如く、倒れかかった。人々が
「あっ」
と、叫んだ。三四人が、手を出して支えようとした。
「この毛を、悪神に供え――」
玄白斎は、微かに、こういって、自分の頭の毛を掴もうとしたが、もう、手に力がなかった。
「この舌を――」
人々が、抱き上げると、玄白斎は、舌を噛んでいた。舌が半分、口の外に現れていたが、もう噛み切る力もなかった。白眼を見せて、灰色の顔に、死の蔭が、濃く彩っていた。
三人旅
「のう、深雪、賞めるぜ、俺《おいら》あ――惚れた弱味ってこのことだ。お由羅あ、俺の実の妹で、俺を、この身分にしてくれた、何んだなあ、旦那様みてえなもんさ。そいつを、刺殺《さしころ》そうなんて、八つ裂きにして、串焼きにしてえってのが、人情だが、惚れた人情って奴あ、又、人情の中でも別だわな。その女を、お前、助けようってんだ。何うだい、俺の、真実が判っただろうがな」
小藤次は、深雪の押込められている、薄暗い、じめじめした、鼠の騒ぎ立てる物置部屋の中で、うずくまっていた。深雪は、その前に、膝を揃えて、俯向いていた。薄暗い中に、厚化粧の顔が、冴々として、浮んでいた。
「俺が、必死の命乞いをしたから、そこは実の妹のことだ、いいようにしろって、まあ、命に別条は無え。然し、なあ、深雪、水心あれば、魚心ってんだ。魚心あれば、水心――まあ、何っちでもええやな。憎さが――そうじゃねえ、可愛さ余って、憎さが百倍。こうまでした俺の気を察しねえで、首《かぶり》を、横に振る分にゃあ、俺も男だ、なぶり殺しに殺すか、仲間部屋へ連れ込んで、念仏講にした上で、夜鷹宿へたたき売るか。人間、出ようによって、仏にもなりゃあ、鬼にもならあ――俺あ、お前の生命乞いをして、寿命を、三年縮めたぜ。妹の怒るのも無理はねえや。初めっから、企んで、入り込んだことなんだからのう。それに、俺が、仙波の娘と知ってのことだろう。ぐるになって、妹を殺すつもりかって、叱られたのにゃあ弱ったよ。しかし、流石、薩摩七十七万石を、手玉にとる妹だけに、捌けてらあ、小藤次、お前、あの女に、惚れているんだろうって、図星だね。注意おしよ、一筋縄で行く女じゃあねえから、いうことを聞かして、寝ている間に、咽喉でもやられたら、何うする気かえ、ときたよ。こいつも尤もだ。仕方ねえから、何あに、あっしも男だ、男の力できっと口説き落しまあす、と、大言をはいて来たが、妹の手前だって、お前に、振られた、振られたが、命は助けてやったとは、真逆いえねえじゃねえか」
深雪は、小藤次の言葉を、半分聞きながら、あとの半分では、この場の処置と、父の死のこととを考えていた。そして
(後は、とにかく、この場は、承知しておいて、とにかくも、ここを逃げられるものなら、一旦は逃げ出さなくては)
と、考えた。
「いろいろ、と、込入った事情もあろうが、とにかくだ、人間って奴は何が大切だって、出世が大切だ。大工上りでも、出世すりゃ、先祖代々、馬廻りで候のが、ぺこぺこお叩頭すら。お前が、俺の女房になってみな、化粧料だけで、五十石は、俺、妹からむしり取ってでも、差上げちまうよ。御供女中が、少うても三人つかあ。外へ出るにゃあ、女乗物だ。お前は、武士の娘で、朝から晩まで、御座り奉るで育ってきたから、職人気質は、下品に見えるだろうが、これで、付合うと、なかなかいいもんだぜ」
襖の外には、二人の侍女が、深雪の見張として、坐っていた。小藤次の、時々の大声が漏れて来ると、盗み笑いをしていた。
「俺あ、男の意地で、うんと云わせるんなら、ふん縛っといても、思いを遂げるぜ。俺が、このままじゃあ逃げるかも知れねえから縛って、猿ぐつわをはめてと、一言云や、それでいいんだ。俺あ、そんなことはしたくねえ。俺が、首ったけなら、お前が、臍ったけ、好いてくれりゃあ、只今死んじまってもええと、こういう御心底だ。うん、と承知してくれりゃあ、後とも云わずに、四国町の家へ連れて戻って、内祝言、高砂やって奴は、ちゃんと、美々しくしてからのことにして、今夜の内に、女房だ。ええ、深雪、その方が、当節あ利口だろうぜ」
「ええ」
深雪は、微かに、答えた。小藤次が
「本当かい?」
「ええ」
「判ったかい」
「はい」
「ええが、はいになった。しめたっ」
小藤次が、笑って、おどけた手付《てつき》をすると同時に、深雪も、笑った。自分で、突いたが、厚着のため、一寸、肌へ傷ついただけの疵が、それでも、安心すると痛んでいるのが、感じられてきた。
「一人かい」
と、次の間の女中に聞いて、小藤次は、足早に、お由羅の居間へ入って行った。お由羅は、腰元を対手に、双六をしていた。
「何か、用かえ」
「あの女のことで――」
小藤次が、坐ると、腰元が、賽《さい》を振る手を止めた。
「次は、梅ヶ枝かえ。お振り」
お由羅は
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