も、惚れ止めねえのが、本当の、男の、恋ってもんだ。あっしゃ、そうだ――さよなら、もう、お目にかかれるか、かかれねえか? あっしの死ぬのが早いか、深雪さんの死ぬのが早いか――人間、二度たあ、死なねえや。一つ、益満の畜生に、ずばりと、一思いに、斬られてえや。さよなら、幾度いっても、同じだ、今度は、本当に――さよなら」
 庄吉は、立上った。

「行くか」
 と、小太郎が、見上げた。
「ええ――師匠」
「うん」
「あばよ」
 庄吉が、一足踏み出した時
「庄さん」
 と、深雪が、叫んで、膝を向けた。涙のたまった眼で、庄吉を見上げて、手を頭へやって、簪《かんざし》を抜いた。そして
「形見に――」
 小太郎は、ちらっと見たが、黙って、腕を組んだ。庄吉は、深雪と簪とを、見較べて、暫く、突っ立ったままでいたが
「下さるんですかい、あっしに?」
「何も――お礼を――これを、せめて形見に――」
「ええ」
 と、頷くと、庄吉は、はらはらと、涙を落した。そして、それを、手で払って、膝をつくと
「おもらい――申しやす」
 左手に受けると、暫く、押し頂いていた。簪の足に、沁《し》んでいる油は、女の情熱と、肌とを思わせるように粘っていた。
「頂きやす――有難うごぜえやす」
 庄吉は、眼を閉じて、簪を、頂いて、暫く、じっとしていたが
「あっしゃねえ――」
 と、云って
「いいや」
 と、独り言を、云って、首を振った。そして
「云わねえったら、口を割らねえのが、仲間の作法だ――」
「そうだ」
 と、南玉が
「お嬢さんの心は、判ってらあ」
「師匠――俺、たった今まで、自棄を起して、死ぬつもりだったが、一寸――ほんの、ちょっぴり、思案をかえらあ」
「そうかい」
「何う変えるか、代は、見てのお戻りってんだが、休公の、鼻を齧るのだけは、変えねえ――じゃ、いよいよ、これが、ぎりぎりけっちゃくの、さよなら、だ。さよなら――お嬢さんにゃ、しかし、もう一度、お目にかかりやす」
 庄吉は、土間へ、降りた。
「さよなら」
「行くか」
 と、南玉と、小太郎とが、答えた。
「南玉」
 すぐ、小太郎が云った。南玉が、顔を挙げると
「これを、小藤次の許まで、送って行ってくれんか」
「ええ――然し、若旦那。小藤次が、牧の行方を知らん時には――」
「肌さえ許せば、御自身、御存じのうても、誰方か、からか、聞いてくれましょう」
 と、深雪が、いった。小太郎が頷いた。
「覚悟を、きめなすったかえ?」
「ええ」
 深雪は、はっきりした口調であったが、顔が、少し、蒼白《あおざ》めていた。
「ようがす――と、いって、いよいよ行くとなりゃ、化粧もして――」
「ええ――兄様、風呂へ参ります暇は、ございましょうか」
 小太郎は、深雪の健気な決心を見ると共に、胸を掴みしめられるように苦しくなってきた。
(一家中、不幸なら、せめて、この深雪だけでも、幸にしてやりたいのを――死ぬより厭がっている男に、肌を許せ、というわしは――いわなくてはならん、わしは――一体――それが、兄の道か? 妹をまで生犠《いけにえ》にして――)
 と、思うと、自分も、益満も、牧も、堪らぬ程、憎くなってきた。
「明日でもよい、今夜、一夜は、ここに臥て――」
「はい」
 小声で、そう答えると共に、深雪は、又、涙を浮べてきた。小太郎は、俯向いて、眼を閉じた。南玉は、顔中を、撫で廻していた。

「おう、流しっ、上ってくれ」
 両国下手の、川沿い、黒い高塀の料理屋の二階からであった。
「有難う」
 富士春は、よく、透る声で、返事をした。そして、打ち水してある石の上を、植込みの竹の横を、くぐりから、内玄関へ廻った。
「今晩は、有難う存じます。姐《ねえ》さん、今晩は、有難う存じます」
 富士春は、人々へ、お叩頭した。
「お座敷は、二階ですよ」
「はい、何ちらから?」
「突き当って、右ですよ」
 玄関の女は、突けんどんにいった。外の女は、二人の姿を、じっと、眺めたり、忙がしそうに、広い廊下を、行き戻りしていた。二人は、編笠をかぶったまま、廊下へ出た。
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二階、三階
こちゃ苦界
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 益満は、唄いながら、広い階段を、上りきると
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座敷は、ここかい
ちがうかい
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「おーいっ、ここだよ」
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そうかい――
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 と、益満が、唄うと
「この人は――」
 と、富士春が[#「富士春が」は底本では「富士丸が」]、袖を引いた。
「ええ、お有難う存じます」
「有難う存じます」
 二人が、廊下へ手をつくと
「入んねえ」
「御免下さいまし」
 客は、三十七、八の遊人風の人であった。盃を、益満に出して
「一つ、やりねえ」
 益満は、手を延して、盃をもら
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