舟の中でしゃがみながら、じっと、橋の上を眺めていたが、馬蹄の轟く音が、近づくと共に、
「そうだ」
 といった。
「見えるか?」
 と、伊牟田が振向いて
「御持槍が見える。愚図愚図してはおれんぞ、有村」
 艪をすてて、胴の間へ、どんと、飛び降りると、二人とも、短銃へ、弾丸を込めた。二梃とも、精巧な舶来物であった。
 島津斉興公の出府人数は、先払いから、小半町遅れて徒土頭を先頭に、丸に十字の金紋打った直槍《すぐやり》をつづかせ――だが、急ぎの道中のことといい、町を離れてからのこととて、槍を伏せて、制止声もかけず、足並を乱して、足早に、槍が二本、日傘、坊主、小姓、馬廻り、挟函、医者、胡牀《こしょう》、馬、土産の長持――いつもよりも、人数は少いが、それでも、二百人余りが、長々と橋を轟かして、渡って来た。
 お由羅は、朱塗、金蒔絵の女駕に、斉興も、駕に、平、将曹等は、馬上で――その左右には、書院番、奥小姓などが、付き添うて、それぞれ、陣笠に、陽を避けつつ、いろいろの響きを、混合させて、橋いっぱいになって、通りかかって来た。
「顔がしかと見えぬが――」
「前のが、平だ」
 伊牟田は、こういって、短銃を、右手にして、四辺の舟を、十分に注意してから
「よいか」
 と、有村を見た。
「よしっ」
 有村は、いつでも、帆を上げられるように、用意して、その帆の蔭から
「将曹を撃つぞ」
 と、いって、狙いを定めた。
「十分に、狙いを――落ちついて」
 と、伊牟田が、声をかけて、片膝を立てながら、引金へ指を立てた。

 駕脇の一人が
「あっ」
 と、叫んで、湖水を、指さすと、一人が
「曲者っ」
 と、叫んだ。人々が、湖上から、それを見つけ出そうと、一斉に、左を向いた刹那
「危いぞ」
 と、平が、叫んで、馬の頸へ、身体を、伏せようとした。その、ほんの一刹那――だ、だあーん――湖水いっぱいに、山々に、橋に、響き渡った。
 駕脇の士は、刀の柄へ手をかけて、お互に身体をぶっつけながら、駕に当りながら、駕を守った。
「急げっ、急げっ、走るんだ」
 と、供頭が、陸尺《ろくしゃく》を、叱りつけて、棒鼻を叩いた。駕は人々と一緒に走り出した。足音と、叫び声とが、高く、渦巻いた時、将曹が
「周章てるな、不覚者。何が、恐ろしい!」
 と、叫びざま、馬から、降りた。そして、右手で、左の腕を押えていた。二三人が
「御前、手疵を――」
 と、顔を寄せると
「掠《かす》れ弾《だま》じゃ」
 と、云って、
「曲者を追え。その辺に漁夫の舟があろう」
「はい」
 と、答えて、二三人が、左右へ、走ったが、それよりも早くに、後の方にいた七八人の人々が、もう走って行っていたし――走りながら
「船頭、舟を貸せっ」
 と、叫んだり
「おーい、船頭、その舟を捕えろ」
 と、絶叫したりしていた。一人が、橋の上から袴を脱いで、飛び込もうとするのを、一人が
「泳いで、追いつけるか、この馬鹿」
 しがと、止めたり――平は、馬の頸に、獅噛《しが》みついて、滑り落ちるように、飛び降りると、びゅーんと弾丸の唸りを聞いた。
(危いっ)
 と、感じ、そして、将曹の、撃たれたらしいのを見ると
「何うした?」
 と、侍に守られながら近づいた。
「お上は?」
 と、将曹が聞いて、周囲へ群立って来た人々へ
「馬鹿っ。何故、お上を警固せん。わしに係り合って、何になるかっ」
 と、怒鳴った。そして、逃げて行く舟を見ながら
「これしきのことに、騒ぐな。みっともない」
 手で、傷を押えて、歩みかけると、医師が来て
「御手当を」
 と、云った。将曹が、腕をまくると、二の腕のうしろから血が出ている。
「これは、掠れ弾で、ござります。別条のない――」
 と、医師が云って、供の持っている函の中から、膏薬を出してきた。
 有村の舟は、帆を上げて、艪を漕いで走っていた。二三艘の舟が、近づいたが、短銃に、威嚇されたらしく、追って行かなくなった。
 橋づめから、一艘の舟へ、七八人の人々が、乗り込んで、漕ぎ出したが、船頭が一人らしく、有村の舟を、追えそうにもない、舟足の鈍さをしていた。
「お為派であろう」
 と、平が、将曹に云った。
「さあ、何れにしても、まず、仕合せ」
 と、将曹は、腕に繃帯をしながら
「駕脇を十分に固めて、先触れの人数を、もっとふやすがよい。江戸まで、油断ならんぞ」
 と、人々に、注意した。

「何んと、まんまと、失敗《しくじ》ったの」
 有村は、追って来る舟を、時々、振返りながら
「何うも、命を惜しんでする仕事は、いかんて」
「いかんと申しても、これで、気が済む。何うも、短銃は、便利は便利だが、武士の用具ではないのう。矢張り、近づいて、刺すのが、一番確かのようじゃ。こんなもので、遠いところから、どんと、やらかして、命もありますよう
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