りになるのかもしれない)
と、感じ、もし、このまま、逝くなれば、島津は、何うなるだろう? 軽輩と、重臣との衝突など――と、死んだ後の、混乱を考えると、何か、危急が迫って来ているように感じられた。
「お気の弱い――熱は、少しござりますが、これしきの病に――」
それは、将曹の、真心からの言葉であった。斉彬は、溜息をついて
「わしが、今死んだからとて、十年生き延びたからとて、今の天下の形勢は、何うなるものでもない。この、同じ形勢の下に、ただますます、強くなる尊王、倒幕の大勢の下に、何う処置するかは、久光、今更、申すまでもあるまい。わしが、生きておれるなら、生きておってもよい。然し、死んだとて、わしの志は、無になるまい。久光初め、重役、有為なる若者が、必ず継いでくれよう。わしは、それを信じている。わしが亡くなれば、内訌のようなことが、無くなるだけ、或いは、よいかも知れぬ。家中が一致するだけよいかも知れぬし、奮起する人間が、多くなるだけよいかも知れぬ。わしは、何も、今までに、出来なかったが、ただ、天下の赴くところにだけは、従って来た。或いは、それの一歩先へ立ってきた。このことは、久光もよく理解しておるであろうし、家中にも同意者があろうし、広い天下には、何処に、又味方が在ろうかも知れぬ。わしは、それだけを、信じることができる。そして、それさえ信じたなら、わしは、少しも、わしの死を惜しいとは思わぬ。わしに反対し、わしを邪魔にする者も多い。わしが死んだなら、喜ぶ人も多かろうが、わしの志だけは、わしが死んでも、消えるものではない。やがて、天下の大勢となり、島津は、天下に号令して、日本の基礎を立てるようになるであろう。わしの死は、わしの身体を失わしはするが、わしの心を、決して、奪いはしない。それを思うて、安らかに、逝ける。久光、わしのために、祝うてもよいのじゃ、何を泣く? 何が、悲しい?」
斉彬は、死の苦痛と闘いながら、呼吸の困難と、頭を鈍らす高熱とに、闘いながら、いつもの如く、静かに云った。石見が、戻って来て
「一同、召出すよう、申し付けましてござります」
と、云った。
「久光、重臣と共に、軽輩を、可愛がってやれよ」
「はっ」
久光は、感激に、全身を燃えさせていた。ただ一言ではあったが、それは、久光の意志が、答えたのではなく、全身の感激が、それを発射したのであった。斉彬の平生の言葉が、もう一度、その最後の言葉によって、久光の全身へ充満した。
「誓って、仕遂げ申します」
「協力して――」
「いつかの連名は、しかと、所持致しております」
「奥と、哲丸へ、よろしく、伝えてくれい」
石見が
「お二人様に、何か、お伝え申しますことがござりましょうなら――」
「何もない――哲丸が、無事に成長するようと――」
斉彬が、只一人残っている己の子の成長を――父に先立って逝ったその子を――その死も知らずに、その幻を胸にしながら逝くかとおもうと、久光は、又、涙が溢れてきた。
(云おうか――偽るまい――打明けようか)
と、頭を上げてみたが、斉彬に、残された、それがただ一つの、恩愛の対象だと思うと、総てのものを失ってしまった斉彬に、よし、偽りにせよ、哲丸一人だけは残しておきたかった。
「哲丸は、必ず――久光、誓って、お育て申します」
と、云い終ると、又、涙の中へ、埋れてしまった。
牧仲太郎の肉体は、もう、死んでしまっていた。骨は、もう、その身体を支えきれなくなって、地上へ曲ってしまっていたし、肉は干れきって、残滓《かす》のように、皮膚の色は変色して、紫灰色に――牧は、干した蛙のように、草の中にうずくまっていた。
もう、声も出なかった。心臓だけが、消えて行く灯が、明るく最後に光るように、鼓動しているだけであった。だが、それでも、牧の精神力は、十方の空間を貫き、大地の底に徹するくらいに強かった。その頭と、その眼だけは、自分の肉体の瀕死を、少しも感じないくらいに、斉彬を呪咀する一点に、集中されていた。
まざまざとして、映じてくる網膜の上の斉彬は――ある時には、空間に引立てられて、全身が歪み、ある時には、地下へ翻々として落下しながら、恐怖の眼を見開き――それは、天魔、地神に虐げられている、牧の呪いの力によって、斉彬の体に感応した結果を現す形であった。
(成就した)
と、頭の隅で呟いた。牧は、斉彬が、真逆様に、闇黒の底に燃え上っている火焔の中へ落下して行く形を見、それを追うて、同じように、墜落して行く自分の姿をも見た。
(成就した)
動かない手を――しびれてしまった、力の尽きた、干れ細って汚い手を、じりじりと、立てて、最後の合掌を、しようとして、身体を立てかけた。そして、肩で呼吸をして、眼を閉じた。
「牧」
と、呼ぶ声がした。近くか、遠いのか、外か
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