手足の不自由な小太郎が、頭の中で描かれた。綱手は、頭の物、着物の類を、下女中に命じて、金に替えさせた。
 その中には、綱手の宝物にしている櫛があった。それは、百城月丸からの、恋の贈り物で、今もさしていたのだが、それも、その売物の中へ加えた。それは、小太郎へ、月丸との不義の恋を詫びようとする綱手の、せめてもの心からであった。
 綱手は、幾度か、その櫛の油を拭いては、眺めながら、月丸が、その櫛を、京の宿の二階で、自分の頭髪《かみ》へさしてくれた時のことを想い出した。そして、小太郎に
(これを、売ります。そして、兄様の、何かの足しに致します。これが、綱手として、今、兄様にお報いできる、たった一つのことでござります)
 と、曇った胸で、云ってみた。そして、月丸へは
(妾の心は変りませぬ。櫛の有無で、決して変りは致しませぬ。貴下も、妾の、兄へ尽すこの心が判って下さったなら、叱りはなされますまい。綱手の、今の辛い心を、察して、赦して下さりませ)
 と、詫びた。
 下女中の、持って戻って来た金に、己の金のありったけを加えて、綱手は、蔵屋敷の門を出た。
 小太郎の宿は、横堀の舟着場所の一つになっている高麗橋の川沿いの家であった。
 橋の上へ来ると、早船は、目印の旗を立て、伏見通いのは、大きい体を横づけにして、川岸いっぱいに、幾十艘も並んでいた。
 柳の植わった岸には、木の下に、大きい荷がいくつも捨ててあるし、岸から歩み板が、幾十枚もかかっていて、船頭が、旅客が、口々にざわめいていた。
 いろいろの講中の札のかかった、軒の低い、だが、横に広い、宿の暗い土間へ入ると、忙がしそうに、家中を往来していた女中が、番頭が、一時に、綱手を見た。
「お着きやす」
 と、云って、一人の番頭が出て来た。綱手が、何も云わぬ先に
「御一人様で――御一人様で」
 と、つづけざまに聞いた。

「さあ――何んと致すべきか」
 小太郎は、腕組して、川沿いの障子近くに、片膝を立てて凭れていた。明るい障子に、水の影が、揺れていた。
「存じておろうが、大殿は、近々、ここを御通行になる。その節、同志の者に逢うて、談合して、国へ戻ってもよし、また――」
 と、いって、小太郎は、綱手を、じっと見つめて
「父上を討った牧仲太郎は、江戸におろうがの」
 と、聞いた。綱手は、眼を伏せて
「はい」
 と、答えた。
「牧が、江戸におろうなら、まず、こやつを討つのが、順序であろう」
 綱手は
「さあ」
 と、答えた。牧を小太郎に討たせたくもあったし、討たせたくなくもあった。小太郎が、牧を討たぬと判れば、月丸も、小太郎を討とうとはしないであろうし、自分の苦しさは、半分消えると、思った。
「それが、物の順じゃ」
「でも、江戸にいなさるか――」
「調所が参った上は、居ろう。調所が死んでも、未だ江戸は離れまい。わしの推察では、益満が、江戸へ戻っておるにちがいない。彼奴の手で、仲太郎を討たれては、わしの弓矢が廃《すた》る」
 小太郎は、独り言のように云った。
「兄様――それから、路銀は?」
「路銀? 持っておるぞ、腹巻に入ったままであるし、義観和尚から、五両もろうた」
「妾も――」
 綱手は、小さい包を出して
「都合して参りました。旅には、何程あっても入用なものゆえ――」
 と、小太郎の前へ、差出すと共に、胸がつまった。
「いいや――有難いが、お前が持っている方がよい。わしは、何んとかする。お前は、女で一人じゃ。まして、敵の中にいて――収めておくがよい」
 小太郎の、綱手を、信じていて、可愛がってくれているのが、綱手には、悲しかった。
(兄は、何も知らない。自分のしたことを、考えていることを、何も知らない。自分は兄を欺いているのに、兄は、自分を昔のように可愛がっていてくれる)
 と、思うと、涙が滲み出てきた。
「何を泣く、泣いて戻る父か――」
「ええ?――泣く?」
 綱手は、固い笑《えみ》を、脣へ上げて
「ふっとして――」
 と、一言いったが、胸の中は、涙でいっぱいであった。
「邸は、時刻が、厳しかろう。戻ってよいぞ。調所が死んだのでは、最早、邸におることもないが、母上と相談して、すぐに、又蔵にでも迎えに来てもらうよう、飛脚を立てよう。無事なのが、何より――」
 小太郎は、心から嬉しそうであった。
「脚は、少し不自由じゃが、剣は、真剣に場馴れて、人には譲らぬぞ」
 綱手は、月丸が、小太郎の腕前のことを、いつか聞いていたことを思い出した。そして、何かしら、二人の間に果合でも始まるように感じた。
「何んとしても、江戸の方へ?――国許へ戻って、同志の方なり、母上なりに――」
「それは、牧を討ってからでよい」
 小太郎の江戸へ戻る決心は、変らなかった。綱手は、これが、兄との一生の見納めだと思った。せめて、兄の、嬉し
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