、命は、かねてより、無きものとしておるが、今度の処置は、余りにも、無残すぎる。あれを遠島に処すなど、鬼畜の業ではないか」
「あれとは、奥をか」
「いいや、左太郎を――」
「子供を――」
出雲守は、そう云ったまま、黙ってしまった。
「今度の処置は、これのみではなく、次々に同志の上へ、加わって来るであろう。それを防ぐには――大殿の、君側の奸より出る指図ゆえ、防ぎようはないが、大殿を隠居おさせ申して、斉彬公を世に出すこと、これが第一。それから、福岡の黒田美濃守に、お縋り申すことが第二――」
五郎右衛門は、今宵限りの命の人とも見えぬ落ちつきを以て、静かに語り出した。
「それから――御老中は、斉彬殿贔屓であるし、閣議に於ても、最早、家督のことは、時日だけのことと決定してもおるし、御老中に、お縋り致すのも、有力な方法であろう。それに、悪逆の徒の、彼の牧仲太郎は、是非とも、討取らねばならぬ。彼の者の、祈祷の効験の有無はとにかく、世子を呪うておる、その一条のみにても、打ち捨てておく訳には行かぬ」
出雲守は、腕を組んで、黙々として、聞いていた。主人の切腹の座を設けている邸の人々は、すすり泣いたり、囁き合ったりしていたが、その悲しい、人を押しつけるような空気が、邸中いっぱいに拡がっていて、二人の耳にも、入って来た。
「もし――有力な同志が出来たなら、最後の手段として、久光殿と、由羅を討つ。或いは、何れか一人を――平、将曹の如き、その罪は憎むべしと雖も、末輩にすぎぬ」
出雲守は、死んで行く人の云うことを、そのままに聞き入れて、快く自裁させようと、何んの、自分の意見も云わないで、頷いていた。
「それから――恐らく、わしらの志は、軽輩が継いでくれよう。見渡したところ、家中に於て、相当の位置におるもので、斉彬公に、お味方しておる者は、僅かであるが、軽輩中の、頼もしい者、伊地知、西郷、大久保、樺山等は、悉く斉彬公に、心服しておる。わしは、この若者の前途を考えると、必ずや、わが党の勝利になると思うて、安心できる。のう、出雲守、そうではないか」
五郎右衛門が、こういい終った時
「出雲守様へ申し上げます」
と、襖の外から、一人が
「ただ今、川上様から、お使が参りまして、お目にかかりたいと――」
「用向きは!」
「是非、直々にと、申されておりますが」
出雲守が
「暫時」
と、いって、立上って、出て行った。
五郎右衛門が
「座は、出来たか」
と、大きい声で聞いた。
「はい」
「銘々《めいめい》、見苦しい振舞をしたり、騒いだり、泣いたりしてはならんぞ。よく、申し伝えておけ」
「かしこまりましてござります」
人気が無くなると、五郎右衛門は、じっと、考え込んだ。出雲守が、足早に入って来て
「わしにも、手が、廻って来たらしい。今、川上から、内所《ないしょ》で知らせて来てくれたが――わしは、出奔しよう。ここにおっては、危いかもしれん」
「そうだ、出雲。逃げてくれ。同志が、悉く死んでもならん。逃げられる者は逃げて、再挙を計ってくれ」
「聞いたことは、よく合点した。わしは、これから、山田殿の許へ参り、その足で国越え致そう」
「うむ、そうしてくれ。頼んだぞ、出雲」
出雲は、頷いた。
「別れの盃を交したいが、急ぐゆえ――」
出雲守は立上った。
「これで、お別れじゃ。無事に、働いてくれ。わしの分もな」
「最期も見届けないが、許してくれ」
「いいや、急ぐがよい」
五郎右衛門は、出雲を見送るために立上った。
「長い間、交際《つきあ》ったのう。三十幾年――」
「はははは。もう、死んでも、未練のない齢じゃ。腹に皺の寄らぬうちに死ぬのも、武士らしゅうてよい」
二人は、話しながら、玄関へ出た。出雲守が、供が草履を持って来るのを、待っていると
「辞世じゃ
[#ここから3字下げ]
思ふことまだ及ばぬに消ゆるとも
心ばかりは今朝の白雪
[#ここで字下げ終わり]
出雲、桜時じゃに、雪がちらちらして参った。天にも異変があると見えるのう」
出雲は、空を見上げた。いつの間にか真暗な夜空から、ちらちら、春の雪が、落ちて来ていた。
蒲団を、二つに折って、白い布に包んだのが、部屋の真中に置いてあった。そして、それを、半ば屏風で囲い、その前には、経机があった。その上には、線香の立った香炉と短冊と、硯函とが、置いてあった。五郎右衛門は、それを見廻してから、茶の間の襖を開けた。
そこの正面にある仏壇には、灯がまたたいていて、その前に、古くからいる召使が、泣き倒れていた。五郎右衛門は、ちらっと、それを見たまま、出ようとすると、左太郎を晴着に着替えさせた妻が、眼を赤くして、入って来た。
「未だ、時刻には大分間があろう」
と、云うと
「はい――皆様が、お待ちかねで、ございますから――」
前へ
次へ
全260ページ中165ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング