廻り、飛び石を撫で、一尺ごとに、手をのばして、手に触れるものを調べながら、御居間の方へ近づいた。灯の影もなく、人声もなく、ただ、真暗闇の世界であった。
「山一のことが――思い出される」
益満が囁いた。小太郎は、床下へ入った時に、そのことを思い出していた。
山一とは、山田一郎右衛門のことであった。高野山に納めてあった島津家久の木像を、高野山の僧侶が床下へ隠して、紛失したと称した事件があった。島津家が、窮乏の極の時、祠堂《しどう》金を与えなかったから僧侶が意地の悪い事をしたのである。それを、肥料《こえ》汲みにまでなって、床下から探し出したのが山田一郎右衛門であった。そして、それだけの功でも、相当であったのに、その褒美を与えようとしたのに際し、山田は
「褒美の代りに減《へ》し児《ご》を禁じてもらいたい」
と、いった。減し児とは、子供が殖えると困るから、生れるとすぐ殺す習慣をいった言葉である。山田のこの建議によって、幾人、幾十人の英傑が、救われたか知れなかった。益満の如き小身者は、当然、減らされた一人かも知れなかったし、小太郎の後進の下級の若い人々は、大抵減され残しが多かった。だから床下へ入って、しめっぽい土の香を嗅ぐと、すぐ、山田の功績を思い出して
(首尾よく行ったら、自分の手柄も、山田に劣らない)
と、考えた。
床下の土は、じめじめしていて、異臭が鼻を突いた。七八間も、這って来た時、益満は静かに、燧石《ひうちいし》を打って、紙燭に火を点じた。紙撚りに油をしましたもので、一本だと五寸四方ぐらいが、朧《おぼろ》げに見えた。それで足りないと二本つけ、三本に増す忍び道具の一つであった。
二人は、微かな光の下の土を、克明に調べかけた。もし、調伏の人形を、埋めたとすれば、土に掘った跡がなくてはならなかった。二人は、一本の柱を中心にして、残すところのないように這い廻った。
微かに足音がしても、這うのを止めた。紙燭の灯の洩れぬよう二人の袖で、火を囲んだ。一寸、二寸ずつ少しの物音も立てぬように這った。
小太郎が、益満の袖を引いて、その眼と合うと、前の方を指さした。益満が、うなずいて、大きく足を延して、一気に近づいた。土が盛上って、乱れていた。二人は、向き合って、片手で、灯をかばいながら、片手で土を掘った。十分に叩かれていないらしい土は、指で楽々と掘り返せた。
二人の眼は、嬉しさに、微笑していた。小太郎が
「それに、ちがいあるまい」
と、低くいうと
「箱らしい」
益満は、両手で土を掻いた。白い箱が、土まみれになって、だんだん形を現してきた。二人が、両手をかけてゆすぶると、箱は、すぐ軽くなった。一尺に五寸ぐらいの白木で、厳重に釘づけにされていた。
「開けて」
と、小太郎が、益満を見ると
「開けんでも、わかっとる」
益満は、土を払って、箱の上の文字を見た。梵字《ぼんじ》が書いてあって、二人にはわからなかったが、梵字だけで十分であった。
(余り、うまく行きすぎた)
と、二人とも思っていた。門の外へ出るまで
(何か、不意に事が起りはしないだろうか)
と、忍び込む前とちがった不安が、二人の襟を、何かが今にも引捕えはしないだろうかと、追っかけられているような気がした。門を出て、植村出羽の邸角まで来ると
「やれやれ」
益満が、笑い声でいった。幸橋御門を出ると、もう、往来にうろついているのは、野犬と、夜泣きうどんと、火の用心とだけであった。それから、灯が街へさしているのは、安女買いに行った戻り客を待っている燗酒屋だけであった。
小太郎は、袖に包んだ箱の中を想像しながら
(これで両親も、別れなくて済むし、自分の手柄は、父のためにも、自分のためにも――それよりも、斉彬公が、どんなに喜ばれるであろう)
と、頭の中も、胸の中も、身体中が、明るくなって来た。
「小太、先へ戻って、早く喜ばすがよい。わしは、さっきのところへ寄って、刀を取って行くから――」
小太郎が、答えない前に、益満は、駈け出していた。
「なるべく早く――」
その後姿へ、小太郎が叫んだ。
「猫、鳶に、河童の屁、というやつだ」
益満は、大きな声で、独り言をいいながら、富士春の表へ立つと、もう提灯は消えていた。だが、まだ眠っている時刻ではなかった。
「師匠」
益満が、戸を叩いた途端、増上寺の鐘が鳴り出した。
「誰方《どなた》?」
「ま、だ」
「ま?」
「まの字に、ぬの字に、けの字だ」
益満は、大きい声を出すと
「やな、益さん」
小女が、戸を開けて
「お楽しみ」
と、からかった。
「師匠の方は?」
襖の内に、二三人、未だ宵の男が残っていた。
「首尾は如何?」
一人が、声をかけた。半分開いた襖の中に、酒が、肴《さかな》が並んでいた。
「お帰んなさい。丁度よいとこ
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