免っ」
 と、叫んだ。

 深雪の手には、細身の、五寸程の、懐剣が、握られていた。お由羅が
「あっ」
 と、叫んで、よろめきながら、立上った。そして、両手を、前に突き出して、深雪の刃を、防ぐようにしながら、恐怖と、憐みを乞う心との、混じたような眼で、深雪を見た。
「お許し下されませ」
 深雪は、甲高く叫んだ。そして、短刀を突き出して、一足進むと共に、お由羅は、後方の床の間へ逃げ上った。深雪は、お由羅の眼の中の、恐ろしがっている表情と、自分に憐みを乞うている色とを、感じると共に、声を上げて、泣きたいような気持になってきた。
(許して下さいまし。妾も、お後からお供致します。済みません。勿体無い――妾風情に、あんなに恐れて、あんなに、いじらしい眼で、憐みを乞うて――妾は、決して、決して、お殺し申すような、大それた心はありませぬが、これも仕方の無い――許して下さいまし、妾も、何うしていいのか?――何うしたら――)
 そんなことが、きらきらと、頭の中に閃いた。短刀を突き出して一足進んだきり、お由羅を見つめて、立ったままであった。何故かしら、勿体ないようでもあり、気の毒のようでもあり、可哀そうなようでもあり――突いてかかれなかった。
「たわけがっ」
 調所は、叫んで、立上った。
「誰か――誰かっ、早く」
 と、お由羅が、叫んだ。お由羅が、こう叫ぶと、同時に、深雪は
(見苦しいっ――何んという、周章てた振舞、いつものお部屋様に似ず――)
 と、感じた。そして、そう、感じると、何故かしら、腹が立って来た。
(町人上りの――)
 と、微かに、憎らしくもなってきた。そして、短刀を振上げて一足迫った。その刹那、調所が立上って来て、深雪の、右手を掴んだ。そして
「放せっ」
 と、叫んで、短刀を持った手を、力任せに、締めつけた時、二三人の女中が、襖から、中をのぞくと
「あっ」
 と、叫んで、駈け込んで来た。深雪は、ちらっと、それを見ると、その瞬間、懐剣を、自分の胸へ突き刺した。そして、よろめいた。眼がすっかり、上ずってしまった。顔色は、灰色であった。
 二三人の女中が、蒼白になりながらも、深雪を、後方から抱きすくめるのと、調所が、深雪の手から、懐剣をもぎとるのと、同時であった。
 次の間には、高い声と、それから、幾人も幾人も入って来て、深雪を取巻いたり、お由羅へ
「御無事で」
 とか
「如何なされました」
 とか、口早に、騒がしく喋った。調所が
「医者を呼んで、手当をしてやれ。一同、出い。これしきに、何を騒ぐ」
 と、怒鳴って、未だ、何か、声高に云いつつ、深雪を、運んで行く女中達へ
「静かにせんか」
 と、叱りつけた。
 お由羅は、蒼白な顔に、固い微笑をして、着物をつくろいながら、脇息を引寄せて、元の座へ坐った。
「大外《だいそ》れた――」
 と、いう呼吸が、喘《はず》んでいた。
「お方を斬れと、命じられたのでござりましょう。然し――」
「目をかけてやっておるに――」
「だから、斬るに、斬られず。察しておやりなされ。あの女と、地をかえて、あの女になったとして――きつい処分をせずに、狂人にして、宿へ下げてしまいなされ。小女の一人、二人、罪にしたところで、手柄にはなりませぬ。平生慈悲をかけられて、親からは、何か申しつけられて、十七や、八で――お方など、あの娘盛りには、四国町の小町娘で、付文を読むのに忙がしかったばかりでござろうがな。あはははは」
 お由羅も、笑った。
「許してやりなされ。よい、功徳になりまする」
「許しましょう」
「有難うござりました。齢寄りの手前として、それが何より、有難うござりました」
 お由羅は、調所も、老いてしまったものだ、と思った。

 仏壇の中の黄金仏は、つつましく、燈明の光に、微笑んでいた。白い菊の供え花、餅、梨、米――それから、新しい金箔の光る先々代、島津重豪の「大信院殿栄翁如証大居士」と書いた位牌が、中央にあった。
 金梨地の六曲屏風で、死の床を囲って、枕元には、朱塗の経机が置いてあった。そして、その上には、紺紙金泥に、金襴の表装をした経巻一巻と、遺書を包んだ袱紗《ふくさ》とが、置かれ、その机と、枕との間には、豊後国行平作の、大脇差が、堆朱《ついしゅ》の刀掛けに、掛かっていた。

 調所は、白麻の袷を重ね、白縮緬の帯をしめて、暫く、仏壇の前で、黙祷していたが、手を延して、経机の下から、金の高蒔絵をした印籠を取出した。そして
「お流れ頂戴仕ります」
 と、小声でいって、仏壇に供えてあった水を取下した。印籠を開けると、黒い、小さい丸薬が、底の方に、七八粒あった。調所は、それを、掌の上へ明けて、暫く眺めていた。部屋の中を、静かに、見廻したり、俯向いたり、又、丸薬を眺めたり――そして、微笑して、口のあたりへ、掌をもってきた。それか
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