ったことを考えて、自分の身の破滅を空想するくらいに、怖れていた。そして
(いいや、まさか――)
 と、打ち消してもみたが、到底、自分達女の手には及ばぬ人のように思えた。だが
「町人へ嫁入りせんか」
 と、いう言葉は、調所が、本当に、親切からいったものだとは、思えた。そして、その時の調所の眼、言葉つきを考え出すと、二人は安心してもいいようにも感じた。
「母様――妾――お嫁入り致しましょうか」
 綱手が、低くいった。
「ええ」
 七瀬が、眼を上げると、綱手は、俯向いたままであった。
「御家老様の仰せに従わぬと――」
「それもあるが――嫁入りして仕舞うては」
「でも――あの御様子では、油断も、隙も」
 それだけいって、二人は黙ってしまった。
「妾は――」
 綱手は、やっとしてから
「何事も、諦めております」
 七瀬は、道中での、いろいろの危険、斬られた人、斬った人のことを、想い出すと、調所のいう通り、町人へ嫁入させ、一生安楽に、せめて、綱手だけでも送らせてやったら、と思った。
(そして、このことは、自分が探るとして――国許へ戻ったとて、御家のために、さして働ける身でもなし――)
 と、思った時、一人の女中が
「百城様が、それ」
 と、朋輩にいって、声を立てて笑った。七瀬が、女中の見ている方を見ると、さっき、ちらっとだけ見た、若い、美しい侍が、廊下を足早に通りすぎていた。女中達が、甲高い笑い声を立てて、肩を突っついたり、膝を打ったりしていた。
(妾等二人に較べて、この人達は、楽しそうに――)
 と、七瀬が、娘を見ると、綱手は、身動きもせずに坐っているらしかった。
(深雪は、何うしたことやら? 夫も、小太郎もどうなることか? 広い世界に、たのむのは、綱手ばかり――)
 と、思いかけると、かたい決心が、だんだん悲しく、崩れて来るようであった。
(益満と、もっと早く、許婚にでもしておいたら――)
「お湯を、お召し下されませ」
 女中が、後方で、手をついていった。七瀬は、振返って
「はい、はい」
 と、周章てて御辞儀した。綱手は、顔もあげなかった。

  死闘

 根本中堂《こんぽんちゅうどう》の上、杉木立の深い、熊笹の繁茂している、細い径――そこは、比叡山の山巡りをする修験者か、時々に、僧侶が通るほか、殆んど人通りの無い、険路であった。その小径を、爪先登りに半里以上も行くと、比叡の頂上、四明ヶ岳へ出ることができた。
 牧仲太郎は、その頂上で、斉彬の第四子盛之進を呪殺しようと――大阪からの警固の人数の上に、京都留守居役の手から十人、国許から守護して来た斎木、山内、貴島、合して二十四人が、夜の明けきらぬ白川口から、登って行った。
 根本中堂で、島津家長久の大護摩を焚き、そして、自分等も、いささか心得ているから、四明ヶ岳で、兵法の修法をしたいから、余人を禁じてもらいたいといって、金を包むと、すぐ快諾して、僧侶が二人、見張役として、案内役として、ついて来てくれることになった。
 熊笹の茂った、木の下道を行く時分から、袷では肌寒になって来た。頂上へ出ると、人々は、一望の下に指呼することのできる大津から比良へかけての波打際と、太湖の風景、西は、瀬田から、伏見、顧みると展開している京都の町々に、驚嘆したが、すぐ袖を掠《かす》める烈風に、顔をしかめて、寒がった。
 牧は、其処、此処を歩き廻ってから、斎木と貴島とを呼んで
「縄を張ってくれ」
 と、草の中へ線を引いて指図した。二人が用意の杭と、縄とを包から取出すと、他の人々が杭を四方へ打ち込み、縄を引いて、七間四方の区画を作った。牧は、その真中へ、自分で、杭を打ち、縄を三重に張って、三角の護摩壇を形造った。そして、中の草を焼き、塩を撒き、香を注いで、土を浄めてから、跪いて、諸天に祈った。斎木も、貴島も同じように祈ったが、他の人々は、何うしていいか判らないので、その祈りを眺めたり、景色を見廻したりして、寒さに震えていた。牧が、祈りを終って立上った。
「余人を、一人たりとも上げないように――人数を三段に配置して、二人は根本中堂の上に、四人は中堂と此処の途中に、その他の人は、此処にいて、万一のために、四方を戒めていてもらいたい。寒かろうが、酒は禁断」
 牧の、いつも、人を圧倒するような気魄、それは、剣客が、剣をもって立つと、すぐ対手の感じる、人を圧迫するような気魄であるが――牧は、対座している間にでも、その眼から、その身体から、何か人を圧迫するものが放射されていた。
「誰々が下へ、誰々が上へ」
 と、天童がいうと、
「よろしいように」
 と、答えて、側《かたわら》の僧侶に
「水のあるところは――」
 僧侶は、遥かの下の白い路を指さした。
「あの、こんもりと茂った木立の――」
「聞けば、判ろう」
 こういい放った牧は
前へ 次へ
全260ページ中75ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング