見つめて
「他言する事ならぬぞ」
七瀬が
「まあ、よかった。よく、見つかったねえ、床下といっても、広いのに――」
「お兄様――蜘蛛の巣が――」
深雪が、小太郎の頭から糸をつまみ上げた。八郎太は、人形を旧《もと》のように包んで、膝の上へ置いて、何か考えていた。
「これで、母も安心できました。ほんとに、大手柄――」
そういう七瀬の顔を、睨みつけて
「支度」
「お出まし? この夜中に」
七瀬が、恐る恐る聞くと
「名越殿へ参る」
七瀬が立上った。綱手も、深雪も、折角の小太郎の手柄を、一言も称めもしない父へ不満であったが、小太郎は、父の厳格な気質から見て、口へ出しては称めないが、肚の中では、よく判っているのだと思った。だが、何んだか物足りなかった。
七瀬は、次の間の箪笥《たんす》を、ことこと音させていたが
「お支度が出来まして、ござります」
八郎太は、箱を置いて
「元のように入れておけ」
と、小太郎へやさしくいって立上った。
第一の蹉跌
丸木のままの柱、蜘蛛の巣のかかった、煤まみれの低い天井、赭《あか》っ茶けた襖――そういう一部屋が、崖に臨んだところに、奥座敷として、建てられてあった。その大きい切窓から、向うの峰、下の谷が眺められて、いい景色であったが、仁十郎が、疲労によろめいて、どかりと腰を降ろすと、座敷中がゆらめいたくらいに危《あやう》くもあった。
茶店の爺が、早朝からの客を、奥へ通して、軒下に立てかけてある腰掛を並べて、店ごしらえをしていた。婆は、土間の、真暗な中で、竈の下を吹きながら、皺だらけの顔だけを、焔のあかりに浮き上らせていた。
「霧島、韓国《からくに》、栗野――」
玄白斎は、眼を閉じて、髯をしごきながら、呟いた。仁十郎が
「間根ヶ平で、七ヶ所――牧殿のお力なら、調伏は、成就《じょうじゅ》致しましょうな」
玄白斎は、暫くしてから
「是非も無い」
それも、元気の無い、低い声であった。
「婆あ――粥《かゆ》は未だ出来んか」
市助が、土間へ、声をかけた。
「はい、只今、すぐ、煮えますから――」
三人が、牧を追って、牧の修法している山々を調べてから、もう二十日近くなっていた。日数の経った修法の跡から、だんだん、追いつめて、昨日、修法をした跡だと、判断できたのが、栗野山の頂上であった。玄白斎は、それを見て
「間根ヶ平が、最後の修法場であろうが、今から、この疲れた脚で、行けようとも思えぬ。この上は、牧が、国外に出てまで、修法するか、それとも、御城下へ戻るか――間根での修法が、明日の四つ刻にすむとすれば、久七峠へ出て、牧が通るか、通らぬかを待とう。もし、通らぬ時は、城下へ戻ったもの、通るとしたなら、話によっては、そのままには差し置かぬ」
と、いった。和田仁十郎、高木市助の二人は、老師の、たどたどしい脚を、左右から支えながら、夜を徹して、栗野から、大口へ、大口から、淋しい街道を久七峠へ登って来たのであった。
久七峠には、島津の小さい番所が置いてあった。その番所から、少し降ったところに、この茶店があった。
「牧殿の返答によっては――」
仁十郎は、こういって
(斬っても、よろしいか)
と、つづけたいのを止めた。玄白斎は、牧を追跡し、口でも、よくはいっていないが、秘蔵弟子として、師よりも優れた兵道家として、子の無い老人にとっては、子よりも可愛い仲太郎であった。仁十郎には、よくそれが判っていた。
「そう――返答によっては――捨て置けんかも知れぬ」
玄白斎は、仮令《たとい》、斉興の命なりとも、臣として、幼君を呪う罪は、兵道家として許しておけぬと、頑強に考えてはいたが、そのために自分の手で、牧を殺す、という気にはなれなかった。牧がうまく自分を説き伏せ、家中の人々を感心させてくれたら――玄白斎は、自分の老いたことを感じたり、心弱さを感じたり、兵道家の立場の辛さを感じたりしながら
「疲れた――疲れたのう」
と、眼を閉じたまま、額を、握り拳で叩いた。
「爺っ」
一人の侍が、軒下から、大声に呼んだ。
「今、十二三人、見えるから、支度せえ」
「はいっ」
爺が、周章てて、走り出ると、侍はすぐ、番所の方へ登って行った。
「先生――牧の一行でござりましょうか」
玄白斎は、俯向いて、眼を閉じていた。
「うむ」
「十二三人とは、人数が少し、多すぎまするが――」
「多くない」
「はい」
市助が立って、暗い台所で、何か水に涵《ひた》していた。そして、持って来た。
「和田」
と、云った。水に漬けた真綿であった。仁十郎は、手拭に包んで、いつでも鉢巻にできるよう、折り畳んだ。二人は、乱闘の準備をした。
「さあ、出来ました。お待ちどおさまで」
婆が、こういって、大儀そうに、上り口から、土鍋を運んで来た時、しとしと土を踏
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