こから3字下げ]
女師匠の浮気さは
水に落した月の影
[#ここで字下げ終わり]
「まあ――それから」
[#ここから3字下げ]
掬めば、止まらず
掬まなけりゃ
つんと、すました、仇姿
[#ここで字下げ終わり]
 と、云って、益満は、扇で、富士春の肩を軽く叩いた。
「ま、いやな――」
 富士春は、大仰に、そして、媚《なま》めかしく、身体を躱《さ》けて
「撲《なぐ》ったりしてさ」
 と、睨んだ時
[#天から3字下げ]ええ、じれったい
 益満は、手早く、編笠の上から、又一つ叩いた。
「あれ、又一つ――」
 と、云って
 益満は、大きい声で、節をつけた。そして、すまして、歩きながら
[#ここから3字下げ]
飛び込みゃ
からんで、命とり
[#ここで字下げ終わり]
「憎い人だねえ」
 と、富士春が、うしろから、小走りに、声をかけると、通っていた若い衆が
「えへんっ、えへんっ、だ」
 と、富士春と、すれちがいざま、怒鳴って行った。

 寄席の裏木戸から
「御免よ」
 と、声をかけた。誰もいなかった。汚い入口の右手に、下駄箱があって、正面に、色の褪せた暖簾が、かかっていた。その奥が、楽屋から、すぐ高座らしく、裏木戸を入って、戸口に立つと、南玉の演じている声が、聞えていた。
「去る程に」
 とんと、扇が入った。
「一夜明くれば、御正月――には、これあらで、いつなんめり、延元の元年、五月は二十と五日の日。小手をかざして、御陣原――にはこれあらで、兵庫沖、かすむ霞の晴れ間より、ちらりと見ゆる軍船《いくさぶね》。漁《いさり》にかえる海人《あまびと》か、晦日の金か、三日月か、宵にちらりと見たばかり。潮路、はあーるかに、見渡せばあー」
 扇が二つ入った。
「取梶、面梶、刀鍛冶。煙波、渺々《びょうびょう》たる海の面、埋まったりや、数万艘、二引両、四目結、左巴《ひだりともえ》に、筋違い、打身に、切疵、肩の凝り、これなん、逆賊尊氏の兵船。えんや、やっこらさっと、漕いできたあ。義貞朝臣、これを見そなわせ給い、いかに、者共、よっく聞け、耳かっぽじって、承われ――」
 楽屋から、一人の男が出て来て、益満を見ると
「何んだい、お前さん」
「南玉に、逢いたいが――」
「今、駄目だよ」
 そう、ぶっきら棒に云って、横へ入ってしまった。
「かかりけるところに、本間孫四郎重氏、黄瓦毛の太く逞しきに、打乗って、紅下濃《くれないすそご》の鎧《よろい》着て、和田の岬の波打際に、たんだ一騎にて御入来。大音あげて弁ずらく、将軍西国より御上洛ならば、さだめて、鞆、尾の道の傾城《けいせい》共を、御召連れなされ候わん。それに食わせる引出物。一匹射留めて進上しよう。お口を開いて待っていな、と、上差《うわさし》の流鏑矢《ながれかぶらや》引抜いて、二所|籐《とう》の弓に取副《とりそ》え、小松の蔭に馬を寄せ、浪の上なる鶚《みさご》を的に、きりりや、きりりと、引絞ったりー」
 益満は、富士春を、振返って
「ざんば岬を、弾いてくれ」
「ここで?」
 富士春が、弾き出すと
[#ここから3字下げ]
ざんば岬を、あとに見て
袖をつらねて諸人の
泣いて別るる、旅衣
[#ここで字下げ終わり]
 と、益満が、唄い出した。
「おいっ、誰かいねえのかい。裏が、やかましいぜ」
 楽屋の中から、誰かが、怒鳴った。
「どじめっ」
 さっきの男が現れて来て
「ちったあ向うを見ろ。手前も、芸人じゃあねえか。軍談席の木戸で、唄を唄う奴があるかい」
 と、いいつつ、益満の前へ立った。
「さて、いよいよ、これから、湊川の合戦というところ、まず、今晩はこれぎり」
 南玉の、声がして、すぐ、ちらっと、姿が掠めて見えた。そして、楽屋の横から出て来て、裏木戸の方を見ると
「いやあ、判りましたかい」
 と、叫んで、小走りに、出て来た。
「訳があって引返してきやしたがね、何処を探しても――」
 と、いいつつ、二人の姿を見て
「何うなすったんで?」
 と、小声で聞いた。
「出よう」
「ええ――定。何を、ぼんやりしてやがるんだ。履物を出してくれ――寄席へ出て、びらを撒きゃ、何っかから現れて来るだろうと、撒きやしたぜ、三千六百枚」
「※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]を吐《つ》け、出よう」
 三人は、裏木戸を出た。

 小太郎は、南玉の後から
(こんな汚いところに――)
 と、思いながら、益満の住んでいる、陽当りの悪い、古い、臭のする長屋へ入って行った。南玉が
「今晩は」
 と、いうと
「誰だっ」
 聞いたことのない、侍らしい声がした。だが、すぐ
「おお」
 と、益満が云った。土間へ入ると、障子が開いて、益満が立っていた。小太郎を見ると
「よう」
 小太郎は、それへ笑って
「客?」
 と、奥を、顎でさした。
「構わぬ。引合せよう」
 行燈
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