が、一寸険しくなった。
「余人はおらぬ、申してよい」
床柱から、身を放すと、二人をきっと眺めた。小藤次も、二人の方へ、膝を向けた。
「では――」
名越左源太は、右手を、後方へ廻して、包み物をとって、膝の上へ置いた。そして、中から、箱を取り出して
「これを御覧下されたい」
右手で、押出すと、伊集院が、将曹の前へ置いた。将曹は、蓋の梵字を暫く眺めてから、蓋をとって、人形の包を、手早く開けた。そして
「これが?」
二人を見た。
「御長男様を、調伏した形代《かたしろ》と心得ますが――」
三人の眼が光って、一時に、人形へ集まった。左源太が
「裏側を――」
声に応じて、将曹が、人形を裏返した。小藤次が、首を延して、覗き込んだ。
「或いは、調伏の人形かもしれぬ――どこで、手に入れたな」
「御病間の床下から――仙波の倅が、手に入れました」
将曹は、うつむいている仙波へ、じろっと、眼をくれて
「これが、調伏の形代として、誰が、一体寛之助様を呪うたのじゃ」
二人は、将曹を、じっと見たまま、暫く黙っていた。左源太が
「その儀は、この人形を埋めました者を詮議すればわかると存じます」
「心当りでもあるか」
「ございます」
「申してみい」
小藤次と、伊集院とは、二人を、見つめたままであった。
「恐れながら――」
仙波が、懐から、紙を取出して、伊集院の方へ押しやった。
「この二つの筆蹟から判じまするに、牧仲太郎殿の仕業と、心得まする」
将曹は、人形を持った手を、膝の上へ、落すように置いて
「牧だと――」
「その、書状の筆蹟を――」
と、までいうと、少し、赤い顔になった将曹が
「仙波――名越。この人形を、その方共が作り、牧の筆蹟を似せて書いたとされても、弁解の法が立つか」
名越が、さっと、顔を赤くした。
「奇怪《きっかい》な――仰せられる御言葉とも思えぬ。某が――」
「物の道理じゃ。貴公がせんでも、牧に怨みのある奴が、牧を陥れんがために、計ったこととも考えられるではないか。余のことではない。軽々しく、調伏の、牧の仕業のと、平常の、貴公に似ぬ振舞だ」
「お姫様《ひいさま》から、御長男様まで、御三人とも、奇怪な死方をなされた上は、一応、軍勝図を秘伝致す牧へ御取調べがあっても、不念《ぶねん》とは申せますまい。もし、その人形が、余人の手になったものなら、不肖ながら、某等両人切腹の所存でござる。島津壱岐殿も、牧の筆と御鑑定になりましたが、一応、調伏の有無を、御取調べ願いたいと――内密の用とはこのことでございます」
名越は、声を少しふるわせていた。将曹が
「左源太」
と、叫んだ。
左源太は、少し怒りを含んだ眼で、将曹に膝を向けた。将曹も、左源太を睨みつけながら
「この形代は、一体どこから、持って参ったな」
「申し上げました[#「申し上げました」は底本では「男し上げました」]通り――御病間の床下から――」
「如何して、取出した?」
「如何してとは?」
「床下へ、忍びこんだので、あろうな」
仙波も、名越も、暫く黙っていた。忍び込んだ、といえ一ば、何故忍ぶべからざるところへ、忍びこんだと、逆にとがめられても、弁解はできなかった。然し、名越は、強い、明瞭とした調子で
「いかにも――御床下へ、忍び込んで、手に入れました」
小藤次も、伊集院も、名越の大胆な答えに、じっと、顔を見つめた。
「誰が、許した――誰が、忍び込めと、許した」
名越は、眼の中に冷笑を浮べて
「許しを受ける場合もあれば、受けんと忍ぶ時も、ござろう。御家の大事に、一々――」
将曹が
「黙れっ、許しが無くば、重い咎めがあるぞっ」
「あはははは、命を捨てての働きに――あはははは。仙波も、某も、とっくに、命は無いものと覚悟しておる。御家に、かかる大不祥事あって、悪逆の徒輩が、横行致しておる節、かような証拠品を手に入れるに、一々、御重役まで、届け出られようか、ははは。いや、御貴殿が、この品を軽々しくお取扱いなさるなら、最早それまで。某等は、某等として、相当の手段をとって、飽くまで、牧殿を追及する所存でござる。貴殿御月番ゆえに、一応の御取調べ方を御願いに参りましたが、思いもよらぬ御言葉。この大事を取調べようとせず、逆に、当方を御咎めになるらしい口振り、裁許掛ならいざ知らず、月番の御役にしては、ちっと役表に相違がござろう。その品が偽り物ならば、偽り物、真実ならば真実と、一通り、掛役人にて取調べされるよう御指図なさるのが、月番の貴殿の役では」
名越は、大きい声で、一息に、ここまで喋ると、将曹が、真赤になったかと思うと
「黙れっ、黙れっ」
と、叫んだ。
「無礼なっ。何を、つべこべ、講釈を披《ひろ》げるか? かようの、あやふやな人形を、証拠品などと、大切そうに――」
「奇怪なっ、この人形が、あやふやとは?――何が故に、あやふやか? 高の知れた泥人形ゆえに、あやふやと申されるのか? 牧仲太郎でも召捕えて、白状させれば、あやふやでないと、仰せられるのか? 取調べもなされずと、あやふやと断じて、裁許掛の手へも、御廻しにならぬとすれば、御貴殿も、同じ穴の、むじなと見てよろしゅうござるか?」
「何?」
「仙波、直々、裁許掛へ願い出ることに致そう」
名越が、赤い顔をして、仙波へ、振向いた時、七八人の、静かな足音が、広書院の方に近づいて、障子の開く音がした。
「持って戻れっ」
将曹は、脣と、頬とを痙攣《ひきつ》らせながら、人形と、箱とを、名越の前へ投げ出した。がちゃんと音がして――人形の片手がもげた。仙波が
「何をなさるっ」
と、叫んだ。
「何?」
将曹は、こういって、仙波を睨みつけながら、立上った。八郎太は、頬をぴくぴくさせ、拳を顫わせていた。そして
「お待ちなされ」
将曹の行手へ、膝をすすめた。
「軽率なる御振舞、何故、証拠の品を、毀し召された」
将曹は、少し、額を、蒼白ませながら、小藤次と、伊集院に
「御渡りになったらしい」
と、いって、襖へ手をかけようとした。
「待たれいっ」
八郎太は、手を延した。
「将曹殿」
八郎太が、片膝を立てて手を延し、将曹の袴の裾を掴むと同時に
「無礼者がっ」
室《へや》中に轟く、大きい声であった。そして、真赤になった将曹は、掴まれている方の足を揚げて、八郎太の腕を、蹴った。八郎太は、将曹の、意外な怒りに、態度に、掴んでいた裾を放すと共に、無念さが、胸の中へ、熱い球のように、押し上って来た。
「何んと心得ているっ。け、軽輩の分際を以て、無礼なっ」
八郎太の、下から睨み上げている眼へ、憤怒と、憎悪を浴せながら、将曹は、襖を少し開けた。
「仙波、無益の事じゃ。対手による。戻ろう。戻って――」
将曹は、襖を少しずつ開けつつ
「両人とも、退れっ」
と、立ったままで叫んだ。
「伊集院っ、此奴を退げろ」
将曹の声は、顫えていた。二三寸、隙間の開いた襖から、中の模様が見えていた。六十に近い、当主の、島津斉興が、笑いながら、脇息に手をついて、坐りかけながら、将曹の声に、こっちを眺めていた。その横に、ほの暗い部屋の中に、浮き立ってみえる、厚化粧のお由羅が、侍女を従えて、立っていた。
「お退り召され」
伊集院が、膝を立てて、仙波にいった。丁度、その時、老公の顔と、名越の顔とが合ったので、名越が、平伏する。仙波も、すぐ平伏した。
「お退り召され」
二人は、平伏したまま、暫く、じっとしていた。
「将、何んとした」
斉興が、声をかけた。将曹は、襖を開けて、入りながら
「只今、言上」
と、坐って、後ろ手に、襖を閉めた。
「早く――」
と、伊集院が、三度目に促すと共に
「煩いっ」
左源太が、低いが、鋭く叫んで、伊集院を睨んだ。仙波は、木箱の中へ、毀れた人形を包んで入れた。
「退ろう」
と、名越を振向いた時
「両人共、待てっ」
足音と共に、斉興の部屋から、呼び止めた人があった。
襖を開けたのは、横目付、四ツ本喜十郎であった。後ろ手に閉めて、二人の前へ坐ると
「何か、証拠の品が、あると申されるか」
「ござります――これなる――」
仙波が、膝の上で、包みかけていた箱を、差出した。
「暫時――」
四ツ本は、そのまま向き直って、膝行して、書院へ入った。
二人は、膝へ手を置いて、黙っていた。伊集院は、天井を眺めて、腕組をしていた。小藤次は、扇を、ぱちぱち音させていたが、立上って、廊下へ出て行った。
斉興の部屋からは、低い話声が、誰のともわからずに洩れてきた。仙波と、名越とは、斉興が、あの証拠品を見て、何う処置するか? 自分の孫を、呪い殺した下手人に対して、何う憎み――自分達の真心を、何う考えるか?――煙管を叩く音が、静かな書院中へ、響いていた。暫く、そうした沈黙がつづいてから、足音がしたので、二人が、俯向いていると、四ツ本が
「拙者の詰所まで」
と、いって、襖のところへ、立っていた。
「詰所へ?」
「御上意によって、承わりたいことがござる」
「心得た」
名越が、膝を立てた。仙波が
「只今の品を――」
「只今の? 御前にあるが――」
「御持参御願い申したい」
四ツ本が、襖を開けて、膝をついて、敷居越しに
「申し上げまする」
将曹が
「何じゃ」
「その証拠の品を戻してくれいと、申しておりますが――」
斉興が、鋭く、四ツ本の後方に、頭の端だけを見せて、俯向いている二人を、睨んだ。そして、脇息越しに、手を延して、人形を掴んで
「これか」
大きい声と一緒に、四ツ本の前へ、投げつけた。片手を折った人形は、又首を折った。白灰色の眼が剥き出した首だけが、ころころと、四ツ本の前へ転がってきた。
名越と、仙波とは、ただの調子でない斉興の声に、心臓を突かれると同時に、人形を投げつけたらしい気配に、ちらっと眼を挙げたが、近侍の人々しか見えなかった。
(何うして、御立腹になったのかしら?)
と、二人の心が、心もち、蒼白めて、冷たくなった時
「不届者がっ」
と、斉興の、少し、顫えて、しゃがれた大きい声がした。二人は
「はっ」
と、いって、見えぬところであったが、平伏した。
斉興は、首を延して、二人を見ようとしながら、両手で、脇息を押えて、ぶるぶる両手を顫わしながら
「これっ、不届者――聞け」
と、叫んだ。
斉興の、思いがけぬ烈しい罵声に、二人は、手をついてしまった。
「不届者っ――こ、これへ参れっ」
甲高い、怒り声であった。
「おのれら、不所存な。何んと思いおる。たわけがっ」
二人は、平伏しているより外に、仕方がなかった。四ツ本も、二人と同じように手をついていた。
お由羅は、薄明りに金具の光る煙草盆を、膝のところへ引寄せて、銀色の長煙管で、煙草を喫っていた。そして、白々とした部屋の空気を、少しも感じないように、侍女に、何かいっては、侍女と一緒に、朗らかに笑った。
「実学党崩れ、又、秩父崩れ――家中に党を立てて、相争うことは、それ以来、きつい法度にしてある筈じゃ。それを、存じておりながら――こともあろうに、由羅がどうの、調伏がどうのと――おのれら、身を、何んと見ておるのじゃ。当家は身のものじゃぞ。これっ――身が当主じゃぞ。身を調伏したり、身に陰謀を企てたりする奴等がおったなら――そりゃ、床下へなりと、天井へなりと、奥へなりと忍び込め――それは、忠義な所業じゃ。又倅の側役として、斉彬に事があれば、それも許してやろうが、高が、斉彬の倅一人の死に、陰謀が何うの、こうの――申すにことを欠いて、由羅が張本人などと――由羅は、身の部屋同然の女でないか。それを、謀反《むほん》人扱いにして、それで、おのれら、功名顔をする気か――公儀に聞えて、当家の恥辱にならんと思うのか――たわけっ、思慮なし。石ころ同然の手遊人形一つを証拠証拠と、左様のものを楯にとって、家中に紛擾《ふんじょう》を起して、それが、心得ある家来の所作か――」
斉興は、一気に、ここまで喋って、疲れたらしく、水飲みを指さした。そして、呟き入った。
「恐れながら――」
沈黙している一
前へ
次へ
全104ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング