早く捕えい」
供部屋の人々が、一時に、起き上った。一人が燧石を打った。閃滅する、微かな光の中に、人々が、刀を持って立っているのが判った。だが、調所の部屋までは、光が届かなかった。
二人が、廊下へ走って出た。調所の部屋へ入ると、一人が、襖の右の方へ立った。一人が、左の方へ立って、両方から包囲しようとした。付木がついたので、行燈へ灯が入ると共に、調所が、
「床の間を見てみい。片腕が、落ちてる筈じゃ」
と、いつもの調子で云った。南郷が、行燈を持って床の間へ近づいた。灯のとどくようになってきた床の間を、すかして見ていた調所が、首を延して
「無いか」
と、叫んで、寝床の上へ立上った。そして、床の間へ足早によって、手函の中を覗いた。眼が光った。
「しまった」
と、呟いた。床の間の上には、血が、夥《おびただ》しく淀んでいた。そして、確かに、落ちている筈の腕が無かった。南郷は、行燈を置いて、四方を見廻していた。
「追えっ。遠くへは、行くまい。血の跡があろう。宿の者を起して、街道、抜道へ、すぐ手配りするよう」
供の人々は、一時に、廊下へ出た。調所は、寝床の上に立ったまま、血の真黒に淀んでいる床の間を、睨みつけていた。
(あの中の書類には、密貿易の証拠となるべき物がある。もし、人の手に渡ったとして、その人に依っては、自分の破滅だけではない、島津の破滅の因になるかもしれぬ。鼠賊だと、侮ったのが不覚であった。相当心得のある忍び者であろうか?――それにしても、確かに、斬り落した片腕の無いのは?)
宿の中が、急に騒がしくなって、番頭が、足音忙がしく入って来た。
「まことに、相済みませぬことで――入ったような形跡はござりませぬが――」
「宵に、酔って踊って来た奴があったのう、あの部屋を調べてみい」
「かしこまりました。裏道、抜道へは、よく知った者を出しましたし、御役所へも走らせましたから――」
調所は、黙って、床の間へ歩いて行った。手函の空なのが、血の上にあった。覗き込むと、その中にも、血がたまっていた。
(破滅か)
調所は、静かに蹲んで、眼を閉じた。
(俺は、もう、いい齢だ。いつ死んでもいい。功も成し遂げた。名も残るであろう。総てを、己一身に負いさえすれば――主家には、難題のかからぬ法もある――だが、捕まるものなら、捕まえたい――もし、宵の男なら?――あいつなら、金と、書類とを間違えたのであろう――それにしても、腕の無いのは――)
調所は、寝床の上へ坐って、腕組しながら、自分のしてきたことを、昔から、細かく想い出してみた。
庄吉は、自分の斬り落された右の小腕を、しっかと、左の手で掴んでいた。そして、掴まれている小腕は、又手函の書類を、しっかり、握りしめていた。
庄吉は、右手の切口を、箱の蓋の中に入れて、血の落ちるのを防ぎながら、作っておいた裏手の逃路から出ようとした。その途端、調所の部屋の方で、大勢の足音がした。庄吉は、自分の傷を知って、長く逃げられぬと思ったから、すぐ右手の納屋の中へ入って、隅の方の薪、炭俵の積み上げた中へ、もぐり込んだ。
傷口を縛ろうとして、左手で握っている自分の、斬り落された腕を、下へ置こうとしたが、何故か自分の手から放すのが厭なような気がした。斬り落された小腕は、愛人のような、愛児のような、自分の命のような――何にも更え難い、可愛い、そして、不憫なもののように、思えた。自分の手から放すと、自分を怨んで泣くように感じた。
(しっかり、そいつを握って、暫く、待っていろ。俺《おいら》あ、血を止めねえと、命にかかわっちまうからの)
と、頭の中で、腕にいい聞かせて、自分の股のところへ立てかけた。そして、手拭、頬冠りの黒い布、襦袢の袖、腹巻の布と、ありったけの布で、二の腕の上を縛り、傷口を巻いた。
頭が少しふらつくようで、額が冷たく、呼吸が、いくらか早くなっていた。
(いけねえ、このまゝ死ぬんじゃあねえかしら?)
腕から、肩へかけて、灼け、燃えるようで、身体の底まで、疼痛《とうつう》が突き刺した。人々の叫び声と、走る音と、提灯とが、すぐ前で、飛びちがった。
(何うにでもなれ)
炭俵に、身体を凭せかけて、足許へ置いておいた腕を懐へ入れた。腕はもう冷たくなって、切口からは骨が尖り出ていた。
庄吉は、自分の命が、この腕の中に籠っているように感じた。この腕に、書類を握らせておいたら、自分が持っているよりも安心だし――
(ひょっとしたら、この腕に、足が生えて、深雪のところへ、この書類を届けてくれるかもしれんぞ)
と、いう気さえした。斬り落されて、もう、生命の無い小腕だとは、十分に分っていたが、庄吉には、何うしても、生きていて、奇蹟を現すもののように思えた。
(こういう廻り合せだったのかなあ――最初あ小太郎に折られ
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