蜘蛛の巣網

「おう、おう、おう、おっ」
 南玉が、曲り角――道しるべと、石燈籠との立っている角の、低い、小さい、駄菓子を置いた休み茶屋の前で、立止まった。
「何んだ、講釈のびらかえ」
 庄吉が、振向くと
「軍談講釈、江戸初下り、扇風舎桃林って――この野郎、女をこしらえて、ずらかったと思ったら、こんなところに、うろついてやあがら」
 南玉が、大きな声で、びらを読んで、独り言を云った。茶店の中に、腰かけていた人々が、南玉の顔を見た。南玉は、その内の一人へ
「この講釈のかかっている小屋は、入ってますかい」
 と、聞いた。
「よしねえ、見っともねえ」
 庄吉が、止めた。
「何うだか――俺、知らんが、茂作、どうだの、流行《はや》ってるけえ」
「講釈か」
「うん」
「なかなか、面白えって、評判だよ」
 人々の中の二三人が、こういうと、南玉が
「この桃林野郎の、私は、師匠だがね。京の一条、東小路中納言様に招かれて、この弟子をつれて行く途中だが、一つ聞かして上げようかな、今晩」
「何んて、名ですい」
「桃牛舎南玉って、これで、下々の小屋へは、なかなか出んでのう。大名、大旗本の、つれづれを慰めに廻っているが――」
「余り、聞かん名だのう」
「聞かんに蜜柑に、竹に虎。はい、御免なさい。いずれ、今夜は、小屋でお目にかかりましょう」
 南玉が、茶店を離れて、庄吉と、深雪の立っているところへ来た。
「冷汗をかくぜ、爺さん。東小路中納言だなんて、俺あ、横っ飛びに、逃げ出したよ」
「あはははは、今夜、久し振りに、一席叩いてこまそ。三文にでもなりゃあ、得というもんだ」
「本当に、桃林って知っていなさるのかい」
「一寸、馴染がある――何うでえ、庄公、一つ、富士春仕込みの、怪しげ節でも、助《す》けにやらんけ。割をやらあ」
「よしてくれ。乞食芸人になっちゃあ、仲間へ面出しが出来ねえや」
「これで、お嬢さんが、娘手踊か、水芸とくりゃあ、儲かるがのう」
「小父様、お琴は?」
「琴? ――ころん、ころんって、眠いやつだのう。こと[#「こと」に傍点]こわしとは、これよりぞ始まる。小屋へは向きやせん――」
「東小路中納言向きだのう」
 町へ近づいたので、屋並が多くなってきた。びらが、大きい木の幹だの、辻堂の狐格子だの、酒屋の軒下だのへ、貼ってあった。
「庄公、江戸の流行唄、って触込みで、益満さんのよく唄う、小手をかざして、御陣原見れば、でもやりねえよ。温まるかもしれねえよ」
「田舎じゃあ、判らねえか知れねえが――小屋へは、初めてだからのう。半畳でも入ったら、ぽーっとすらあ」
「半畳って、何?」
 と、深雪が聞いた。
「いろいろと、あっての。商売繁昌。火事半鐘、木綿半丈、絹半丈」
 町へ入って少し行くと、汚い、薄い板で囲って、板屋根を葺《ふ》いただけの小屋があった。表に、幟《のぼり》が一本立っていて、扇風舎桃林の名が、紅を滲ませていた。南玉が、入口から、真暗な中へ
「桃林っ」
 と、大声で呼ぶと、遥か奥の方から
「何んでえ。誰だ」
 と、返事した。

 南玉は、張扇で読み台を一つ叩くと、肩を聳かして
「もやもやもやと、もやつき渡る、朝霧の中へ、俄然――忽然として現れ出でたる旗印、地から降ったか、天から湧いたか、とんと判らん、摩訶《まか》不思議、あらら不思議に、妙不思議、奇怪奇手烈、テンツクテン――」
 南玉は、力任せに、ぱちんと台を、叩いた。
「おもしれえぞっ」
 と、客が叫んだ。蜜柑が一つ、飛んで来た。
「蜜柑、きんかん、わしゃ好かん。朝から敵は叶わんと、瞳を定めて、よく見れば、これぞ、上杉方名代の勇将、柿崎和泉守政景が、大大根《おおだいこん》の打掛纏い、一手の軍勢一千と八百。政景その日の扮装《いでたち》は――」
 小屋の表では、頻《しき》りに客を呼んでいた。莚《むしろ》を敷いただけの上へ、群衆は、寝たり、坐ったりして、物を食べながら
「上手だに。よく喋るでねえか」
 とか
「桃林よりゃ面白え」
 とか、評判していた。
「――一天高しと、押し頂き、青貝打ったる三間柄、大身の槍を引提げて、乗ったる馬は薄栗毛、目指すは、信玄只一人、その坊主首引っちぎり、手毬《てまり》の代りになしくれん、進めや、進め、いざ進め――」
 入口の狭いところに垂らしてある、垢まみれの暖簾をくぐって、齢の若い侍が、宿のどてらに、一本差したまま、入ってきた。そして、南玉を見て、微笑して、そっと、人々の背後へしゃがんだ。
「時しもあれや、時こそあれ、一天俄に、掻き晴れて、眺め見渡す隅田川、あれ鳥が鳴く、犬が鳴く――総勢八千六百余騎、おめき渡って打ちかかれば、武田信玄公におかせられましては、いざ、強敵の御入来、せくな、騒ぐな、周章てるな、明日という日が無いじゃ無し、と、忽ち、備える、四十と八陣。世にいう
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