った。そして、耳許へ口が近づいて
「打明けて――某、命にかけてのこと」
月丸は、喘ぐように囁いた。綱手は、頭の中が、唸り渡っているように、しびれているように――脚を固くしめて、月丸に握られている腕を、引放そうとしながら、全身を恥かしさで火のようにして、顫えていた。月丸は、綱手の腕を握ったまま、耳許で
「命にかえて他言せぬ。きっと――そうじゃ。本心は父と同腹であろう。恋する者には、対手の肚の中まで読める。命にかけての――綱手殿、命をかけて――」
月丸は、女の耳朶へ、時々、脣を触れさせつつ、微かに、だが、情熱的に囁いた。そして、両手で、腕と、肩とを抱きしめていた。綱手は、顫えながら、そして、軽く抵抗しながら、肩が、腕が、肉体が、血が、男の締める力を快く感じているのを、何うすることもできないで、羞恥と、興奮とで、物もいえなかった。
「百城様――」
「うむ」
月丸は、眠りかけているらしく、鈍い返事しかしなかった。綱手は
(こうなりました上は、一生、見棄てないで――)
と、云いたかったのだが、口へは出せなかった。
(眠っていらっしゃるなら、丁度いい。そんな恥かしいことが、口へ出せるものか)
とも、思ったが、月丸が、ただ、うむと一言だけしかいわなかったのが、ひどく物足りないようにも感じた。そして、だんだん眼の冴えて来る自分と、もう、眠りかけている月丸を較べて
(男というものは、こんな人間の大切な時に――一生に一度の大事な時に、こんな気楽なものかしら?)
とも思った。
身体中が、熱っぽいようでもあるし、しびれているようでもあるし、何かが抜け出したような感じもするし――不安でもあるし、幸福にも思えるし――生娘で無くなったという後悔は、少しも起らないで、明るい未来の空想だけが、いろいろ金色の鳥のように羽を拡げて翔け廻った。だが
(兄上は?)
と、思うと、一寸、暗い気もするし、八郎太を埋葬したところが、すぐ、頭近くの外にあると思うと、済まぬような気もしたが、それはすぐ
(でも、この方が、親身になって力を添えて下さって、きっと、お志は貫きますから――)
と、いう弁解をして、大して、心が咎めなかった。それよりも、兄と、八郎太とに対して、月丸を獲たことを誇りとするように
(よい男で、お強くって、お利口で――本当に、妾を可愛がっていて下すって――どうぞお喜び下さいませ。お母様は、きっと、嬉しくお思いでしょうが、お兄様も、お父様も、百城様を御覧になったら、決して、お叱りにはなりますまい。淫らな綱手ではござりませぬ。ちゃんと考えて、お父様のお志を継ぎ、兄様の手助けにもなり――それから、妾のよい夫として、申し分の無い方だと思って、許したのでございます。それも――それも百城様から――あちらからせがまれて――何も、妾から、手を、口を出したのではござりませぬ――)
綱手は、父に、兄に、母に、こう説明をしていたが
(益満――)
と、思うと、はっとした。
(妾は、益満様を好いていたのに――二人を好くということは、操の正しい女ではないのかしら?――いいや――いいや――益満様は、ただ、一寸、好きな人。百城様は、夫――一生添うて行く、妾の夫――)
綱手は、微かに聞える月丸の呼吸を、全身で聞きながら、何か、もっと話して欲しい、といったり、手でも、足でもいいから、一寸触れたい、と思ったり――だが、つつましく、固くなって、闇の中で、ただ一人、心を、眼を冴えさせていた。
時々、梢を渡る風の音と、何んとも知れぬ鳥の叫びと、自分の寝間着のすれる音の外、何一つ聞えない静寂さであった。
(もう、何刻かしら――)
と、思った。そして
(眠くなった。疲れているから――百城様も、本当に、今日はお疲れでいらっしゃるだろうから、お眠いのも無理はない)
と、思ったりしているうちに、眠入《ねい》った。月丸が、静かに身体を動かして
「えへん」
と、小さく咳をした。綱手は、動きも、答えもしなかった。
(眠ったな)
と、月丸は、思った。そして、静かに、蒲団の中から抜け出した。
月丸は、帯を締め直した。そして、自分の蒲団の中に入れてあった脇差を差した。
(この女を利用して、敵党の秘密をさぐり出す――忠義の前には、こういう手段も仕方はあるまい)
月丸は、暫く、綱手の寝息をうかがってから、立上った。そして、足音を盗んで、障子を忍びやかに開けた。冷たい廊下、冷たい風の中へ出た。
(だが――わしは、この女に惚れてもいる。それは、本当だ。だが、味方をするといって欺きもした――欺いたが、好きは好きだ――好きな女を――欺くということ――それも、武士としては致し方が無い。いいや、それが、武士の辛い道だ――然し、この女に、それが判るだろうか?)
月丸は、そう思いながら、跣足のまま、苔のつ
前へ
次へ
全260ページ中113ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング