締めつけられるように胸が苦しくなって来た。百城を、牧の倅と知り、百城の忍び姿の噂を聞いた時
(娘に取返しのつかぬことを云った)
 と、思ったが、この間、百城が、馬上から、声をかけて行った、綱手に対する一言を、胸が潰れるように聞いた。それは、綱手と別れてから、二人の間のことを心配していたいろいろの想像よりも、もっと、考えられぬ恐ろしい結果であった。そして、いろいろとそのことを考えると、百城を一太刀でも斬って、自分も死ぬ外に、夫への申訳は、立たないと思った。自分だけを殺したのでは、不憫な綱手に対して、あの世で顔を合せられないと考えた。
(あの娘は、契った、敵の倅と――そして、死んだ。苦労をして――殺されて――)
 七瀬は、百城と逢った夜から幾夜か、幾度か、綱手のために、泣き明かして
(死んだものは仕方がない。だが、妾は、あの子の魂を慰めてやらなくてはならんし、夫へ申訳もしなくてはならんし――小太郎にも、深雪にも、母の不行届を、詫びなくてはならぬし――」
 七瀬の眼は、険しくなってきた。
「尋常に、お立ちなされ、挑まれて立たぬは、御卑怯でござりませぬか」
「まず――」
「いいえ、いいえ。お立ちなされぬなら、そのままに――」
 七瀬は、柄へ手をかけた。
「狼藉な」
 百城は、聞きわけのない、七瀬の態度――無法な、無謀な――及びもつかぬ女の腕でありながら、刀にかけて、己を通そうとする愚かさに、腹が立ってきた。
(綱手は、満足して死んだに――それが、綱手を慰める母の態度か)
 と、思ったが
「綱手は、喜んで死んだ」
 とは、初めに、二人を欺いて、素性を隠していた百城として、気が咎めて云えなかったし、云っても、信じてもらえるとは思わなかった。
「さあ」
 七瀬は、脇差を抜いた。そして、膝を立てて、立上りかけた。
「何をなさる」
 百城は、鞘ぐるみ、脇差を抜取って、片膝を立てて身構えた。

「何をなさる。無法な――思慮の無い」
 百城は、片膝立てたままで、低く、叫んだ。七瀬は、立上って、脇差を、突き出して、じりじり迫った。
「卑怯なっ、何故立たぬ」
 百城は、大人気なく、女一人ぐらいを対手に、立ちたくなかったが、七瀬は、立ちもしない百城に、女と侮られていることを感じると、だんだん憎しみを深くしながら
(娘を欺し、自分を欺して――顔に似ぬ、図々しい――)
 と――そう感じて来ると、気が苛立って来た。
「立てっ」
 七瀬が、こう叫んだ時、廊下に足音がして、女中が近づいて来た。
「今、入ってはならぬ」
 百城は、この場を人に見せて、邸を騒がしたくはなかった。それから、綱手への志としても、七瀬を殺したくなかった。押えて、よく訳をいえば、判ると、考えていた。
「娘の敵《かたき》」
 七瀬は、近づいたが、踏み込みもしないで、斬りつけた。百城は、自分の好意を無にして、女中の耳へ十分入るように、そんなことを叫んだ七瀬へ、怒りが湧いてきた。躱して立上った。そして、鞘ぐるみの脇差を突き出して
「この家の主人に聞えたなら、縄目の恥を見ますぞ。はしたない」
 廊下から
「百城様」
 と、女中が呼んだ。その途端
「えいっ」
 七瀬が、再び斬りつけた。百城が、払った。かんと、強い響きがして、七瀬の左手が、刀の柄から離れた。七瀬は、蒼白になって、ヒステリカルな眼を光らせて
「おのれ――よくも、娘を――」
 七瀬は、二度の失敗に、取乱しかけてきた。及ばぬ腕だと、知ると、一太刀も斬らないで、自殺しなくてはならぬ口惜しさに、脣も、身体も、拳も、脚も、わなわな顫え出してきた。廊下に人の走って来る音がした。と同時に、七瀬は、両手に力を込めて、斬りつけた。躱した。畳みかけた。躱した。百城は、足も動かさずに、巧みに、上半身を躱していたが、七瀬は、足許を乱して、百城の躱す巧みさと、自分の刀の短さとに、苛立ちながら、身体を浮かして、次の刀を、手いっぱいに――腰までも延し切って、斬りつけた途端――さっと、百城の身体が、沈むと、右手の鞘が、七瀬の両腕の下を、払い上げた。襖が開いて
「何事じゃ」
 四ツ本が、刀を持って入って来た。そして
「無礼者っ」
 と、叫んだ。七瀬は、腕を打たれて刀を取落そうとして、刀の方へ気をとられた隙、百城は、左手で、七瀬の肱を掴んだ。七瀬は、もがきながら
「放せっ」
 と、髪を乱して叫んだ。
「この、たわけ者がっ」
 四ツ本が、七瀬の腰を蹴ると、同時に、肩を力任せに突飛ばした。七瀬は、裾を乱して、倒れかけたが――百城の手が、肱から離れた刹那、力任せに、刀を振廻した。その刀尖が、四ツ本の頬から鼻へかけて掠めた。すっと、薄赤い線が、滲み出ると、忽ち、血の粒が、湧き上って来た。それを、ちらっと見ながら、七瀬は、倒れまいと、片膝をついたが、それでも支えきれずに、倒れかけて、畳
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