そうな顔を、心に残しておきたいと、じっと、顔を眺めていた。
「何を見ておる。少し、痩せたであろうが」
と、小太郎は、頬を撫でて、微笑した。綱手は、抱きしめられて、思いきり泣いてみたかった。
斉興、国許への旅中、大阪へ立寄る、日取は――と、江戸から知らせて来たので、大阪蔵屋敷は多忙であった。
塀、壁の修繕、植木の手入れ、調度、器具類の掃除、掛物、什器《じゅうき》類の下調べ、邸の中も、蔵の中も、庭も、門の外も、廊下も、人影と、足音とが、動いていた。
中島兵太夫は、障子を開け放して、植木人足の入っている庭を眺めながら、廊下に立っていた。綱手が
「お召しになりましてござりますか」
と、廊下へ手をつくと
「浜村へ、縁付の一件じゃが、大殿、御越し前に片付けたい。と、申すのは、妹があろうがの、その方に」
「はい」
「その妹が、お部屋へ、無礼を働いた」
「あの、お由羅様に」
「うむ。調所殿の御取計いで、宿元下げ渡しで、けりはついたが、その方のことが、発覚してはおもしろうない。それで、今夜のうちに、堺へ参るよう、手筈を致してある。万事は用人が、心得ておるから、喜兵衛と、相談致すがよい」
「はい」
「月丸にも、そのことを、先刻申しておいた。離れにくい仲であろうが、よく聞きわけて、利発な子じゃ。忙がしかろう」
「いいえ」
「俯向いてばかり居らず、顔を見せてみよ。邸へ参ってから、又、一段と、美しゅうなったぞ、あはははは」
綱手は、父の遺志に反《そむ》き、兄小太郎を裏切り、今また、自分のいったことを、その通りに信用してくれる、人のいい、この中島兵太夫を欺くのかと思うと、百城月丸との恋が、呪わしかった。だが、別れる気はなかった。
(月丸様も、お話を、お聞きなされた上は、出奔の覚悟を、なさって下さったであろう。邸の中は、人目が多いから、打合せはできぬが、自分が、邸を出て行くのを御覧になったら、後を追うて下さるだろう――いいや、いっそ、堺へ行ってしまって、月丸様と、このまま別れたら――却って、月丸様のために、よいのではあるまいか――確かに、それは、よいことにちがいないが、黙って、自分が、抜け出した後に、月丸様は、何うなさるかしら? 矢張り、出奔なさるであろう。さすれば、同じことじゃもの――思いきって、別れ話を、持ち出そうかしら?――でも――でも、お目にかかったなら、別れられはしない。別れられるものか?)
綱手は、自分が何処に居るのかも忘れて、そんなことを、考えていた。
「退るがよい」
兵太夫は、そういって、立上った。綱手は、周章てて
「いろいろと、並々ならぬ、お世話に、相成りましてござりまする。堺へ参りましてからも、後程のことも、くれぐれ、お願い申し上げまする」
と、いいつつ、よくのめのめと、こんな※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]が、いえると、自分で浅ましかった。然し
「これも、恋ゆえ――」
と、思った。
「うむ。浜村と、当家とは、只の間柄ではないから」
と、いいつつ、兵太夫は、庭下駄を履きかけて
「寒うなった。国許は、暖かいが――」
ど、独り言のようにいった。一人の侍が
「次の間の、飾り付けを致しましてござりまする。御見分の程を――」
と、いって来た。それを、きっかけに、綱手は、重い心をして、重い身体を、立上らせた。
侍女部屋には、誰も、居なかった。綱手は、呆然として、つづらに、凭れかかった。
(深雪が――無礼を働いた)
綱手は、一目、深雪に逢いたい、と思った。涙が出てきた。
(何んな無礼?――邸外で、働いたのか、町の中で、働いたのか、それとも、奉公に上ってからか――一体、深雪は、何うして暮しているのだろう)
そう思うと、益満の面影が、ぼんやりと、眼の底に浮んできた。
(箱根の山の中で、いつか、肩へ、手をかけた時――)
綱手は、それを想い出して、独りで、顔を赤らめた。それは、益満への、思慕の心からでなく、自分が、人並よりも、淫蕩《いたずら》娘ではないかしら、という、疑いからであった。
(でも、世間で、十九といえば、子供衆のある人もあるのに――)
そう、自分を弁解して見たが、長上《めうえ》の人の許しもなく、男に肌を許した、ということは、心の底に鉛のように、重くなって沈んでいた。
(妹は、もしかしたら、益満様の指図で、お由羅様を殺そうとしたのではないかしら)
そう考えると、そういう気もした。
(危い、大外れたことを――益満様の教えそうなこと――)
綱手は、深雪の、健気な仕業を称めるよりも、益満に、操られて、危い仕事をした深雪が、可哀そうになってきた。
(深雪に逢いたい。深雪に逢うて、深雪を浜村へとつがせて、一生を、安楽に、送らしてやったら)
そう思うと、死んでゆく姉の自分として、ただ一つ、可愛い妹
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