左手に持ち直した。そして、懐へ右手を入れて、短銃を取出した。そして、刀と短銃とを左右に持って、二人へ突きつけながら、微笑して
「こういうものもある――選《よ》り取り、見取りに取りゃしゃんせ。お七ゃ、八百屋の店飾り、蜜柑に、鉄砲、柿、刀。心のままに取りゃしゃんせ――何うじゃ。買手が無ければ、陽が暮れるからのう」
 二人は、駕屋さえ居なかったなら、逃げ出すか、謝罪するか?――頭も、身体も、ただ、苛立たしさと、恐怖とが、燃えるように、感じられるだけで、何うする方法もなかった。
「駕屋っ」
 益満は振向いた。
「勝負有ったのう」
 駕屋は、両手を膝までおろさんばかりにして、頷いた。
「駕人足の云うことにゃ、か。陽は、暮れかかる。腹は、すく。勝負も、すでに見えました。私ゃ、本郷へ行くわいな――駕っ」
 益満は、両手に刀と、短銃とを提げて、くるりと、背を向けた。そして、自分の駕の方へ、歩きながら、短銃を、懐に、刀を鞘に――そして、倒れている浪人へ、眼をやって、二人を顧みて
「これは、往生しておる。そちらのは膝だけじゃ。二人で、抱えて行ってやるがよい。今後、濫りにかかるなよ。仙波小太郎などは、某よりも、業が早い」
 侍と、浪人とは、益満を、じっと睨んだまま、刀を下へ下げて、同じところに佇んでいた。益満は、駕へ入って
「吃驚《びっくり》、致したか」
 と、駕屋へ笑いかけた。駕屋は、ぶるぶる脚を震わせていたが
「へえ」
 と、答えたまま、容易に駕が上らないようであった。手も、膝も、がくがくふるえていた。
「何うした」
「へつ」
 二人の侍は、倒れている浪人を、肩にすがらせて立上らせた。片膝を斬られて歩けない浪人は、左右から扶けられて、ようよう一足歩き出した。その時、益満が、丁度振返った。そして
「おーい」
 と、呼んだ。三人が益満を見ると、益満は微笑して
「片脚ゃ、本郷へ行くわいな、と申すのは、そのことじゃて、あはははは」
 駕は、小走りに走り出した。
[#ここから3字下げ]
娘のお七のいうことにゃ、
妾ゃ吉三《きちざ》に惚れました、
月に一度の寺詣り――
[#ここで字下げ終わり]
 益満は、腕組して、駕に凭れかかって、小声に、唄をうたっていた。

 草は踏み躙《にじ》られていた。所々に、醤油のような色をして、血が淀んでいた。その中に一つの、首の無い、醜くて、滑稽な感じのする死体と、首のあるのとが転がっていた。
 その周囲は、人がいっぱいで、口々に、話しながら、人の肩から覗き込んだり、血の淀んでいるところを探しては
「ここにもある」
 と、叫んでみたり――女達は、そうしたことに騒いでいる連れの男を、腹立たしそうに呼んで、眉をひそめたりしていた。
 一つの死体の胸には、小柄が突刺してあった。その小柄の下には、紙切が縫いつけられていて、それに
[#天から3字下げ]依御上意討取者也《ごじょういによりうちとるものなり》。薩藩士、一木又七郎
 と、書かれてあった。七瀬と綱手とが、駕かち降りて、人々へ
「心当りの者でござります。少し、拝見させて下さりませ」
 と、挨拶して、人垣を分けた。
「除けよ、この野郎。心当りのあるお嬢さんが御通行だ」
 と、一人は、綱手の顔を見て、連衆の耳を引張って、道をあけた。
「お嬢さん、首がござんせんぜ、判りますかい」
「黙って、臍《へそ》の上に、ほくろがあるんだ」
「おやっ、手前知ってるのか」
「毎朝、銭湯で逢わあ。臍ぼくろって、臍の上のほくろは、首を切られるか、切腹するかにきまったもんだ。ちゃんと、三世相《さんぜそう》に出てらあ」
 一人は、小声で
「どっちかの、御亭主だぜ。気の毒に」
「この間抜け、一人は生娘だ」
「生娘だって、亭主持があらあ――ほうら、娘の方が紙を引っ張った」
「読めるかしら」
「手前たあ、学文《がくもん》がちがわあ」
「何を、こきあがる。俺だって、ちゃんと読んでらあ。斬られた奴は、一木ぬ七って人だ」
 綱手と、七瀬とは、紙切を読んで、頷き合った。その時、人垣の外の人々が
「来た来た、又来た」
 と、どよめいた。二人は、立上って、人々の眺めている方を爪立ちして見てみた。五人の侍が、一人の手負らしい、のを、駕の中へ入れて、灰色の顔をしながら、急ぎ足に近づいて来た。
「あれは?」
「ええ、あの方は――」
 二人とも、名は知らないが、同藩中で、顔見知りの人が一人いた。七瀬がすぐ近づこうとした。綱手が
「お母様、もしものことが――」
「でも、気にかかるゆえ――真逆《まさか》、女を斬りもしまい」
 七瀬は、こういいすてて、小走りに駕の方へ行った。綱手は、懐剣の紐を解いて、すぐつづいた。群集が、ざわめいた。駕脇の一人が、一人の旅人に
「この辺に、二十七八の侍がおらなんだか」
 と、聞いた。七瀬が、歩きながら
「一木様は、先刻、お下りになりました」
 と、いった。侍は、二人の顔を見て、じっと睨んで
「仙波の家内か」
「そこの死体に、一木様が、何かお書付けおきなされました。あの、お疵は、いかがしてお受けになりましたか、誰から――」
「左様のこと、聞かんでよい」
 侍は、ずかずかと、死体の方へ歩いて行った。
「仙波に、お逢いなされましたか」
「煩いっ、ぶった斬るぞ」
 振返って睨みつけた。

 七瀬と綱手は駕を急がせた。
「ああれ、又だ」
 と、先棒が叫んだ。と、同時に、後から
「おっかねえ。睨んでるぜ」
 七瀬も、綱手も、道の傍に二人の侍が立っていて、その真中に、一人がうずくまっているのを見た。二人とも、凄い眼をして、駕の近づくのを、じっと見ていた。駕が、二三間のところまで行くと
「御無体ながら――」
 と、一人が叫んで、駕の中を見た。七瀬は、はっとした。矢張り、同じ家中で、見た顔の一人であった。と、同時に、その侍が
「待て、駕、待てっ」
 と、道の真中へ出て、両手を拡げた。
「待ちやすっ」
 四人の駕屋は、顔色を変えた。
「降りろ」
 七瀬も、綱手も、懐剣へ手をかけた。駕屋が
「旦那、手荒いことは――」
 駕屋は、駕が血で汚れるのを恐れて、二人が駕を出るが早いか、木立のところへ運んでしまった。
「駕屋、動くことならんぞ」
 と、一人が、刀を抜いた。草の上にしゃがんでいる侍が、二人を見た。
「御用は?」
 七瀬は、蒼白になって――だが、静かに聞いた。
「御用? 仙波の家内などに用はない」
「御用もないのに、何故、降りよと、仰せられました」
「何?」
 侍は、七瀬を睨みつけておいて
「駕屋っ、この手負を、湯本まで運んで参れ」
「これは、御無体な、この駕は、妾が――」
 侍は、七瀬にはかまわないで
「愚図愚図致すと、斬り捨てるぞ」
 と、駕屋へ怒鳴った。
「へい」
 駕屋は、顔を見合せて
「済みませんが」
 と、七瀬へ、腰を曲げた。侍が、棒鼻へ手をかけて
「早くせい」
「へいっ」
 駕屋が、駕を上げた。
「お侍ちなされませ、女と侮って、薩摩隼人ともあろうものが、人の物を強奪して――」
「強奪? 無礼者」
 一人は、駕から手を放すと、七瀬の胸を突いた。七瀬はよろめいた。
「何をされます」
 甲高く叫んだ。綱手が
「お母様」
 と、叫んで、七瀬の前へ立った。ぶるぶる顫える脣をしめて、侍を睨んだ。
「旦那、手荒いことは」
 駕屋が、侍を止めた。
「素浪人分際の女として、無礼呼ばわり――」
「これが無礼でなくて――」
 と、七瀬が、ふるえ声でいった時、一梃の駕が、手負のところへ行き、一人が、手負を抱いて駕の中へ入れた。綱手は、母を片手で押えながら
「駕は、二梃共、御入用?」
 侍は、落ちついた綱手の態度と、その美しさと、物柔かさとに、挫けながら
「一梃でよい――無礼な」
 と、呟いて、駕の方へ去った。七瀬は、身体を顫わせていた。
「お母様、お駕へ。妾は、歩いて参ります」
 七瀬は、涙をためて、侍の方を睨んでいた。
「あれっ、彼処《あそこ》に一人死んでいる」
 と、駕屋は指さして、低く云った。

 遥かに、芦の湖が展開して来た。沈鬱な色をして、低い灰色の雲を写していた。
「益満氏、益満氏ではないか」
 後方から、絶叫した者があった。益満が振向くと、右手に刀を提げた三人の浪人が、走って来た。益満が、駕の中から、右手を挙げた。浪人が、近づいて
「奈良崎氏と、羽鳥とが、やられた」
「刀を拭いて――関所が、近い」
 三人は、刀を拭いて納めた。
「ここへ来る道で、一人は膝を切られ、二人は無疵で――」
「逢うた。お互に、顔を知らぬし、怪しいとは存じたが、睨み合ったままで、擦れちがった」
「女二人に、一人は四十近い、一人は十八九の」
「それとは、死体の転がっていた辺で――」
 益満は、頷いて
「何うじゃ、真剣の味は?」
「駕屋、咽喉が乾いたが、その水を」
 一人が、駕の後方に、下げてある竹筒の水を指した。
「さあ、お飲みなすって。大層、血が――」
「少しかすられた」
 三人は、そういわれて、自分達の疵の痛みを感じてきた。交る交る竹筒の水を飲んで、着物を直しながら
「凄かったのう、あの示現流の、奈良崎を斬った男の腕は」
「一木か、あれは出来る」
 と、益満は答えて
「駕屋、もう六つ近いであろう」
「へえ、空の色から申しますと、もうすぐでござります」
 駕屋は顔色を変えていた。
「関所の時刻に間に合うか」
 駕は、急坂の石敷道へかかっていた。駕屋は、駕を、真横担いにして、一足ずつ降りかけた。
「さあ、但州、何うだの」
「さあ、急いだら、然し、何うかのう」
 益満は、手早く、金を取出して
「降りる。駄賃は、町までのを、これは、別に口止料」
 と、いって、金を差出して、片手で駕をたたいた。
「降りて走ろう。走れば、間に合うであろう」
 益満は、駕を出て、金を渡しながら聞いた。
「ええ、それなら、十分に。旦那、こう多分に頂かなくても、喋りゃ致しませんよ――」
「貴公達は、賽ノ河原辺で宿をとるがよい。某は関所を、今日のうちに通らねばならぬ。それから、もし、仙波の妻子が参ったなら、某は仙波へ、急を告げに参ったが、明朝すぐに引返すからと、申し伝えておいてもらいたい」
 口早に、こういうと、益満は、駕屋の礼を後に、急坂を走り降りて行った。
 雲が少しずつ暗くなりかけて、水色の沈鬱な湖面は、すっかり夜の色らしくなりかけてきた。
 箱根の関所は、冬も、夏も、暮六つに、門を閉じる慣わしであった。益満は、一足早く旅へ出た仙波父子へ、討手のかかっていることを告げてやりたいと、湖を右に、杉木立の深い、夕靄の薄くかかった中を、小走りに急いだ。
 石垣、その上に、その横に連なっている柵、高札場が見えた。門は、まだ開かれていた。
 面番所前の飾り武器、周章てて門を出て来る旅人。
(間に合った)
 と、益満が思った瞬間、二人の足軽が、急ぎ足に門へ近づくと、扉へ手をかけた。
「待てっ」
 と、益満が叫んだ。だが、門は、左右から、二人の足軽の手で閉りかけた。
「急用だっ」
 益満が門へ着いた瞬間、門が閉まった。

「急用じゃ。済まぬが、開けてもらいたい」
 益満は、柵の間から、足軽へ頼んだ。足軽は、門を押えたままで
「公用か」
「公用ではないが――」
 足軽は、黙って、閂を入れた。
「命にかかわる事じゃから」
 足軽は、返事もしないで、錠をかけ、鍵を持って去ってしまった。益満は、すぐ踵《きびす》を返した。
 関所手前の旅宿は二軒しか無かった。二軒とも、小さくて汚かった。軒下の常夜燈の灯も、薄暗くて、番頭も、女中も、無愛想で、足早に近づく益満へ
「お泊りかえ」
 と、眠《ね》むそうにいっただけであった。
「今しがた、女が二人、着かなんだか」
 女中は、首を横に振った。
「三人連れで、一人は侍、二人は商人風の者は?」
 女中は、番頭を振返った。
「その方なら、ただ今、お着きになりました」
 番頭は、帳場の中で、火鉢を抱いたままで答えた。
「そうか」
「お連衆でございますか」
「いいや」
 益満は、それだけ聞いて、表へ出た。
「ちょっ、狼が出るぞ」
 と、番頭が、呟いた。益満
前へ 次へ
全104ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング