で。そうも考えるが、あいつは、子供が多いでのう。倅も女房もよく知っているから、不愍がかかって」
 と、云った時、和田が、急に立止まると、後方を振向いた。そして、じっと、闇の中をすかしながら、小声で
「足音がせなんだか?」
 と、高木に云った。
「足音?」
 高木は、こういって静かに、もと来た方へ歩き出した。風が歩むように、影が歩むように、静かに身構えることのできる鼠のように、その脚は、獲物へ近づく猫のように――音もなく、声もなく、二三間、引返した。
 和田は、往来の真中に立ったまま、じっと高木の方を凝視めていた。
「うぬっ」
 高木の、呻くような、低い、絶叫が聞えると、大地に足音が、けたたましく響いたし、袴の音が、草履の音が――それから、闇と、融け合いながらも、黒く閃く影があって、高木の手から、逃れたらしく、魔のような早さで、閃いて、消えた。
「高木っ」
 和田は、刀を押えて、走り出した。
「高木っ」
「おおっ」
 高木の声は、遥かのところから答えた。何者かを追っかけているらしく、二つの足音が、夜更けの、侍町の大地を、微かに、だが、あわただしく、響かせていた。両側の家の中から、犬が吠え出した。二三疋は、和田にも吠えついてきた。
(細作《しのび》かしら?――今の話が聞えたであろうか? もし、聞えたとすれば一党の破滅になる――いいや、聞えても、そこまで判るまい。いいや、聞えはすまい。何んぼう、静かでも、あのくらいでの話が聞えるものなら、その前に、わしの耳に、つけて来ている足音が入る筈だ)
 和田は、そうしたことを、頭の中へ、ちらちらさせながら、走った。
「高木っ、大丈夫か?」
「うむ」
 と、答えた時の高木の声は、少し離れていたが、すぐ
「逃した」
 と、云った声は、和田の前すぐのところから聞えて、闇の中に、高木の黒い影が立っていた。

 同じ邸の、裏木戸からも、二人ずつ、三人ずつ、外の様子を透かして見ては、右へ、左へ、時々に出て行った。
「暑い」
 甲突《こうとつ》川に沿う道を、それらの中の二人が、小走りに走っていた。二人とも、兵児帯に、裾短い、着流しで、草履ばきであった。
「急ぐと暑くなるもんじゃ」
「少し、歩こうか」
「では、俺だけ、走る」
 二人は、喘ぎながら、急いでいたが、一人が、走るのを止めて
「誰か、来よる」
 と、呟いた。二人の行く先に、提灯の火が見えていた。道は、一筋だけであった。
「灯が、動かん」
 大久保は、こういって
(もしかしたなら、お由羅派の細作共ではないかしら)
 と、思ったが、西郷吉之助は、返事もしないで、前方を急いでいた。大久保は、すぐ、走って追いついた。
「和田の家の前じゃ」
 大久保は、こういって
「廻り道をしようか」
「俺はせん。何が怖い?」
 灯は、横目付、和田八之進の邸の前で、八之進は、由羅派の人であった。その灯の中に、二人の人影が、動いていた。そして、二人の足音が近づくと、提灯が上ったし、二人の侍が、こっちを、じっと眺めていた。
「見張じゃ、西郷」
「うん」
 と、いった時、邸の軒下に、まだ人がいたらしく、道の真中へ、三人の影が立って
「止まれ」
 と、叫んだ。そして、三人の方から、近づいて来た。
「面倒らしいぞ」
 大久保が、こういった時、提灯の灯で、二人を照らしながら
「何処へ行く」
 と、咎めた。大久保が
「貴公達何んじゃ」
「何?」
「夜、歩くと咎めるという布令は、いつ頃から出た」
「何を申す。軽輩の分際で、布令が無くとも、役の表によって調べる。姓名を申せ」
「役の表?――何役じゃ。誰じゃ?」
「名乗らぬか」
 一人が、正面から、大久保を睨みつけた。提灯を持った小者が、西郷が、側で笑っているのを見て
「姓名は?」
 と、聞いた。
「はははは」
 大久保を睨んでいた侍が、その笑い声を聞いて、西郷を、ちらっと、睨んだが
「何が可笑しい」
「あはははは」
 侍は、大久保に
「名乗らんか」
「その邸は、横目付和田殿の邸でござろう」
「そうじゃ」
「和田殿に、横目付が、いつから、奉行の下職を請合いなされたかと、聞いて参れ。その返事によって名乗ろう。役目の表などと、貴公、奉行所の者か?」
「何?」
「役目が相違しておろう。それとも、企むところがあっての、偽りか? まず、貴公の姓名を聞こう。その上にて、不審があれば、奉行所へ同道致そう」
 侍は、黙った。
「一蔵、もうええ」
 と、西郷がいった。そして
「女郎買いの戻りじゃで、内分に、内分に」
 と、いって、歩き出した。侍は、二人を、睨みつけたまま、じっと、立っていた。

 祇園橋を渡って、磯浜の方へ――右手は低い土堤《どて》であった。その土堤続きの柵の中に、大砲と、弾薬とがあった。高木と、和田とは、その土堤に沿うて、歩いていた。和田が
「油
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