ものが、触れた。指で探ると、蒔絵をしてあるらしく、撫でて行くと、一尺四方程の――それは、確かに、手函にちがいなかった。
(しめたっ)
庄吉は、両手を蓋へかけて、引上げたが、細工のいい函の蓋は、すぐには、持ち上らなかった。
(函ぐるみ)
と、思ったが、目的は、書類であった。この函の中に無かったら、又、別のところを探さなくてはならぬから、左手で、下の方を押えて、右手で、蓋を開けようとした。だが、小太郎に折られて、十分に癒りきっていない手であった。蓋は、一旦浮いたが、手がすべった。ことり、と音がした。
「誰じゃ」
調所は、静かに、咎めた。そして、波の平の脇差をとって、蒲団の上で、居所を、少し変えた。声を手頼《たよ》りに斬りかかられても、空を斬らす、心得からであった。そして、脇差を抜いて、じっと、闇の中で、床の間の方の気配をうかがっていた。
低い、静かな声であったが、庄吉は、見えぬ手で、一掴みにされたように感じた。じっと、呼吸を殺しているより外に、仕方が無かった。
(侍を呼びやがるかしら――)
と、感じると、見えぬ闇に、槍が、手が、刀が、迫って来るように思えた。このまま、鼠の如く縮み上っているか、鹿の如く逃げ出すか?――だが、庄吉には、折角、手をかけた手函を捨てておくことは、男の意地として、出来なかった。
(まさか、調所の爺め、闇の中で眼が見える訳じゃあるめえし!)
手函を持ったまま、じりじり後へ下りかけた。だが、いつ、調所が声を立てて、侍を呼ばんにも限らないと考えると、もう、じっとしておれなかった。
(この中のものさえ掴んで逃げりゃあいいんだ。中のものを――)
調所は、そのまま、音のしないのを知ると、脇差を突き出して、じりじり床の間の方へ寄って来た。
(刺客ではないらしい、金をほしさの枕探しか――それとも、密貿易《みつがい》の書類を盗みに来た奴か――)
調所には、この判断がつかなかった。ただ、曲者は一人で、まだ床の間にいるらしい、とだけしか判らなかった。
(こそ泥なら?――侍を呼び立てて、宿中を起すのは、武士として恥だ。書類を目掛けている奴なら?――然し、そんな奴は、いない筈だ――こそ泥であろう。懲らしめてやればよい、もし、大それた曲者なら、その時、声を立てても遅くはない、この宿の中を、そう早くは逃げられるものではない)
そう考えたが、調所は、もう一度自分から声を立てて、曲者に、自分の居所を知らすのは、危いと思った。何う、反撃されるか、判らないからであった。
庄吉は、呼吸をこらしながら、手函の蓋を、静かに引きあけた。そして、音のせぬよう蓋を懐に入れた。函の中へ手を入れると、その中には、予期していたように、ふくさ包の、書類らしいものが、入っていた。
庄吉は、それを右手で掴み出すと共に――闇の中から、刀が首筋へ、今にも、斬り下ろされるように感じた。誰も入って来なかったが、四方から取り巻かれているように、身体が、恐怖で、縮んできた。
(糞っ、食え)
と、肚《はら》の中で叫ぶと――今まで、自分の部屋を出た時から、音を立てぬように、出来ぬ辛抱を、気長にしてきたのが、もう、耐えられなくなってきた。
(勝手にしゃあがれ、べらぼうめ、書類さえ握りゃあ、こっちのものだ)
と、思うと、同時に、音の立たぬよう左手で持ち上げていた手函を、床の間へ置いた。ことり、と音を立てた。
「えいっ」
その声は、低い――だが、力のあるものだった。庄吉が、首をすくめた刹那
(しまった)
と、肚の中で、絶叫した。右腕に、灼熱した線が当ったと感じると、腕を貫いて身体中に激痛が走った。ぼっと、音がした。血の噴出する音だった。庄吉は、ぐらっと右手へよろめいた。そして
(腕を斬り落された)
と、感じた。自分では、指も、手首も、未だくっついているように思えたが、激痛に縮み上るような右手へ、左手を当てると、腎《ひじ》から切り落されてしまっていて、生温かい血が、すぐ指の股から、流れ落ちた。
(しまった)
と、思うと同時に
(畜生っ)
庄吉は、眩暈のしそうな、頭を、身体を、じっと耐えて、左手で、素早く、書類を握りしめたまま斬り落されている腕を掴んだ。
調所は、十分の手答えを感じた。腕を斬り落したのが、明瞭《はっきり》判っていた。安心して、然し、十分に注意しながら脇差を構えたままで、暫く、じっとしていたが――ふっと、障子の方に、人の気配がしたので、耳を立て、目をやると、微かな足音が遠のいて行った。調所は
(しまった)
と、心の中で叫んだ。そして、その瞬間、大声で
「南郷っ」
と、呼んだ。答えが、無かった。
「南郷」
「はっ」
「曲者が入った」
その大声の口早の、平常の調所の声でない声と同時に、襖が開いた。
「御前」
「曲者だっ。逃げたらしいが、
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