わけっ、たわけっ」
と、狂的に絶叫しながら、広岡へ組みつこうとした。広岡は、初太刀を払われて、二の太刀を――片手突きに突いた。
「誰か」
と、久光は、絶叫して、鞍の上で、身体を反らせた。馬が、前足をあがいた。久光は、落ちまいと、手綱を引きしめていたが、突いた刀が、帯へ、刀尖が当ると同時に、ぐらっと、大きく揺れた。
久光は、蒼白になっていた。広岡の刀の、反対側へ飛び降りて、馬を楯にするという寸法よりも、馬を走らせて、逃げようとしていたが、広岡の刀を避けて、身体を反《そ》らしたり、曲げたりしたため、馬が走らなかった。
広岡は、一人の近侍を組みつかせたまま、素早く、三度目の刀を、振下ろしたが、それは、一人の鞘ぐるみの刀で、受留められてしまった。
「仙波っ」
広岡は、捻じ倒そうとする近侍の脚がらみに、よろめきながら、こう叫んだ。一人が、広岡の後方から、組みついて、右腕を掴んだ。
「仙波っ」
広岡が、又、叫んだ。小太郎は、ほんの瞬間に起った刃の閃き、人々の格闘を、自分に関係の無い人々が起したように、眺めていたが、広岡が、つづけざまに、来援を求めた叫びを聞くと
「おお」
と、答えた。人々は、夢中に、組み合っていたが、久光は、小太郎の返事を聞くと同時に、ちらっと、小太郎を見た。その眼と、小太郎の眼とが、ぶつかった。久光の眼の表情は、怒りと、驚きと、恐れとの混じたものであった。小太郎は、それを見ると同時に、編笠を捨てて、お叩頭をした。
(討つべき人ではない)
と、感じた。それは、武士としての、本能的な、主君に対する感情であった。
「仙波っ」
右手の、自由を失った広岡は、三人に組みつかれて、脚をよろめかし、手を振上げ、身体をもがいて、闘っていた。
(不覚だ。ああいう、斬込み方をするなど、何故、近侍を一人倒しておいてから、斬りつけぬ?)
小太郎は、不用意な襲い方をして、すぐ、自分に、援けを叫んでいる広岡に、憤りたくなった。
久光は、手綱を捌いて、鞍へ、落ちつくと共に
「手に余らば、斬れ」
と、云って、馬を走らせて行った。広岡は、それを見もしないで
「何をっ」
と、叫んだ――そして、その瞬間、四人は、一塊になって、よろよろと、二三尺よろめくと、転んでしまった。広岡は、上からも、下からも、抱き締められて、顔も、身体も見えなかった。
(広岡を助けて逃してやらなくては)
小太郎が、そう思って、一足踏み出した時、多勢の叫び声と、足音とが、聞えて来た。
(見つかってはいけない。犬死だ)
と、思った。素早く、編笠を拾い上げて、かぶろうとすると、人々の身体の下、脚の間から、広岡の、乱れた髪、歪んだ顔が見えた。広岡は、ちらっと、小太郎を見て
「卑怯者っ」
と、叫んだ。
「いいや――」
と、小太郎も、叫んだが、すぐ、堂の後方へ走って入った。
「卑怯者っ、卑法者っ」
と、つづけざまに、絶叫した。
と、同時に、一人の侍が
「何か、縛るもの――何をっ、何をっ」
と、叫んでいるのが、聞えた。
(捕えられた)
小太郎は、そう思いながら、堂の裏の林の中へ、走り込んでいた。
「師匠、一寸、顔を貸してもらいたいが」
大家の声が、入口でした。小太郎と、深雪と、庄吉と、四人で、話をしていた南玉が
「よいしょ、只今」
と、立上って、入口の格子戸の外に立っている大家へ
「急ぎか。耳寄りな話か」
「何――一寸、そこまで、来てもらいたいんだが」
「心得た」
南玉は、土間の草履を、引っかけて、格子をくぐった。大家は、黙って、長屋の入口の方へ歩いて行った。
「昼間は、暖けえが、夜は矢張り、寒いね、大家さん」
「うん」
大家は、長屋の入口まで出ると、其処に立っている侍に
「召連れましてござります」
と、お辞儀をした。侍が
「桃牛舎南玉は、其方か」
「へえ、何か、御用で、ござりますか」
「身共は、奉行所の者であるが、その方の住居に、元、薩州の家来、仙波小太郎と申す者がおるか?」
南玉は、身体中を固くして
(しまった)
と、全身で叫んだ。
「済まねえが、師匠、外のことたあ違うんだから――俺――侍は、いるって、云ったよ。仕方ねえからのう」
大家は、気の毒そうに云った。南玉は、俯向いて、黙っていた。
「何んと致した?――返答が、できんとあれば、踏込むぞ」
「へえ」
侍が、左手を挙げた。軒下、家の横に忍んでいた捕吏《とりかた》が、足早に、近よって来た。
「この爺を、誰か、見張っておれ」
侍は、こう命じて
「素直に申さんと、為にならんぞ」
「全く――」
「何?」
「いえ、全く、為にはなりませんが――出し抜けに、びっくりしちまって、そう早くは、返事が――」
「居るのか、居らんのか」
侍は、声を荒くした。
(逃げられめえかな――おかしい、と、感じて
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