、拙者、何処そこの某《なにがし》くらいのこたあ、云っちゃあ、何うだい。大概、人を馬鹿にするない。いい気になっていりゃ、庄公も、益休も、勝手な――妾ゃ、い、一体、何うなるんだい。お前方あ、薩摩のお屋敷へ入っていいだろうが、妾ゃ、一体、何う、なるんだい」
 富士春は、口惜しさと、怒りとに、途切れ途切れの口を利きながら、泣くまいとしても、涙がこみ上げてきた。
(何処まで、誠をつくしたなら、男ってものは、自分のしているのと同じように、妾にしてくれるのだろう?)
 と、思うと、世の中も、男も、自分も、めちゃめちゃに、引き裂きたいように感じてきた。
「益満は、じき戻る」
「も、戻っていらないよ」
 富士春は、こう云うと、襖の紙を、引き破った。そして、二階へ、足音荒く上ると、瀬戸物の毀《こわ》れる音がした。
「うるさくなりゃあ、斬ってしまえ。それから」
 と、一人が、叫んで、肱を張った。

 富士春は、湯呑を抛げつけて、こわしたが、それだけで、身体の中、胸の中、頭の中いっぱいに、湧き返っているものが、すっかり、湯呑と一緒に、こわれ飛んだとは、感じなかった。まだ、固いものがつかえていたり、口惜しさが固まっていたり――
(何うしてくれよう、畜生っ)
 と、思うと、袖を噛んで、引き裂いてみた。下では、浪人が、何かに喜んでいるらしく、笑い声が、爆笑が、どっと起った。
「何が、可笑しいんだいっ」
 富士春は、上り口へ、首を延して叫んだ。
(三十を越して、何うなって行くのだろう)
 と、思うと、追っかけられるような焦躁と、不意に、脚下に穴でも空きそうな不安とを感じた。化粧をしていると
(未だ、これでも――)
 と、思う時もあったが、鏡へ、顔を近づけると、もう、眼の四辺に、小皺が出て、肌にしみが現れていた。
(妾、何を悪いことをしたい)
 と、富士春は、世間へ、啖呵《たんか》を切ってみた。世間こそ、男こそ、いろいろと、自分に悪いことをしたが、富士春は、五七人の男を代えた外に――
(それが、悪いというのかい、それが――男を代えたことが――)
 自分から捨てた男もあったが、自分が捨てられた男もあったし――
(庄吉に、あんなに尽してやったのに、あいつ――)
 と、思うと、差引勘定をして、少しも、自分が悪いと思えなかった。
(それに、淫乱だの、辻便所だのって――)
 富士春は、世間の男女が、そういうだけでなく、自分の男である益満に養われている――毎日、益満の女である自分の手で、酒を、米を与えられている浪人達までが、少しの、尊敬をも――益満に対する尊敬の、十分の一をもしないのが、世間の口以上に、口惜しかった。
(男に、縋っているからだ。立派に、一人で――仮令、流しになったって、一人で食べて行けるのに、なまじ、男に手頼《たよ》ろうとするから、こんな目に逢うのだ。世の中は、広いんだから、旅にでも出てしまって――)
 そう、時々は、考えもするが、益満と、庄吉との、愛欲の夜を思い出すと――頭の中で
(誰が、あんな薄情者に――)
 と、思っても、肌が、血が、愛着の味を忘れないでいた。
(頼みになるような、ならないような――今度、戻って来て――お春、俺は、薩摩屋敷へ入るぞ。お前は、何うなっとするがいい――いわないとも限らない台詞だ――それを、又、この浪人野郎共が、黙って聞いていて、挨拶一つしないのだろう、畜生――)
 富士春は、柱によりかかって、脚を投げ出したまま
「犬、猫、畜生っ」
 と、叫んだ。下の浪人達は、濁った声で、甲高い声で、議論をしたり、争ったりしていた。
(天下が何うだとか、黒船を焼くとか、何いってやがるんだい)
 富士春は、そんなことを聞いても、見ても、判らなかったし、判ろうともしなかった。ただ、益満の手頼りなさと、耐えきれぬ夜の淋しさとに、袖を噛んだり、酒をのんだり、唄ったり――
(本当に――こっちの惚れる男は、浮気者だし、惚れてくる奴は、いけすかないし――)
 と、思いながら――少し気が静まると
(早く、益公、戻れば、いいのに――戻ってさえくれりゃ――)
 と、思いながら、柱へ、身体をすりつけて、投げ出した足を、しっかり締め合せて、自分の手で、自分の二の腕を、固く抱いてみた。

  三つの死

「申し上げます」
 書院の中は、浪人と、雑談と、煙とでいっぱいに、騒々しかった。
「申し上げます、申し上げます」
 四五人の浪人が、その大きく呼ぶ声に、気がついて振向いた。
「何うした?」
 と、名越左源太が、浪人達の首と肩との間を透して、用人に、顔を見せた。
「哲丸様が、御重体で、早速――」
 云い終らぬうちに、左源太が、立上って、前にいる、横にいる浪人達の、肩を押分けながら
「支度せい、支度を――」
 と、叫んで、廊下へ、走り出た。そして、急に、振返って、部屋の
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