の中へ滑り込ませて、身体を反らした途端、泥道へ尻餅をついてしまったのであった。だが、すぐ、起き上って
「待てっ」
と、叫んだ。
出雲守は、右脚を持ち上げると、左脚が少し、泥深く入るし、左脚を持ち上げると、右脚の、にえ込むのに、憤りの涙が、出て来そうになっていたが
「出て来ぬかっ」
と、いう叫びを聞いた瞬間
(ここまでは入って来れまい)
と、判断した。そして、振向いて、闇の中の人影をすかすと、侍は田の傍に突っ立ったままでいた。出雲守は
(助かる――これが、天の与えだ)
と、感じた。同時に、大きく、肩で呼吸をした。そして、田の中を、静かに歩いて行った。
卍《まんじ》地獄
「こちら様に――百城様、又は、牧様と、仰せられます方は、おいでなされましょうか」
七瀬は、四ツ本の邸の、内玄関に立った。取次に出た女中が
「貴女様は?」
「七瀬と申しまする。もし、おいででござりましたなら、お手間は、お取らせ致しませぬ、一寸、お目にかかりたい、と、仰しゃって下さりませ」
女中が、立って行って、暫くすると、足早な、男の足音が、響いて来て、襖の内から、百城が、現れた。
「おお」
百城の微笑した顔へ、七瀬も、軽く笑って、お叩頭をしたが、顔色が、少し変った。
「遠慮なく、お上りなされ」
百城は、薩摩飛白の着流しの上に、四ツ本の物らしい、縮緬の羽織を着ていた。七瀬が上ると
「こちらへ」
と、いって、薄暗い廊下から、茶の間へ案内して行った。茶の間には、さっきの取次に出た女中が、座蒲団を用意していたが、挨拶をして、出て行った。
「ここなら、外へ洩れんでいい――一別以来、お変りもなく」
百城は、手をついた。
「貴下様にもお変りもなく。この間は、途中にて、失礼致しまして――」
七瀬は、敷居際で、お叩頭をした。女中が、茶を持って入って、百城も、すすめるので、座蒲団へ坐ると
「その節、綱手殿のことを、一言」
「はい」
「実は――過ちながら、某が、手にかけたと――まず、同様の仕儀にて、お果てになり申しました」
七瀬は、膝へ手を置いて、少し蒼白めた顔をして、黙っていた。百城も、暫く黙っていたが、俯向いたまま
「その――某の過ちと申すのは――小太郎殿と」
七瀬は、ちらっと、百城を見て、すぐ、眼を伏せた。
「武士の意地として、果合を――」
「小太郎と?」
「いや、某などの及ぶ腕ではなく、不覚を取りましたが、その果合の砌《みぎり》、綱手殿が、二人の中へ、割って入り、止めようとなされたのへ――過ち、と申そうより未熟、不覚、血迷っていたと申しましょうか、打ち込んだ刀が、止まらずに、急所へ斬込み――」
七瀬は、脣を、しっかり引き締めた。
「お詫びの致しようもなき仕儀――お目にかかれる顔もござりませぬが――」
百城は、言葉を切って、俯向いてしまった。
「不躾ながら、あれと、貴下様との間には?」
「契り申しました」
そう云って、百城は、じっと、七瀬を凝視した。
「綱手は、貴下様を、牧仲太郎様の御子息と知って?」
「いいや、お身が御存じなかったように、綱手殿も御存じなく」
「そして――貴下様は、娘を仙波の娘と知って、仙波の斬死を、御存じの上で?」
七瀬も、百城を、正面から、凝視めた。百城は、頷いた。
「何も、かも。然し、七瀬殿、綱手殿への恋は、偽りでござりませぬ」
「百城様、貴下は、こちらへお戻りなされましてから、姿を変えて――つい、この騒ぎの前など、和田様、高木様などの、後方《あと》を、お蹤《つ》けになりました由、真実で、ござりましょうか」
「左様、牧仲太郎の倅として、又斉興公の臣として――」
「よく判りました。それでは、妾から申しまする。逆縁ながら綱手の仇敵へ、斉彬公の御家来として、妾は、お立合を、お願い申します」
七瀬は、懐へ手を入れて、秘めていた脇差を取出した。
「立合とは?」
百城は、ちらっと、脇差を見て、組んでいた腕を解いた。
「果合でござりましょう」
七瀬は、脇差を左手へ置いて
「御当家で、御迷惑ならば、何ちらへでも」
「果合などと――家来の務は務、恋は恋。それは、綱手殿にもよくお話を――」
七瀬は、首を振って
「聞きとうござりませぬ」
と、叫んだ。
「さ、ここでか、外へ出なされますか」
「いや、よく話をして」
「いえ、いえ。殺すか、殺されるか? 仙波八郎太の妻として、夫の同志を売る貴下様を、仮令、殺されようとも、お見逃し申す訳には参りませぬ。さ、お立ちなされませ」
七瀬は、片膝を立てて、脇差を取上げた。
「お待ちなされ。とにかく、話をお聞きの上にて」
「いいえ。妾も、不覚でござりました。百城様とばかり信じて、牧様の御子息とは露知らず――」
と、いうと、七瀬は、夫への申訳の無さ、娘へ、百城の頼もしさを語った手前として、
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