、凡そ二百万騎、百万騎なら一繰りだが、槍繰りしても、八十石、益満休之助の貧棒だ。こう太くなっては、振り廻せぬ――」
一人ぼっちになった南玉は、薄暗くなってくる部屋の中で、大声で、怒鳴り立てていた。綱手が
「南玉さん?」
と、益満を見て、微笑むと、深雪は、袖を口へ当てて、笑いこけた。
「はははは、この盆が越せるやら、越せぬやら」
益満は、笑って
「時に、七瀬殿、某と、小太との計《ほかりごと》が、うまく行く、行かぬにせよ、大阪表へ行って、調所を探る気はござりませぬか」
「さあ、話に――よっては――」
七瀬は、八郎太の顔を見た。八郎太は、黙って、庭の方を眺めていた。廊下へ、灯影がさして、女中が、燭台を持って来た。深雪が振袖を翻《ひるがえ》して、取りに立った。
「のう、綱手殿」
「ええ?」
綱手は、周章てて、少し、耳朶《みみたぶ》を赤くしながら、ちらっと、益満を見て、すぐに眼を伏せた。
「母上と同行して、大役を一つ買われぬかのう」
「大役? どういう?」
「操を捨てる――」
益満は、強い口調で云った。綱手は、真赤になった。七瀬が
「それは?」
「場合によって、調所の妾ともなる。又、時によって、牧の倅とも通じる」
「益満――」
と、八郎太が、眉を歪めた。益満は、平気であった。
「夫の為に、捨てるものなら、家の為に捨てても宜しい。操などと、たわいもない、七十になって、未通女《おぼこ》だと申したなら、よく守って来たと称められるより、小野の小町だと、嗤《わら》われよう。棄つべき時に棄つ、操を破って、操を保つ――」
「然し、益満さま、あんまりな――」
七瀬が、やさしく云った。
「いいや、女が、男を対手に戦って勝つに、その外の何がござる。某なら、そういう女子こそ、好んで嫁に欲しい」
「はははは、益満らしいことを申す。それも一理」
八郎太が、微笑して頷いた。綱手も、深雪も、俯向いていた。
「そろそろ暗うなってきた。小太、小者にならぬと、咎められると思うが、その用意をして、例の――師匠のところへ来ぬか」
「心得た」
益満が、立上った。
「猫、鳶に、河童の屁とは行かない蚊だ――益満さん、油はござんせんか。あっしゃ、夜になると、眼が見えない病でねえ」
南玉が、廊下へ立って叫んでいるらしかった。
「今、戻る」
益満は、庭へ出た。
「闇だの、小太」
と、振向いて、すぐ、歩いて行った。
泥人形
常磐津富士春は、常磐津のほか、流行唄も教えていた。
襖を開けた次の間で、若い衆が、三人、膝を正して
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錦の金襴、唐草模様
お馬は栗毛で、金の鞍
さっても、見事な若衆振り
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「そう――それ、紫手綱で」
富士春は、少し崩れて、紅いものの見える膝へ三味線を乗せて、合の手になると、称めたり、戯談《じょうだん》をいったりして、調子のいい稽古をしていた。
表の間の格子のところで、四人の若い衆が、時々富士春を眺めたり、格子の外に立っている人を、すかして見たりしながら、四方山《よもやま》話をしていた。
「その毛唐人がさ、腰をかけるってのは、膝が曲らねえからだよ。膝さえ曲りゃあ、ちゃんと、畳の上へ坐らあね」
南玉が、表の格子をあけて、提灯の下から
「今晩は――益満さんは?」
「まだ見えていないよ」
「そうかい、もう見えるだろうが、見えたら、これを渡して」
と、風呂敷包を置いて、出かけようとする後姿へ
「先生、一寸一寸」
「何か用かの」
「毛唐の眼玉の蒼いのは、夜眼が見えるからだって、本当かい?」
「話説《わせつ》す。目の当り、奇々怪々な事がありやした」
「又、諸葛孔明が、とんぼ切りの槍を持ってあばれたかの」
「怎生《そもさん》、これを何んぞといえば、呼遠筒と称して、百里の風景を掌にさすことができる、遠眼鏡の短いようなものでの。つまり、毛唐人の眼は夜見える代りに、遠見が利かん。一町先も見えんというので発明したのが、覗眼鏡に、呼遠筒、詳しくは、寄席へ来て、きかっし」
南玉が出て行くと
「八文も払って、誰が、手前の講釈なんぞ聞くか」
富士春の稽古部屋では、時々、小さい女が出入して、蝋燭の心を切った。
「この流行唄は、滅法気に入ったのう。俺の宗旨は、代々山王様宗だが、死んだら一つ、今の合の手で
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お馬は栗毛で
金の鞍
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ってんだ」
富士春が、媚びた眼と、笑いとを向けて
「お静かに」
と、いった。
「東西東西。お静かお静か。それで、その馬へ、綺麗な姐御を乗せての、馬の廻りは、万燈を立てらあ。棺桶の前では、この吉公が、ひょっとこ踊りをしながら、練り歩くんだ。手前の面が、一生に一度、晴れ立つんだ。たのむぜ」
「よし、心得た。友達のよしみに、今殺してやる。手前
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