂糖、十一万飛んで九百三十六両――百城、異国方槍組へ、廃止に就いて御手当を渡せと、定便で、差紙を出したか、何うか、納戸方で聞いて参れ」
 百城が立って行った。
「いろいろに、小細工をしよっていかん。薩摩隼人の極く悪いところじゃ。金に吝《きたの》うて、小刀細工が上手で、すぐ徒党を作って――」
「何か、江戸で騒いでいる模様でござりますが――」
「今の別嬪も、その片割れじゃが――何うも、斉興公が、斉彬公に、早く家督を譲って、それで己が出世しようという――斉彬公を取巻く軽輩には、多分にそれがある」
「然し、島津の家憲では、御世子が二十歳になられたなら、家督をお譲り申すのが常法でござりませぬか」
 袋持は、調所に、遠慮のない口調で、いい放った。
「幕府も、いろいろ手を延して、早く、斉彬公の世にしてと、阿部閣老あたり、それとなく匂わしておるが――一得一失でのう」
「一得一失とは」
「お前には判らん」
 百城が廊下へ膝をついて
「まだ差立てませぬと、申しておりました」
「いかんのう――兵制を改めて洋式にしたので、異国方め、ぶうぶう申しておる最中に、廃止手当を遅らせては――」
 調所は、国許の反由羅党、反調所党の顔触れを見た時、すぐそれが斉彬擁護の純忠のみでなく、兵制改正、役方任廃に就いての不平者、斉彬が当主になれば出世のできる青年の多いことが目についた。
(そうだろう。そうそう忠義ばかりで、命を捨てられるものではない。万事は金、原因は何うあろうと、今度の動機は利害のこと――結果も、利害で納まるだろう)
「別仕立で早く、渡してやれと、申しつけい」
 調所が、百城に命じた。
「立身出世は、あせってはいかん。わしが、この藩財を立直す時には、三十ヶ年かかると思うた。朝五時に起きて、夜十時まで――町人に軽蔑され、教えられ、幾度も死を決して、やっと見込みのつくまでに三年かかった。それから、江戸、大阪、鹿児島と三ヶ所を、年中廻って、三十年が、二十年でこれだけになった。三ヶ所に積んだ軍用金が三百万両、日本中を敵として戦っても、三年、五年の程は支えられよう。これを顧みると、ただ辛抱と、精力と、この二つの外に出ない。同じ人間に、そう奇想天外の策のある訳はない。周章ててはいかん。斉彬公の世にならんでも、役に立つ奴は、判っている。袋持、そうでないか」
 袋持は、調所が、軽輩から登用した若者であったが、調所の一面には、ひどく敬服していたが、一面に又、深い物足りなさがあった。
「お前の嫁にも丁度よいの」
 と、調所は云いすてて、すぐ又、帳面をのぞき込んだ。

 女中達の溜りからは、薬草を植えた庭が、見えていた。鶏が、そのあたりに小忙《こぜわ》しく餌をあさっていた。それから、馬屋が近いらしく、ことこと踏み鳴らしている蹄の音が聞えていた。
 一人が親子を案内して来ると、女中達は、手をとめ、足をとめて、二人を眺めた。二人は丁寧に御辞儀しながら、片隅へ坐って、俯向いていた。女中達は、すぐ、お互に、二人のことを囁き合った。そして、出て行ったり、道具の手入をはじめたりした。
(御家老は、二人の――いいや、夫の心の底まで、見抜いていらっしゃるかも知れない。島津の家を助けた方だから、そのくらいは、御発明かもしれぬ)
 七瀬も、綱手もそういったことを考えて、自分の身の破滅を空想するくらいに、怖れていた。そして
(いいや、まさか――)
 と、打ち消してもみたが、到底、自分達女の手には及ばぬ人のように思えた。だが
「町人へ嫁入りせんか」
 と、いう言葉は、調所が、本当に、親切からいったものだとは、思えた。そして、その時の調所の眼、言葉つきを考え出すと、二人は安心してもいいようにも感じた。
「母様――妾――お嫁入り致しましょうか」
 綱手が、低くいった。
「ええ」
 七瀬が、眼を上げると、綱手は、俯向いたままであった。
「御家老様の仰せに従わぬと――」
「それもあるが――嫁入りして仕舞うては」
「でも――あの御様子では、油断も、隙も」
 それだけいって、二人は黙ってしまった。
「妾は――」
 綱手は、やっとしてから
「何事も、諦めております」
 七瀬は、道中での、いろいろの危険、斬られた人、斬った人のことを、想い出すと、調所のいう通り、町人へ嫁入させ、一生安楽に、せめて、綱手だけでも送らせてやったら、と思った。
(そして、このことは、自分が探るとして――国許へ戻ったとて、御家のために、さして働ける身でもなし――)
 と、思った時、一人の女中が
「百城様が、それ」
 と、朋輩にいって、声を立てて笑った。七瀬が、女中の見ている方を見ると、さっき、ちらっとだけ見た、若い、美しい侍が、廊下を足早に通りすぎていた。女中達が、甲高い笑い声を立てて、肩を突っついたり、膝を打ったりしていた。
(妾等二人に較べて、この人達は、楽しそうに――)
 と、七瀬が、娘を見ると、綱手は、身動きもせずに坐っているらしかった。
(深雪は、何うしたことやら? 夫も、小太郎もどうなることか? 広い世界に、たのむのは、綱手ばかり――)
 と、思いかけると、かたい決心が、だんだん悲しく、崩れて来るようであった。
(益満と、もっと早く、許婚にでもしておいたら――)
「お湯を、お召し下されませ」
 女中が、後方で、手をついていった。七瀬は、振返って
「はい、はい」
 と、周章てて御辞儀した。綱手は、顔もあげなかった。

  死闘

 根本中堂《こんぽんちゅうどう》の上、杉木立の深い、熊笹の繁茂している、細い径――そこは、比叡山の山巡りをする修験者か、時々に、僧侶が通るほか、殆んど人通りの無い、険路であった。その小径を、爪先登りに半里以上も行くと、比叡の頂上、四明ヶ岳へ出ることができた。
 牧仲太郎は、その頂上で、斉彬の第四子盛之進を呪殺しようと――大阪からの警固の人数の上に、京都留守居役の手から十人、国許から守護して来た斎木、山内、貴島、合して二十四人が、夜の明けきらぬ白川口から、登って行った。
 根本中堂で、島津家長久の大護摩を焚き、そして、自分等も、いささか心得ているから、四明ヶ岳で、兵法の修法をしたいから、余人を禁じてもらいたいといって、金を包むと、すぐ快諾して、僧侶が二人、見張役として、案内役として、ついて来てくれることになった。
 熊笹の茂った、木の下道を行く時分から、袷では肌寒になって来た。頂上へ出ると、人々は、一望の下に指呼することのできる大津から比良へかけての波打際と、太湖の風景、西は、瀬田から、伏見、顧みると展開している京都の町々に、驚嘆したが、すぐ袖を掠《かす》める烈風に、顔をしかめて、寒がった。
 牧は、其処、此処を歩き廻ってから、斎木と貴島とを呼んで
「縄を張ってくれ」
 と、草の中へ線を引いて指図した。二人が用意の杭と、縄とを包から取出すと、他の人々が杭を四方へ打ち込み、縄を引いて、七間四方の区画を作った。牧は、その真中へ、自分で、杭を打ち、縄を三重に張って、三角の護摩壇を形造った。そして、中の草を焼き、塩を撒き、香を注いで、土を浄めてから、跪いて、諸天に祈った。斎木も、貴島も同じように祈ったが、他の人々は、何うしていいか判らないので、その祈りを眺めたり、景色を見廻したりして、寒さに震えていた。牧が、祈りを終って立上った。
「余人を、一人たりとも上げないように――人数を三段に配置して、二人は根本中堂の上に、四人は中堂と此処の途中に、その他の人は、此処にいて、万一のために、四方を戒めていてもらいたい。寒かろうが、酒は禁断」
 牧の、いつも、人を圧倒するような気魄、それは、剣客が、剣をもって立つと、すぐ対手の感じる、人を圧迫するような気魄であるが――牧は、対座している間にでも、その眼から、その身体から、何か人を圧迫するものが放射されていた。
「誰々が下へ、誰々が上へ」
 と、天童がいうと、
「よろしいように」
 と、答えて、側《かたわら》の僧侶に
「水のあるところは――」
 僧侶は、遥かの下の白い路を指さした。
「あの、こんもりと茂った木立の――」
「聞けば、判ろう」
 こういい放った牧は
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