中の人々へ
「一大事ゆえ、奥へ参る。各々方、よろしく」
 一人の浪人が
「一大事とは?」
 と、叫んで、片膝を立てた。一人が
「哲丸様が、御病気なのじゃ」
 と、云った。左源太は、ざわめく人々を残しておいて
「早く、用意、早くっ」
 と、怒鳴った。
「はい、ただ今」
 と、女中の、周章てて、答える声がした。書斎へ入った名越は
(ここで、哲丸様を、死なしては――)
 と、逆上しそうに、興奮していた。余りに、次々に、不可思議の死を遂げたゆえに
(お悪い)
 と、一言聞いただけでも、それは、死と同じ意味にとれたし、又、必ず、死に赴く幼い子供達であった。それが
(御重体)
 と、いうのであったから、左源太の頭の中には、死に悩み、死と闘う哲丸の苦しい、歪んだ顔が現れると共に
(斉彬公のお世嗣《よつぎ》が、絶える)
 と、いう絶望的な考えが、狂乱的な、苛立たしさと一緒になって、回転していた。
(何んとなく、お疲れになったような顔、死ぬかも知れぬと仰しゃった言葉――もし、それが、本当になった日に、哲丸様が、又呪いの手で、お亡くなりになったとしたなら、斉彬公の御血統は、何うなるか?)
 名越は、すくすくと、大きくなって来た自分の子が、何うしてか、憎いように、感じた。
(不忠者、貴様、哲丸様の、お身代りになれっ)
 と、叫びたいような――自分の命を、子の命を犠牲にしても、哲丸の命だけは、引きとめたいと感じた。そして、今までに、決して、病に罹ったが最後、平癒したことのない例を思うと、拳を顫わしてみても、歯噛みしてみても――
(絶望だ)
 と、いう感じが、頭中に、身体中に感じられて、自分の身体を抛げつけ、引き裂き、踏み躙《にじ》って、哲丸を殺す、何かの、魔の力、魔の神の前へ、叩きつけたいように、感じた。
 半狂乱の眼、喘ぐ呼吸、顫える拳――手早く、袴をつけ、肩衣をつけると
「お刀」
 と、追いかける声に返事もしないで、走り出した。
(医者は、何をしているのか)
 左源太は、医者を叩き斬ってやるぞ、と思った。
(乳母《めのと》の税所《さいしょ》敦子は――抱傅《おもりやく》の吉井は)
 左源太は、こういう確乎《しっかり》とした人物がついていて、何をしているのだ、と思うと共に、その人々の力に及ばぬ、不思議な死を遂げさす力を――何うしていいのか?――左源太は、人々の振向いて眺めるのも感じないで、脇差を押えると、奥へ走って行った。

 沈んだ顔をして出迎えた士が
「御苦労に存じます」
 と、挨拶をしても、左源太は、頭さえ下げなかった。廊下で坊主が、お叩頭をしても、それから、御病間へ入って、乳母の税所敦子が、血走る眼で、目礼をしても、左源太は、鋭く光る眼で、睨みつけたまま、哲丸の臥ている側へ、坐ると、じっと、眠入《ねい》っている顔を眺めた。
 枕頭には、二人の医者と、坊主と、敦子と、侍女が二人と、坐っていた。
「良伯」
 こう医者を呼んだ左源太は
「も、もしものことがあれば、捨てておかんぞ」
 と、いって、脇差へ手をかけた。良伯は、静かに
「覚悟致しております」
 と、答えた。その声にも、眉にも、眼にも、決死の色が見えていた。
「税所殿、矢張り、おびえなさるか」
「はい、夜に入りますと、物《もの》の怪《け》にでも、おそわれるように、急に、お泣き出しになり、お熱が高く――」
「床下、天井、その外、お調べになりましたか?」
「以前の例もござりますれば、若侍共、隈《くま》なく捜しましたが、怪しいところは、ござりませぬ」
「吉井殿は」
「お次におられましょうと、存じますが」
 哲丸は、いつもの、熟した果物のような赤味と、艶とを失って、濁った白い頬をして眠入っていた。
「良伯、これで、御重体か」
「これまで、お亡くなりなされました方々と、そっくり同じ御容体にて、医薬の効目がござりませぬ。先刻、将軍家より、吉田三誼先生が、お見えになりましたが、病状不明にて、拙と同じ手当より外に、思案がつかぬとの御見立でござりました」
 左源太は、こうして、すやすやと眠入っている哲丸が――安らかな呼吸をして、静かな脈搏《みゃくはく》をして眠入っている哲丸が、死ぬとは思えなかったが、これまで亡くなった人々のことを思い出すと、夜に入ってからの――この幼い子供が死と闘う悲惨な努力、大人の眼に見えぬ怪しい力と、ただ一人で闘って、怯え、顫えて、救いを求める悲痛さ――そして、それに、何んの助力もできぬお付きの人々――そういうことを思い出すと、誰に憤っていいのか、何うすればいいのか?――左源太は、哲丸の苦悶する夜の顔を考えてみると、自分の胸を、腸《はらわた》を引っ掴んで、掻き廻されているように感じてきた。次の間から、吉井七郎右衛門の声がした。左源太は立上ると、襖を開けた。
「おおっ」
「吉井っ――吉井っ
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