世話をしてやろう。一口にお前ら町人と蔑《さげす》むが、国の軽輩、紙漉武士等に、却って天晴れな人物がおるように、町人の方が、近頃は武士よりもえらい。わしも、何れ程、町人から学文したか判らん。浜村へ世話をしてやろう。このくらいの別嬪なら喜ぶであろう。なかなかあでやかじゃ。裁許掛見習などを勤めて、四角張って、調伏の、陰謀のと、猫の額みたいなことに騒いでいる奴の娘にしては、出来すぎじゃ。ゆっくり、長屋で休憩して、よく考えてみるがよい。これからは、町人の世の中――」
と、云って、立上って
「町人の世の中じゃぞ――今、長屋へ案内させる」
と、廊下へ出て、独り言のように云って、何っかへ行ってしまった。二人が
(調所様は、こっちの企みをお察しなさっておられるのではあるまいか)
と、胸をしめつけられてきた時、二三人の侍をつれて、調所が戻って来た。そして
「案内してやれ」
と、その後方からついて来ている女中に命じた。そして、自分は侍達と、何っかへ行ってしまった。
大きい眼鏡をかけて朱筆をもって、時々、机の上の算盤を弾きながら、分厚の帳面に何か記入していた調所が、筆を置いて
「袋持《たいもち》、別嬪じゃろうがな」
と、振向いた。袋持三五郎は、紺飛白《こんがすり》の上に、黒袴をつけたままで
「何者でござりますか」
調所は、それに答えないで、机の向う側に坐っていた二人に
「〆て」
二人が、算盤をとって、指を当てた。
「一つ、鬱金二万三千二百八十五両也。一つ、砂糖、十一万飛んで九百三十六両――百城、異国方槍組へ、廃止に就いて御手当を渡せと、定便で、差紙を出したか、何うか、納戸方で聞いて参れ」
百城が立って行った。
「いろいろに、小細工をしよっていかん。薩摩隼人の極く悪いところじゃ。金に吝《きたの》うて、小刀細工が上手で、すぐ徒党を作って――」
「何か、江戸で騒いでいる模様でござりますが――」
「今の別嬪も、その片割れじゃが――何うも、斉興公が、斉彬公に、早く家督を譲って、それで己が出世しようという――斉彬公を取巻く軽輩には、多分にそれがある」
「然し、島津の家憲では、御世子が二十歳になられたなら、家督をお譲り申すのが常法でござりませぬか」
袋持は、調所に、遠慮のない口調で、いい放った。
「幕府も、いろいろ手を延して、早く、斉彬公の世にしてと、阿部閣老あたり、それとなく匂わしておるが――一得一失でのう」
「一得一失とは」
「お前には判らん」
百城が廊下へ膝をついて
「まだ差立てませぬと、申しておりました」
「いかんのう――兵制を改めて洋式にしたので、異国方め、ぶうぶう申しておる最中に、廃止手当を遅らせては――」
調所は、国許の反由羅党、反調所党の顔触れを見た時、すぐそれが斉彬擁護の純忠のみでなく、兵制改正、役方任廃に就いての不平者、斉彬が当主になれば出世のできる青年の多いことが目についた。
(そうだろう。そうそう忠義ばかりで、命を捨てられるものではない。万事は金、原因は何うあろうと、今度の動機は利害のこと――結果も、利害で納まるだろう)
「別仕立で早く、渡してやれと、申しつけい」
調所が、百城に命じた。
「立身出世は、あせってはいかん。わしが、この藩財を立直す時には、三十ヶ年かかると思うた。朝五時に起きて、夜十時まで――町人に軽蔑され、教えられ、幾度も死を決して、やっと見込みのつくまでに三年かかった。それから、江戸、大阪、鹿児島と三ヶ所を、年中廻って、三十年が、二十年でこれだけになった。三ヶ所に積んだ軍用金が三百万両、日本中を敵として戦っても、三年、五年の程は支えられよう。これを顧みると、ただ辛抱と、精力と、この二つの外に出ない。同じ人間に、そう奇想天外の策のある訳はない。周章ててはいかん。斉彬公の世にならんでも、役に立つ奴は、判っている。袋持、そうでないか」
袋持は、調所が、軽輩から登用した若者であったが、調所の一面には、ひどく敬服していたが、一面に又、深い物足りなさがあった。
「お前の嫁にも丁度よいの」
と、調所は云いすてて、すぐ又、帳面をのぞき込んだ。
女中達の溜りからは、薬草を植えた庭が、見えていた。鶏が、そのあたりに小忙《こぜわ》しく餌をあさっていた。それから、馬屋が近いらしく、ことこと踏み鳴らしている蹄の音が聞えていた。
一人が親子を案内して来ると、女中達は、手をとめ、足をとめて、二人を眺めた。二人は丁寧に御辞儀しながら、片隅へ坐って、俯向いていた。女中達は、すぐ、お互に、二人のことを囁き合った。そして、出て行ったり、道具の手入をはじめたりした。
(御家老は、二人の――いいや、夫の心の底まで、見抜いていらっしゃるかも知れない。島津の家を助けた方だから、そのくらいは、御発明かもしれぬ)
七瀬も、綱手もそうい
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