。汚い、白い蒲団、汚い、白い着物。陰気な部屋。それは、自分達一家の宿命の色のように、しみじみと、悲しく、淋しく、綱手の胸をしめつけた。そうした色彩の中に、医者でもない僧侶に、看護されて、こうしている小太郎は、もう生き返らぬ人のように思えた。
「明日になれば、熱も下って、人心地がつこう」
 義観が、土鍋のところから、声をかけた。
「山は寒いで、熱には毒じゃが、疵にはよい」
「いろいろと、お世話下されまして、忝のう存じまする」
 綱手は、小太郎の側から、礼を云った。
「今夜は、この下の寺で泊って、明日、病人と、口を利いて戻るがよい」
「はい」
「父御《ててご》の墓参りもするかの」
「はい、その、お墓は――」
「一寸、降ったところにある、案内しよう」
 義観は立上った。綱手は、自分の家の出来事でなく、他人の世界の出来事を見ているような気がした。一月程の内に、江戸の長屋から追い出され、道中、父の死、兄の病――自分の生きているこの世の中の出来事として、その一つ一つを、はっきりと、感じる暇もなく――感じるにしては余りに大きく、深く、悲しいことが、引っきりなしに起って来たので、頭がぼんやりしてしまっていた。
「父の墓」
 と、云われても、何っかに未だ父が生きているようで、死んだとも、斬られたとも思えなかった。
 汚れた草履を履いて、義観の背後からついて行くと、竹樋《たけどい》から水の落ちている崖の下を降って、少し行ったところに、二尺四方に近い石を置いて、土の高くなったところがあった。義観が、その前に佇むと、綱手は、その土を見た。同時に、涙が湧いて来た。
「極楽往生はしておられる」
 義観は、朗かに、自信ありそうに云った。
 綱手は、石の前に、跪《ひざまず》いて合掌した。合掌すると、ただ、無闇に悲しくなって、涙が、いくらでも出て来た。
(兄もああだし――母がここにいたなら、三人で、ここで死んでもよい、死んだ方がよい。このお坊様に、回向《えこう》してもらって、この浄らかな山の中で、静かな――ほんとに、静かな――何んという騒々しい、いやな、世の中であろう。こんなところに住んで、何も見ず、何も聞かずにおったなら、何んなに楽しいであろう?)
 自分の一家の運命と較べて、綱手は、いろいろのことを思った。
「それだけ泣けばよい。泣くと、胸が納まる。父御は、極楽で、今頃、いい御身分になっておられる。安心するがよい」
 義観は、こう云って、堂の方へ歩み出した。百城は、最後の合掌をして
「綱手殿」
 と、云った。綱手は、泣いた醜い顔を、百城に見せたくはなかった。袖で蓋《おお》うて、立上った。

 床は、ちがっていたが、初めて他人の男と――それも、お互に好意をもっている男と、同じ部屋に寝なければならなかった。
 綱手は、正気の無い兄、小太郎の身体を案じ、斬り刻まれた亡骸《なきがら》を埋めている父を悲しむと共に、こうした場合の自分の身躾《みだしな》みについても、細かい用意をしなくてはならなかった。
 武家育ちとして、人に素の肌は見せぬものと、教えられていたし、嫌いでない百城の前であったから、風呂で、白粉をつけはしたが、鏡が無かった。
 滅入るような、薄暗さと、静けさとの中で、綱手は、鏡無しでつけた白粉の、のり、紅の濃淡、髪の形を気にしながら、百城の前で、じっと、俯向いて黙っていた。
 何か、月丸と、話をしたいし――話でもしなくては、耐らなく淋しいし――話しかけても欲しかったが、それでいて、月丸から、話されることを、想像すると、胸が、どきんとした。
(恋であろうか)
 と、思うと、いつか、箱根路の闇の中で、益満の身体に触れたことが思い出された。
(大事の時に、何んという淫らな心――)
 と、自分を叱ったが、いくら、叱りつけても、滑らかな、暖かい乙女の肌が、その時の感じを喜んでいて、益満の臭が、鮮かに、頭の中へ、蘇ってくるように感じた。
 そう思って、俯向いていると、月丸が、じっと、自分の顔を凝視めているような気がした。そして
(白粉が、斑《まだら》なのかしら)
 と、思うと、何んだか、それ一つで、月丸が、自分に愛想をつかすようにも思えた。
「静かだ」
 月丸が、呟いた。綱手は
「本当に、静かでございますこと」
 と、云いたかったが、いおうとしている内に、いいそびれてしまった。
(もう一度、何か、云ってくれたなら――)
 綱手が、こう思った時
「綱手殿」
 綱手が、顔を上げると、月丸が、正面から眺めていた。綱手は、俯向いた。
「はい」
「再び、お身を悲しませるようなものじゃが、八郎太殿はお亡くなりになったし、小太郎殿は――よし、命を取り止むるに致せ、あの深手では、不具――悪く参れば、不具とならんも計り難いし、又、腕の筋一つちがっても、二度とは、刀のとれんこともあるし―
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