箱根泊りですかい、今から――」
 不平そうな顔をして、雲助がこういうのに対して
「頼む――」
 と、云って、多分の酒手を出す外になかった。雲助は支度をしながら、七人の姿を、ちらちら眺めていた。
 七人は、軽装で、二人まで袴をつけていなかった。木綿の袷一枚に、兵児帯をしめて、二尺七八寸の刀を差していた。
「おかしな野郎だの」
 駕屋は、仲間へ囁いた。
 七梃の駕が、小田原を離れると共に、駕の中の人々が
「山へ入ってから、それとも――この辺でもよいでないか」
 とか
「その曲りっ角は――」
 とか、話し合つた。だが、最初の駕にいる一人が
「山の中で、十分の足場のところでないと――」
 と、対手にしなかった。湯本から、登りになった。石段道へかかった。駕屋は、沈黙して、息杖を、こつこつ音立てながら、駕を横にして、ゆるゆる登りかけた。
 一町か、一町半で、休茶屋があった。駕屋は、きっと、そこで暫く休んだ。少しも、疲れていないようであったが、十分に休んでからでないと、行かなかった。
 右も、左も杉林で、その下は雑草の深々としたところへかかった。最初の駕の侍が
「駕屋、とめろ」
 と、叫んだ。
「ええ?」
「此処まででよい――降りる」
 駕屋は、お互に
(怪しい奴だよ。この野郎ら――)
 と、眼配せをした。
「吾々は、公儀御用にて咎人を討取る者じゃ。見物せい」
 と、一人が、駕屋へ微笑して
「小田原の方へ降ることはならぬ。そっちへ――遠くへ離れておれ」
 と、命じた。そして、酒手を多分に出した。

「待て。駕屋、待てっ」
 行手の叢から、侍が立現れて叫んだ。
 最初の駕にいた男も、次の駕の男も、立てかけてあった刀をとった。そして、素早く、左脚を、駕の外へ出した。
「奈良崎――」
 草叢の中から出て来た侍は、こういって近づくと
「聞きたいことがある」
 奈良崎は、黙って、刀を提げて、その侍の反対側へ出た。雲助が、急いで草履を持って来た。四梃の駕からも、刀を持って、商人に化けた四人が出た。そして、四辺を見廻してから、奈良崎の背後に立って、その侍を、じっと睨みつけた。
「一木」
 奈良崎が、少し、顔を赤くして叫んだ。
「連れ戻るか、斬るかであろう」
 一木は、冷たい微笑をして
「君公の命じゃ。何故、お主は無断で、旅へ出た」
「そういうことを聞きとうない」
「そうか――覚悟しておるのか」
「お身達、虎の威を借る狐とはちがう」
 一木の顔色が動いた。
「奈良崎、君公の御裁許も仰がず、濫りに私党を組んで、無届出奔に及ぶ段、不届千万、上意によって討取る」
「そうか」
 奈良崎が、足に敷いていた草履を蹴飛ばして、身構えすると同時に、草が動き、物音がして、人が、槍が、草叢の中から現れた。
「奈良崎、その外の浪人者も、手向い致すか」
 七人は、槍と、刀とで、五人を取巻いた。
「たわけ――来い」
「芋侍なら不足はない」
 五人は、刀を抜いて、背を合せた。
「そうか――是非も無い」
 一木が、こういうと同時に、六人の侍は、じりじりと迫って来た。五人の駕屋は、立木の中へ入って、樹を掴みながら、ぼんやりと、だが、腋の下に、掌に、汗をかいて、眺めていた。もう、走ることも、動くことも、出来なくなっていた。
 十二人は、無言で、お互の刀尖と、穂先とを近づけて行った。誰も皆、蒼白な顔をして、眼が、異常に光っていた。
 一木は、右手に刀を提げて奈良崎の横へ廻って来た。奈良崎は、もう、額に微かに汗を滲ませていた。追手の内の二人は、肩で呼吸をしていた。
 槍は中段に、刀は平正眼に、誰も皆同じ構えであった。お互に、最初の真剣勝負に対して、固くなっていた。懸声もなかった。刀尖が二尺程のところまで近づくと、お互に動きもしなかった。
 一木は、両手で、刀を持つと、刀尖を地につけた。示現流の使手として、斬るか、斬られるか、一挙に、勝負を決しようとする手であった――果して
「やっ、やっ、やっ」
 一木は、つづけざまに叫ぶと、刀尖で、地をたたきつけるように、斬り刻むように、両手で、烈しく振って
「ええいっ」
 山の空気を引裂いて、忽ち大上段に、振りかざすと、身体ぐるみ、奈良崎へ、躍りかかった。

 一木の攻撃は、獰猛の極であった。それは、躍りかかって来る手負獅子であった。後方へか、横へか――避けて、その勢いを挫く外に方法がなかった。
 もし、受けたなら?――それは、刀を折られるか、受けきれずに、どっかを斬られるか、それだけであった。
 だが、たった一つ、相打になる手はあった。一木の、決死の斬込みに対して、斬らしておいて、突くという手である。諸手突《もろてづき》に、一木の胸へ、こっちからも、必死の突撃を加えることである。
 然し、それも、冒険だった。もし、一分、一秒、奈良崎の刀が、遅れたなら、自分
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