ずき、凹みによろめいて走った。旅人は、周章てて、木立の中に飛び込んだ。
「待て、卑怯なっ、待てっ」
 一人は、刀を押えて、槍を持って走っていたが、思うように走れないので、こう叫ぶと、槍を差上げ
「うぬっ」
 と、叫んで、投げつげた。槍は、獲物に飛びかかって行く蛇のように、穂先を光らせて、飛んで行った。そして、一人の腰に当ったが、石の上へ落ちて転がってしまった。
「馬鹿っ」
 追手の一人が、振向いて、槍を投げた男に
「股を目掛けて、何故投げん」
 と、睨みつけた。その途端、一人の追手が、浪人の一人に追いついて、片手突きに、その背中を突いたが、間髪の差――素早く、振向いたその男が、片手|薙《なぎ》に、身体も、刀も、廻転するくらいに払ったのが、見事、胴に入った。討手は、背後から突かれたように、手を延したまま、どどっと、前へ倒れてしまった。
「やったな」
 と、一人が叫んだ。

 七瀬は、綱手をせき立てて、すぐ、益満の後を追った。小田原の立場で
「箱根まで――」
 と、いうと、人足達は
「秋の陽は、短いでのう」
 と、渋っていたが、それでも、七瀬の渡した包紙を握ると
「やっつけるか」
 と、いって、駕を出した。荒涼とした、水のない、粗岩の河原を、左に湯本へ行くと、駕屋は、草鞋を新しくして、鉢巻をしめ直した。
 湯本から急な登りになる石敷の道は険しかったし、赤土の道は、木蔭の湿りと、木の露とで滑り易かった。
「おう」
 と、駕屋が、振向いて、後棒へ
「妙ちきりんなものが、現れましたぜ」
 その声に、綱手が、駕から覗くと、遠くの曲り角へ、槍を持って白布で頭を包んだらしい侍が、急ぎ足に降って来た。
 駕屋は斜にしていた駕を真直ぐにして、その侍を避けるように、道傍を、ゆっくり登って行った。七瀬も、綱手も、その侍は、八郎太と小太郎とを討取った戻り道のような気がして、胸が高く鳴り出した。
「綱手、あの方は、御邸の一木様ではないか」
「はい、お母様――」
 と、いった時、もう、一木は、駕のすぐ間近まで来ていた。七瀬が
「一寸、駕屋」
 と、声をかけて、駕が止まるか、止まらぬかに、駕の外へ足を出して、降りかけながら
「一木様」
 と、叫んだ。
 一木は、答えないで、七瀬へ、冷たい一瞥を送って、行きすぎようとした。その途端、綱手が
「一木様っ――それは」
 と、叫んだ。一木の左の腰に――それは、確かに、首を包んだ包と覚しいものが、縛りつけてあった。七瀬は、駕を出て
「卒爾ながら――」
 一木は、七瀬を、睨んで立止まった。
「仙波八郎太に、お逢いではござりませんでしたか」
「仙波?」
 一木は、右手の槍を、突き立て
「仙波とは――ちがう。仙波へは、別人が参って――」
「別人とは?」
「別の討手――気の毒であるが、御家のためには詮もない」
「そ、その討手は、貴下様より、先か、後か?」
 綱手は蒼白になって、七瀬の横に立っていた。駕屋は、眼を据えて、一木の顔を見ていた。
「前後?」
 一木は、脣で笑って
「敵の女房に、左様のことがいえようか。聞くまでもない。無益なことを――」
 口早に、いうと、ずんずん降って行った。二人は、暫く眼を見合せていたが
「急いで――急いで」
 と、憑かれたようにいいながら、駕の中へ入りかけた。
「合点だっ」
 駕屋は、肩を入れると
「馬鹿っ侍、威張りやあがって」
 と、呟いて、足を早めた。

「びっくりしたのう、おいら」
「何をっ。吃驚《びっくり》って、あんなものじゃねえや」
「何?」
「手前のは、ひっくり、てんだ。下へ、けえるがつかあ」
「おうおうおう、涎を滴《た》らして木へしがみついて居たのは誰だい」
「それも、手前だろう」
 旅人達は、一団になって、高声に話しながら降りて来た。そして、七瀬と、綱手の駕を見ると、一斉に黙って、二人を、じっと見た。七瀬が
「お尋ね申します」
 と、一人へ声をかけて
「只今のお話、もしか、斬られた人の名を御存じでは――ござりませぬか」
 旅人は、立止まって、二人を眺めていると、駕屋が
「斬られた人の名前を、知ってなさる人は居ねえかの」
「のう、名は判らんのう」
「名は判んねえが、齢頃は、三十七八だったかの、あの首を取られた人は」
「三十七八? 何をこきゃあがる。二十七八だい」
「こいつ、嘘を吐け。昔っから、生顔と、死顔とは、変るものと云ってあらあ。二十七八と見えても――」
「物を知らねえ野郎だの、こん畜生あ。二十七八だが、死ぬと、人間の首ってものは、十ぐらい齢をとるんだ。女が死ぬと美人に化け、男が溺死すると、土左衛門と、相場がきまってらあ」
「手前、首だけしか見ねえんだろう。俺、最初から見ていたんだ」
 七瀬が
「その中に老人が――」
「老人も、若いのも、いろいろいたがね。奥様。まず、こう、その駕
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