の如きは一匹夫にして、その根元はお由羅にあるか? 調所にあるか? 或いは又、久光公が在《おわ》さばこそ、かかる無惨の陰謀も企てられるが故に、久光公こそその大根《おおね》か」
 黙々と俯向いている人もあるし、一々頷く人もあった。左源太は、ここまでいって、腕組をした。そして
「来る途上、嘉右衛門とも、話をしたが、とにかく、穏健の手段をとるならば、今度の御出生の模様によって、もし、御幼君ならば飽くまで、守護する――」
「今迄でも、飽くまで、守護したではござらんか」
 軽輩の中から、益満が、鋭く、突込んだ。
「つくした」
「然し、無駄でござった」
「そう」
「論はいらぬ。まず、牧を斬ることが、第一」
 益満は、腕組して、天井を見ながら、冷然といい放った。

「わしも、そう思う。然し――益満、牧が、何処におるか? 又、牧の居所が判ったにせよ、毎日の勤めを持っておる身として――牧を斬りに行くことは――」
「素より、浪人の覚悟――」
「そちの如き、軽輩は、それでよいが、わしらは、そう手軽、身軽に行きかねる。その上、牧には、相当、警固の人数もおると聞き及んでいるから、迂濶《うかつ》に行《や》っては、一切の破滅になる。行った者のみでなく、この同志の悉くが罪になる。それで、考えあぐんでおるが」
「それが、何よりも困るところ――斉彬公にも明かさず、吾等の手で、上手に料理してしまいたいが、少くも、牧を討つには、十人の人数が要る。今、この同志より、十人が去ったなら、斉彬公から、誰々は、何うしたか、と、すぐ聞かれるは必定、一日、二日なら病気でも胡麻化されようが、十日、二十日となっては、免れぬ。お由羅方は、上が御承知ゆえ、何をしても、気の儘じゃが、こっちは、斉彬公が、こういうことに反対じゃから――」
「牧を斬ることに御異議ござらぬか」
 益満が、嘉右衛門の顔を見た。
「それはない」
「名越殿には?」
「無いのう」
「方々には」
 軽輩の、益満の一人舞台となって、上席の人々は、少し、反感を持っていたが、こういうことにかけては、益満の才智より外に、いつも、方法が無かった。
「大体、異存は無いが――」
「益満――名案が、あるか?」
「名案――と、申すほどでは、ござりませぬが、失敗《しくじ》っても、御当家の迷惑にならず、行くのは目付役として、拙者一人でよろしく、ただ、金子《きんす》が、少々かかります」
「その案と申すのは」
 益満は、前の硯函をとって、料紙へ
[#天から3字下げ]不逞浪人を募って
 と、書いた。そして、人々の方へ廻した。益満の隣りにいた軽輩達が、微笑した。
「成る程」
 と、いって、人々は、紙を、つぎつぎに廻した。
「よし、まず、第一に――」
 名越は、こういって、同じように、紙に
[#天から3字下げ]牧を斬る
 と、書いた。
「第二に、国許の同志と、相策応すること」
「御尤も」
「誰も、異論あるまいの」
[#天から3字下げ]国へ、使を出す事
「それには、仙波父子が、よろしゅうござりましょう」
「わしも、その肚でいるが――彼奴、何うしたか?」
 雨は、小さくなったり、強くなったりして、風が交ってきた。庭の、竹藪が、ざわめいていた。
「それから――お由羅方の毒手を監視のため、典医、近侍、勝手方、雇女を見張る役が要るし、同志があれば此上とも加えること、斉彬公へ、一応、陰謀の話を進言すること、要路、上司へ、場合によっては、訴え出る用意をすべきこと――」
 と、名越が、書きながら、話していた時、下の往来の泥濘《ぬかるみ》路に、踏み乱れた足音がして
「名越殿」
 と、叫ぶ者があった。

「仙波だ」
 と、一人がいった。
「どうした、おそいでないか」
 一人が、立上って、廊下へ出た。
「只今、参るが――油断できぬ」
 と、八郎太が、下から叫んで、すぐ、表の入口へ廻ったらしく、下の女達の
「お越しなされませ」
 と、叫んでいる声が、聞えた。
「油断できぬ、と――嗅ぎつけよったかな」
 名越が、呟いた。小さい女が、階段のところへ、首だけ出して
「お二人、お見えになりました」
 と、いった時、八郎太と、小太郎とが、広い、黒く光る階段を、登って来た。そして
「手が、廻っておるらしい」
 と、低く、鋭く、叫んで、ずかずかと、人々の方へ来た。
「手が?」
 八郎太も、小太郎も、興奮して、光った眼をし、袖も、肩も、裾も、濡れていた。八郎太が、座へつくと、小太郎は、益満の後方へ坐って
「遅参致しまして、相済みませぬ」
 と、平伏した。
「それで、手が、廻ったとは?」
「丁度、不動堂の横――安養院の木立のところで、仙波と、呼び止めた奴があった」
 人々は、仙波を、目で取巻いた。
「顔は、この暗さで判らぬ。声も覚えはないが、わしと知って呼び止めた以上、蹤《つ》けて来たのであろうか? 前から、忍んでおったのでは、判る理前が無い」
 人々が、頷いた。
「それで、誰だ、と、こっちから咎めた」
 人々が
「うむ」
 と、又、頷いた。
「すると、今日、あかねの会合は、何を談合するのか? と、こうじゃ。それが、いやに、落ちついての、談合?――談合ではない、無尽講じゃが、何んの用があって聞くか。誰とも、名乗らず、無礼でないか、と、申したら――行け、と。それで、判ったが、その、行け、と、申した声が、どうも、伊集院平に似ておるし、行けと、横柄に申す以上、勿論、家中の上席の者で、わしを、よく存じておる奴にちがいない。そして、今日の会合を、怪しんでおる者にちがいない。わしは、嗅ぎつけられたと、思うが、方々の判断は?――」
「早いのう。成る程、油断できぬわい」
「それで、手間取ったのか」
「いいや、遅参致したのは――つい先刻、出し抜けに、四ツ本が参って、手籠めにして、道具諸共、御門外追放じゃ」
「三日の間と、申すでないか」
「それが、急に、今日中に、出て行けと、足軽の十人も引連れて来たが――」
「無体なことをするのう」
「だから、軽挙ができぬ。仙波は、形代を探し出したので、第一番に、睨まれておるのじゃ。今日の談合が、嗅ぎつけられたとしたなら、わしらにも咎めが来ると、覚悟せにゃいかんぞ」
「無論のこと――そうなれば、なるで、又、おもしろいではないか」
 そういいながら、人々は、暗い、雨の申に、お由羅方の目が光っているようで、不安と、興奮とを感じてきた。

「相談ごとは、相済みましたか」
「済まぬが、もし、嗅ぎつけられたとすると、長居してはいかん」
「左様、何ういう手段を取ろうも計られん。すぐ、退散して、もう一度、回状によって集まるか」
 益満が
「余のことは、お任せ申しましょうが、牧を斬ることは、決まったこととして――」
「それは、よろしい。入用の金子は、明日にでも、すぐ取りに参れ。したが、浪人は、集まるかの」
 益満が、笑って
「町道場へ参れば、一束ぐらい――百人ぐらいは、立ちどころに集まりまする」
「立つか」
 と、左源太が、指を立てて、斬る真似をした。
「相当に――」
 人々は、外の雨脚の劇しいのを見て、尻端折《しりはしょり》になった。そして、雨合羽を着て
「まごまごしておったなら、打《ぶ》った斬るか。この雨の夜なら、斬ってもわかるまい」
 などと、囁き合った。
「それでは、一両日中に、改めて、会合するとして、今日はこれまで――途中、気をつけて」
 と、名越が立上ると共に、人々が、一斉に立って、身支度をした。軽輩は、すぐ下へ降りて、蓑笠をつけた。そして、上席の人々は、自分の供を呼んで、提灯をつけさせた。人々が降りると、料亭の主人が、草鞋を持って出て
「この路になりましたからには、高下駄では歩けませぬ。どうか、これを、お召しなすって下さいませ」
 と、いった。
「御一同、草鞋にかえて――途中のこともある」
 人々は、袴を脱いで、懐中し、供に持たせ、身軽になって、草鞋を履いた。
「何れ、物見に一足先へ」
 と、いって、踏み出した一人が――何を見たのか
「待てっ」
 と、叫んで、雨の中へ、笠をかなぐり捨てて、走り出した。四五人が、その声に、軒下に出ると――遠くに、足音が小さくなるだけで、何も見えなかった。
「亭主、怪しい奴がうろうろしておらなんだか」
「一向に、見かけませんが――」
「油断がならぬ。一同、御一緒に」
 人々は、刀を改めて、帯を締め直した。
「益満に、仙波は、何うした」
 と、一人がいって
「益満」
 と、二階の二人を呼んだ。益満の落ちついた声で
「少し、仙波殿と相談事があるで、かまわずお先に」
 と、いった時、ぴたぴた泥を踏んで
「逃した」
 と、呟きつつ、一人が、戻って来た。
「見張らしい。わしの顔を見ると、すぐ、走り出したので、追っかけたが、暗いのでのう」
 人々は、心の底から、動揺しかけた。
(何うして、ここを嗅ぎつけたか)
 十二三人の同志だけでは、大勢の、上席の人々を対手に、何う争えるか?
(もう、ここまで、手を廻して)
 心細さを感じると共に、憎しみを感じたが、その代り、張合が強くなっても来た。

 人々の去った静かな――だが、乱雑な、広間で、三人が、火鉢をかこんでいた。女中は、つつましく他の部屋を取片付けながら、小太郎を、ちらっと、眺めては、笑ったり、背をぶち合ったり、していた。
「女中、そっちの女中」
 と、益満が呼んだ。
「はい」
 と、答えて、微かに、赤らみながら
「お召しで、ござりますか」
 女中のついた手を、いきなり、小太郎の手にくっつけて
「どうじゃ、いくらくれる?」
 女中も、小太郎も赤くなった。女中が、走り去ると
「とにかく、江戸は、斉興公|贔屓《びいき》が多い。これでは仕事が出来ん。然し、国許には、御家老の島津壱岐殿、二階堂、赤山、山一、高崎、近藤と、傑物が揃いも、揃って、斉彬公方じゃ。この人々と、連絡すれば、平や、将曹如き、へろへろ家老を倒すに、訳は無い」
「調所は?」
「調所は――このへろへろを除いてからでよい。よし、此奴が元兇としても、大阪におっては、大したことも仕出かしえまい。それで、小父上、拙者は、浪人を集めて、牧を討ちに参るから――」
「牧は、わしが討取るつもりじゃ」
「小太郎と二人で?」
「うむ」
「牧には、少くも、十人の護衛がおりまするぞ」
「成否は問わぬ、意地、武門武士の面目として」
「では、力を添えて下されますか」
「わしも、お前がおると、力強いで」
「それから、綱手は、調所のところへ、あの又蔵を、国許の同志への使に立てたなら?」
「あれは、忠義者じゃし、心も利いておる」
「では、小父上は、今からでも、立ちますかの」
「ここへ泊って、明日、早々にでも――」
「七瀬殿は?」
「もう、立ったであろう」
「この雨の中を――」
「可哀想じゃが――」
「初旅に――」
「お前は、いつ立つ」
「左様――浪士を集めて、敵党の手配りを調べて、三日が程はかかりましょうか」
「深雪は、その間」
「南玉と申す講釈師に、あずけましょう」
「講釈師、あの、ひょうげた?」
「あれで、なかなかの奴で、肚ができておりまする。安心してよろしゅうござりましょう」
 と、いって、話が終ると
「そこな女中、この美少年が、お主《のし》に惚れて、今夜、泊るとよう」
「ああれ、また、※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》ばっかり――」
 八郎太が、苦笑して
「益満」
「あははは、では、拙者は、これにて――小太、上方で、逢おう」
「うむ」
「どうれ、雨の夜、でも踊るか」
 と、いって、益満は、裾を端折った。
「途中、気をつけて」
「闇試合は、女中と、小太に任せよう」
「あれ又、あんなことを――」
 と、女中は、益満を睨んで、すぐ、その眼で、小太郎に媚を送った。

 七瀬等三人は、秋雨の夜道を、徹宵で歩いて行った。品川の旅宿の人々は、この雨の中を、この時刻から、西へ行く女連れの三人に、不審さを感じながら――それでも
「お泊りじゃござんせんか」
 と、声だけはかけた。軒下づたいに妓楼を素見《ひやか》して歩いている人々は、綱手をのぞいて
「よう、別嬪」
 
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