乱髪が、頬に、額に、血と共に、こびりついていた。深雪は、自分がそうしたと思うと、何かしら、恐ろしさを感じた。

「さ、急所は、外れておる」
 義観が、そう云って、立上った。
「お嬢さんは?」
 庄吉の声であった。深雪は
「庄吉」
 と、われ知らず叫んで、ちらっと、小太郎の顔を見て
(はしたないと、叱られはすまいか)
 と、思った。だが、総てを忘れて、そう叫んだ瞬間は、嬉しさで、いっぱいであった。
「ええ」
 と、庄吉が答えた。
「動いてはならぬ。そのまま、臥ているがよい」
 義観は、そう云って、深雪を見ると
「先へ戻るがよい。もう済んだ。死人の始末は、坊主の役じゃで――」
 と、云って、月丸の背後へ廻ると、腋の下へ両手を入れて、胸を押えてみた。小太郎が
「呼吸は、ござりましょう」
 義観は、頷いて、膝を、背へ当てると
「こらしょ」
 と、云って、ぐっと、活を入れると共に、月丸が
「うう――ううーん」
 と、唸りつつ、脣を、手を、脚を動かした。だが、眼は閉じたきりで、脣は、紫暗色に変じ、頬は、血の中から、灰紫色に見えていた。
「月丸っ」
 小太郎が、叫んだ。
「無念」
 低く月丸が呟いて――だが、上げかけた頭を、又、垂れてしまった。義観が、背後から、抱いたままで
「月丸、自裁せい。な、武士らしく、自裁せい」
 と、耳のところで、叫んだ。月丸は、袴の地の判らぬくらいに、血を流し、血をなすりつけている腰の辺へ、手をやった。手は、顫えてもいたし、もう、感覚がないらしく、腰の辺りで、ただ、指が、動いているだけであった。
「刀か」
 答えが無かった。
「刀か」
 肩で大きい呼吸をすると、指が動かなくなった。だが、眼を細く開けた。然し、もう、瞳は濁ってしまっていて、視点が乱れ、力も、光も無くなっていた。
 今まで、兇猛な獣の眼のように光った眼であったが、眼が、その光を無くすると共に、脣も、鼻も、眉も、おとなしくなってしまった。血に染んでいるだけで、死に行く人の平和さが、顔中に、現れていた。
 小太郎は、それを見ると、ずかずかと、近づいて、深雪が、月丸を突き刺した脇差を拾い上げると、月丸の前に、しゃがんで
「綱手のところへ、行け」
 と、叫んだ。月丸は、眼をしばたたきながら、瞳の乱れた眼で、何かを凝視するように、じっと、上の方を見て、微かに、笑顔をした。
「腹を切れっ」
 耳許で、叫んだ。そして、指の間へ、脇差の柄を握らせて、指を押えると、暫く、指を動かしていたが、柄を滑らせると一緒に、眼を閉じてしまった。大きく、肩で呼吸をした。義観が
「腹も切れずに死んだ」
 と、いって、立上った。月丸の脚へ、大きい痙攣《けいれん》が来た。草の上で、血まみれになって、二三度、手足に痙攣が来ると、動かなくなってしまった。誰も、暫く黙っていた。義観が
「戻ろう。ここの始末は、又、後じゃ。庄吉を、扶《たす》けて」
 と、小太郎にいって、二人は、庄吉の左右へ、膝をついて
「立てるか」
「ええ――や、野郎め、死にましたかい」
 庄吉は、呟いた。そして、眼を閉じた。

  移り行く

「久光様が、お渡りでござります」
 と、次の間から、坊主の声がした。斉興が
「うむ」
 と、云った時
「未だ、お臥《やす》みではあるまい」
 と、いう声がして、足音が、襖の外で、止まると
「父上」
 と、襖が開いた。斉興は、じろっと、見たまま、煙草を喫っていた。久光は、坊主の持って来た褥《しとね》の上へ、坐ると
「早く行け」
 と、坊主に云って、次の間の者へ
「皆、暫く、遠慮致せ」
 と、叫んだ。斉興が、上眼に、じろっと、久光を見て
「何んじゃ」
「家の重大事に就き、夜中を憚《はばか》らず、参りました」
「わしの隠居のことか」
「左様」
「わしは、隠居をしてもええ――隠居をしたい。然し、隠居をすれば、家のつぶれることは、眼に見えている。隠居をせんでも、家は、そう濫りにつぶせるものではない」
「幾度も、聞いております。兄上の政策が、多大の金子を費し、折角、父上なり、笑左なりの立直したる藩財を、又、空しくするであろうとの御懸念で、ござりましょう」
「それのみではない。不逞の浪士輩に、担ぎ上げられて、倒幕の、攘夷のと、大外れた事をしでかすかも知れぬ。それに、斉彬の代となれば、わしが、今度国許で処分した奴等の余類《よるい》を取り立てて、上席の者を、悉く、処分するかもしれぬ。そうなると、いよいよ、島津の内訌《ないこう》は、天下に知れ渡って、これがためのみでも、転封されるかも知れん。それよりも、今暫く――機をみて、お前に、譲ろうと思うが――」
 久光は、父の顔を、鋭く見て
「要りませぬ」
 と、頭を振った。
「要らんなら、要らんでよい」
「父上は、茶壺と、十徳とを、二度拝領なされました」
「うむ、隠
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