らずとも、久光公附の、奥小姓一人を味方に引入れさえしますれば、訳のないことでござりまする。例えば、貴船作太郎の如き、仰せつけなさらば、否みは、致しますまい」
「聞いておく。御苦労であった」
左源太は、不機嫌であった。
「手前、近頃考えまするに、善悪不二、大道無門」
「そういう講釈は後日、ゆるりと聞こう」
左源太は、怒ったように、さっと、立上った。そして
「御暇申しまする」
と、挨拶をした益満を残しておいて、手荒く、襖を開けて、出て行ってしまった。益満は、微笑して
「一間の内に、入りにけり。ででん、でん。あとには、独り、益満が、でん――」
口の中で、義太夫節を、唄いながら、立上った。そして、次の間の、襖際へ置いてあった脇差を、左手に提げて、廊下に出た。
「卿等、碌々人に拠って事をなすの徒。燕雀《えんじゃく》、何《いずく》んぞ、大鵬の志を知らんや、か――吾に、洛陽|負廓田《ふかくでん》二|頃《けい》有らしめば、豈《あに》よく六国の相印を佩《お》びんや、か」
と、小さい声で、いいつつ、玄関へ出て来ると、玄関脇の、番部屋の襖が開いて、二三人が、外へ出ようとした。そして、益満を見ると
「待てっ、益満」
と、低く、叫んだ。
「話がある。入れ」
三人が、益満の前へ突っ立って、睨みつけた。益満は
(名越が、もう、自分の云ったことを、この人間に喋ったのか。呆れた小人)
と、思った。[#「思った。」は底本では「思った」」]
「何んじゃ、この頭は?」
一人が、益満の頭を、指先で突いた。
「計は密なるを以てよしとす、とは兵法の初歩じゃ」
益満は、襖のところから、こう、大声で云いながら、部屋の中へ入った。六七人の、同志の、身分の低い、若い人々が、壁に凭れたり、柱によりかかったりして、腕組していた。
「何を云っとる。坐れ、益満。今日は、返事の如何により、許さぬぞ」
一人が、こういって、刀を、膝の前へ突き立てた。
「ただ今、名越殿から、以ての外のことを聞いた。吾々の前で、もう一度、名越殿へ申し上げたことを、申してみい」
いくらか身分の高い、齢の行った一人が、こういって、益満の正面から
「本心を聞きたい」
入口の襖のところへも、二人が、刀を持って、坐った。部屋の人々は、四方から益満を、睨みつけていた。
「本心を明かさぬと、斬るとでも、申すのか」
「いいや――」
「その明かした本心の如何に、よりじゃ」
「明かしたことが、本心であるか、ないか、何うして判断する?」
暫く、一座の人々は、黙っていた。
「議論ではない。討つか、討たぬか。何うして討つか。それを聞きたい」
益満の左右の人々は、鯉口をゆるめた。
「討つ、ともいえぬ。討たぬ、ともいえぬ。まして、その手段など――」
「何っ」
「それ程の大事を、うかうかと、口外できるか? 口外するのが武士か? 敵を欺くためには、先ず、味方を欺く、という教えを、何う聞いておる。馬鹿めっ。斬れっ。人を疑うにも、程があるぞ。某《それがし》如きを、か程までに疑うような、やくざ共に、口を裂かれても、計が漏らせるか? 同志とはいい条、この大勢の面々に、秘計を語る如き輩で、大事が成せるか? 名越殿にも申せ、かような、徒《いたず》らに、血気と、浅慮のみの人間に対して、軽々しく、物を仰せられるな、と」
「浅慮であろうと――同志ではないか」
「同志に対して――」
「計が定まったなら、一々、回状にして、同志へ廻せ、とでも、申すのか? 某は、貴公らと同輩ではあるが、某一人が、計を行う上は、同志であって、同輩ではないぞ」
「貴公と、議論はせん。一言聞く、久光を斬るか?」
「斬らぬ」
「何っ」
一人が、片膝を立てた。
「久光を斬って、何んになるか? 久光公を、根元の、元兇のと、久光公が、斉彬公を呪咀しておられるとでも申すのか。久光公に、逆心があるとでも申すのか? お由羅を残して、久光公を、何んの訳で斬るのか? 申してみい。聞こう。調所は、自滅した。自滅させたのは、誰じゃ。仰々しく、刀を握ったり、膝を立てたり、左様な、軽々しき振舞をする奴輩に、大事が成せるか? 大勢がかりで、某一人を取巻いて、隼人の恥を存じておるか? それとも、一人になって、某と、只今申した事を論ずる仁がおるか? 一人で、某と、果し合う仁がおるか。恥を知れ」
一人は、刀を下へ置いた。一人は膝を坐らせた。誰も、何も云わなかった。
「先刻、某の、頭を突いた者があったの。指が腐るぞ」
益満は、勢よく立上った。二人の襖際の若侍が、身体を開いて避けた。人々は、黙って、益満の出て行くのを眺めていた。左源太が、次の間から、出て来て
「あいつには敵わん」
と、立ったままで、大きい声で云った。
「王侯将相、何《いずく》んぞ種あらんや」
益満の声が、玄関でしていた。
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