も判らなかったし、登り口で聞いても、牧が、登ったか、何うかさえ判らなかった。
(夜に入れば、祭壇で焚く火が見えようが)
 と、思ったが、夜、闘うのは、不利であった。それから、一刻も早く討ちたかったし、何よりも、義観が、この山で必ず、牧が修法を行うにちがいないと云う言葉を信じていた。
 聖天と称されている仏を祭った山上へつづく道、茶店が、時々、曲り角に、そして、時々、参詣人が――。小太郎は
(この山でこそ――)
 と、信じていたが、牧が来ているか、未だ、来ていないか? それを、茶店の主人に
「四五人連れの侍が、登らなんだかのう、ここ二三日前から、こっち――」
 と、聞いた。
「さあ――御武家衆は、貴下、めったに――この山は、大阪辺の、町人衆のお詣りが、多うて、御武家は、なあ――」
 と、主人は、首を傾けた。
「上の寺は、旅の者を、泊めてくれるかの」
「はいはい、喜んで、お泊めなさいます。お心持次第で、結構なお寺でございます」
 小太郎は、自分達の一家の悲運を思い出すと、もう、これ以上に、努力する気になれなかった。努力をした結果――呪いの人形を取出し、牧を討ちに行って、そして、得たものは、悲惨な死だけであった。
(あせらずとも、討つべき機が来れば、討てる。わしは、既に、人事を尽した。この上は、天命を待つより外にない)
 小太郎は、革袋から小銭を出して、茶店を出た。そして
(義観の指図のままに動くこと、これが、天命を待つことであると共に、人事を尽すことだ)
 と、思った。そして、落ちついた心になって――だが、草鞋をしらべ、帯のゆるみを調べ、いつでも、闘える用意をして、登って行った。
 左へ入る細道が、一軒の茶店の方から、つづいていた。小太郎は
(この道を――)
 と、思った。だが、道は下向きになっているので
(谷間へであろう)
 と、行きすぎてみたが、何かしら、心にかかった。小太郎は、編笠を傾けて
「この道は、何処へ行くのかな」
 と、茶店へ聞いた。
「下の道でござんすか?――この上の、広いところへ――」
「頂上への?」
「お連れでございますか」
「連れ?」
「今朝、夜の引明けに、四人連れで、お登りになりましたが、お武家衆ばかり、珍らしゅう、何かござりますか?」
 小太郎は
(勝った)
 と、心の中で、絶叫した。

 小太郎は、微笑んだ。
(わしの運は、開けて行くのだ)
 と、感じた。明るい力が、髪の毛の先にまで、充ちてきた。だが、それと共に
(何故、この運が、もっと早く来なかったか? 父のいた時に――母の死ぬ前に――)
 小太郎は、そう思って、二人を悲しむと同時に、二人の霊へ、この明けて行く仙波の家の運を見せようと思った。
「悉ない」
 小太郎は、その茶店の前を去る時の脚に、軽さと、力とを感じた。
(三人以上の奴等が居るとしても、わしは、勝てるぞ)
 と、いう信念が、手の先へまで、充ちてきた。小太郎は、編笠をとって、鉢巻を当てた。その中には、鎖が入っていた。草鞋の紐を調べてみた。帯のゆるみの有無へ、手を当ててみた。目釘を、もう一度、改めてみた。そして、崖端へおいた編笠をきて、崖沿いの細道を、少し降って、それからの爪先登りを、呼吸を整えつつ、登って行った。
 崖が、だんだん低くなり、林が、まばらになり、木が少くなると、草原が、滑かな線をして、起伏してきた。
(広いところだ)
 と、感じた。だが、牧は逃げない敵だと思うと、十分に、落ちついていてもよかったし、広々とした山頂は、自分の匿《かく》れるところも無い代りに、敵を匿すところもなかった。
 一つの、波の上を越えると、又その向うに、一つ高く、草の波が立っていた。そして、誰も用の無さそうに見えるこの山頂の草の中に、その起伏をつなぐ、消えるばかりの小径が、つづいていた。小太郎は、一つの腹を廻り、次の頂を越えて
(あの頂へ立てば、この山は、一望の下になるだろう)
 と、三度思った。そして、三度とも、未だその向うに、もう少し高い丘のあるのを見たが、四度目に、傾斜した草の中を、登ると、連河内の山々が、遠く黒ずんでおり、右手に、河内平野が、展開して、そこからは、四方が、何んの障害もなく見渡せた。
 小太郎は、自分の立っている正面に、一人の影の無いのを知ると
(右か、左か――)
 右にか、左にか、人影が見えなかったなら、煙の影が立っていなかったなら――
(運が開けて行く)
 と、信じたことは、この夕空の如く、急に暗くなって行かなくてはならぬ、と感じた。小太郎は、この最後の一つの大事を、神に祈りたいような気持になった。だが
(女々しい迷いごと)
 と、自分を叱って、右を見た。草原が、段々に、森の中へ消えていて、煙も、人も――鳥の影さえ無かった。小太郎は、女々しい迷いごとと、己の信念の崩れて行きかかる
前へ 次へ
全260ページ中244ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング