だけが真向から二つに斬られなくてはならなかった。
こういう時になると、それは技量の問題でなく、肚の問題であった。生死の覚悟如何の問題であった。二人の間に格段の相違があればとにかく、互角か、互角に近かったなら、それは、場馴れているとか、いないとかの問題でなく、自分の命を捨ててかかった方が勝であった。
(ここを逃れて――牧を討たなくてはならぬ――)
と、考えている奈良崎に、この覚悟がなかった。一木の、眼の凄さと、脚構えを見て
(さては――)
と、感じた瞬間、一寸、怯け心がついた。それは、剣道で、最も、忌むべきものとされているものだった。疑う、惑う、怯ける――どの心が起っても、勝てぬものとされているものだった。
奈良崎は、一木の光る眼、輝く眼、決死の眼が、礫《つぶて》のように、正面から飛びかかって来たのを見た。一木の両手の中に、紫暗色をして、縮んでいた刀が、きえーっ、と、風を切って、生物の如く叫びながら、さっと延び、白く光って、落ちかかるのを見た。
奈良崎は、避けた。それは、自分の命令で、避けたのでなく、本能的に、反射的に、身体が勝手に、自然に避けたのだった。それから、奈良崎の両手も、無意識に刀を斜にして、一木の打ち込んで来る刀を支えようとした。
だが――奈良崎が、避けたはずみに、隣りの味方――浪人者の一人へ、身体がどんと、ぶっつかった。お互に、よろめいた。奈良崎は膝をついた。そして、眼を剥き出し、絶望的な光を放って、一木を睨んだ。その瞬間、一木の打ち込んだ刀が、びーんと腕へ響いた。奈良崎は、膝を立て直そうと、片足を動かした時、太腿に、灼けつくような痛みと、突かれたという感じとを受けて、腰を草の上へ落してしまった。
「卑怯、卑怯」
奈良崎は、血走る眼、歪んだ脣、曲った眉をして、叫んだ。誰に叫んだのか、自分でも判らなかったが、こうでも叫ぶほか仕方がなかった。だが、一木は
「えい、えいっ、えいっ」
それは殺人の魔に憑かれた人間のように、倒れかかっている奈良崎へ、力任せに、つづけざまに、大太刀を打ち込んで来た。奈良崎は、その隙間なく打降ろす刀を受けるだけで一生懸命であった。二人とも逆上したように、憑《つ》かれたように、同じことを繰返していた。
「わーっ」
それは、杉木立の中へ、反響して、空まで響くような叫び声であった。そして、すぐ奈良崎の頭へ誰かが斬られたらしい生あたたかいものが、小雨のように降ってきた。
「これでも――これでも」
一木は、歯を食いしばって、頭上のところで受けている奈良崎の刀を、つづけざまに撲《なぐ》った。
人の絶叫と、懸声とが、人間の叫びとは思えぬくらいに物凄く、杉木立の中へ木魂していた。
誰の米噛もふくれ上っていたし、額からは汗が流れていた。眼は、ヒステリカルに光って、それは、物を見る穴でなく、殺人的気魄を放射する穴に変っていた。
浪人達は、三重の不利があった。一つは、ここを切抜けて牧を討つのが目的であったし、もう一つ、地の利を対手に占められていたし、第三は、得物に槍の無いことと、人数の少いことであった。
だが、それよりも、もっと大きいのは、金で動いている請負仕事で、一木以下の六人が隼人《はやと》の面目をかけて、対手を討とうとするのと、その態度においてちがっていた。
一木が、奈良崎に打込んだのを合図にして、双方の離れていた刀尖が、少し触れ、二三人は、懸声をしたが、対手が、じりじりつめて来るのに対して、四人は、退るばかりであった。だが、その中の一人は、奈良崎が槍で股を突かれたのを見ると、
「何をっ」
と、絶叫して、その槍の浪人に斬りかかった。進む浪人も、退いた浪人も、草に滑った刹那
「ええいっ」
右頭上八相に構えていた一人が、閃電《せんでん》の如く――ぱあっ、と鈍い音と共に、つつと上った血煙――
「うわっ」
と、遠巻にしていた旅人、駕屋が、自分が斬られたように叫んで、顔色を変えて、二三間も逃げた。
斬られた浪人は、首を下げて、手を下げて、二三歩、よろめいて歩み出て、すぐ、奈良崎の横へ倒れてしまった。斬口から血の噴出するのが遠くからでも見えた。
斬った男は、真赤な顔をして、刀を振り上げて、悪鬼のように、眼を剥き出して
「こらっ、うぬらっ」
と、叫んで、三人に、走りかかった。それは、殺人鬼のように、狂的な獰猛さであった。三人は、同じように刀を引いた。そして、 逃げ出した。
「逃げるか、逃げるか。卑怯者、卑怯者」
六人は、お互に絶叫して、猟犬の如く追った。追う者も、追われる者も、草に滑り、石につま
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