「ええ? はいっ」
「若旦那」
 庄吉が、小太郎の顔を見ると
「人手を借りとうない」
 小太郎は、鋭くいった。四人は、そのまま、白けて黙っていた。深雪は、合せ鏡を出して、暗い灯の横で、髪を撫でつけた。庄吉は、俯向いていたが
「師匠、一寸」
 南玉が、俯向いて立上った。二人は、表の間へ出て、その隅の、暗いところへ立って
「もし、深雪さんが、行っちまった後なら、益満さんが、小藤次の家へ、忍び込んで、盗み出そうてんだ。大丈夫だが、師匠、俺、すぐ、一っ走り、益満さんのところへ行って来るから、お前、一緒にくっついて行って、俺が駈けつけるまで、どっかで、引っ張っていてくれめえか、すぐだから――」
「心得た。だが、二人とも、親譲りの、強情っ張りだからの」
「頼まあ、俺、じゃあ、行くから」
 南玉は、頷いて、元の座へ戻りかけた。庄吉は、ちらっと、二人を見て、土間へ降りると、すぐ、走って出てしまった。
「南玉、志は有難いが、余計なことは、せぬようにの」
「ええ」
 南玉は、そう答えて
「深雪さん、大急ぎで、風呂へ、一つ」
「いいえ、このまま、お髪《ぐし》だけかいて、参ります」
「そりゃいかん――」
「そのままでよい、早く致せ。うるさくていけぬ」
「はい――済みました。着物も、このままで参ります」
 深雪は、鏡を片づけて、膝を二人へ向けて
「小父さま、長々と、御世話になりました。御恩返しも致しませずに――」
「今、お茶を一つ、いれるからの」
「いいえ」
 深雪は、首を振って
「兄を、この上とも、よろしくお願い申します。これで、お別れになるかも知れませぬが、お身体を、おいとい遊ばして――兄様、それでは――行って、参ります」
「うむ」
 立とうとする深雪が、俯向いたまま、畳へ、涙を落した。それと、同時に、南玉が
「いけねえ」
 と、泣声で叫んで
「角まで、送らあ。提灯をさがしますから、一寸」
 立ちかけると
「これにある」
 と、小太郎が、柱にぶら下げてあった提灯を取った。
「では、兄様」
「何を泣くっ」
「はい」
 深雪は、立上った。南玉は、提灯をつけた。暗い土間で、もう一度、振向いて、出て行く妹の後姿を、じっと、見ていた小太郎は、二人の足音が消えると共に、脣を噛んで、涙を落した。そして、立上ると、土間へ、跣足のままで飛び下りて、外へ顔を出した。提灯の灯影の中に、二人の歩んで行く姿が見えていた。だが、すぐ、露路の入口を曲ろうとした。そして、その途端、深雪は、振向いたようであった。小太郎は、心の中で
(深雪)
 と、叫んだ。そして、湧いて落ちる涙で、胸も、頭も締めつけられるように苦しくなってきた。

「ここを曲って――」
「小父様、ここを、真直ぐに参った方が」
「近いにゃ、近いが、病犬《やまいぬ》がいるで、夜は通れん」
 南玉は、左へ曲った。
「一寸これを」
 提灯を出したので、受取って
「何か?」
「犬のことを云ったら、犬便、犬のおしっこ、一寸、こう片足を上げて、石の上へ――」
 南玉は、軒下の石のところへ立って
「しい、こっこっこ、しいっ、こっこっこ」
 いくら経っても、南玉は、小便を止めなかった。
「小父様」
 と、先に立って、ゆるゆる歩いていた深雪が、声をかけた。
「ああ、提灯提灯、早く早く」
「何うなされました」
 深雪が、戻って来ると
「暗いと、見えん。おしっこで、へまむし入道を書いていたが、何処が、鼻やら、頭やら、かね。はい、お待遠さま」
 深雪の、頭の中は、ぼんやりとしていたが、こうして歩いていると、家の中にいる程、悲しくはなかった。そして、諦めがついて来たが、いつかの、小藤次の体臭、手の毛、呼吸の臭を思い出すと、身体中が、寒くなった。
(お母様は、お国許に、無事にいなさるかしら――)
 深雪は、もう一度、母に逢って、抱きしめてもらいたかった。母の膝の上で、思いきり、泣いて見たかった。
「ここを曲りましては?」
「その横町は、ももんがあが出る」
「出ても、かまいません」
「その外、三つ目小僧に、幽霊」
 南玉のいうのもかまわないで、深雪は、右へ曲った。
(いけねえ、庄公め、何処へ行ってやがるんだろう。うまく小藤次の辺で、逢えばよいが、この様子じゃ、きついらしいからな)
 南玉は
「齢をとると、どうも、冷えて、又、小便」
「小父様、妾一人でまいります。道は、存じておりますから――」
「ちょっ、ちょっ、一寸、小便め、びっくりして、潜っちまやがった」
「本当に――あの、くれぐれも、兄を。あのように、かたくなでございますから――」
「かたくななのは、貴女も、そうで、老人をいじめて――」
「何か、いじめましたかしら」
「小便をさせないで、出物、はれ物――」
「でも、早く参りませぬと、もしも、臥《やす》んでしまいましては――」
「何も、そう、
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