女中になりたくはなかった。そうまでしないでも、外に方法があるように思った。然し、益満は
「操ぐらい――」
 と、軽く――それも、深雪には、口惜しかった。汗ばんだ手に、懐の短刀を握って
(由羅付になって、由羅を刺すか、自分を刺すか)
 と、思うと、人々の見ている中で、芝居をしているように、いろいろの場面が、空想になって拡がって行った。
(女の決心は、男の決心よりも強い。その今、流している涙を十倍にして、敵党へ叩きつける決心をするのだ。父の分、母の分、兄の分、姉の分を、自分一人で背負って、復讎《ふくしゅう》する決心をしておれ)
 と、云われたが、それを思い出すと、小藤次に、肌を許して、一日も早く、お由羅を刺そうかとも思った。だが、小藤次の下品な鼻、脂切った頬、胸の毛を見ると、身ぶるいがした。
「武家育ちだから知ってるだろうが、一旦、上ってしまうと、町方たあちがって、なかなか、男など近づけるところでないし、宿下りは年に二度さ、だから――」
 南玉が
「そこを一つ、若旦那、お由羅さんの兄さんという勢力で、気儘に逢引のできるよう、骨を折って下さるんでげすな」
「不束者《ふつつかもの》でございますが、お世話になります以上は、一生をかけたいと存じます。それにつきましては、一通りの御殿勤めも致しとうござりますゆえ、一二年、御部屋様付にて、見習をさせて頂きましたなら」
 深雪は、一生懸命であった。頭も、顔も熱くなって、舌が、ざらざらして、動かなくなるのではないかと思えた。
「利口なことをいうぜ」
 小藤次は、腕組をして、深雪の滑らかな肩、新鮮な果実《くだもの》のような頬、典雅な腰の線を眺めていた。
「成る程、御尤もさまで――」
 と、常公が、思案に余ったような顔をしていた。
「講釈流で行くと、ここで、岡田小藤次は、侠気《おとこぎ》を見せますな。何んにも云わねえ、行って来な」
 南玉は、首を振って、仮声を使った。
「てえことになると、娘の方から――ほんに、頼もしい小藤次さま」
 南玉は、娘の仮声をつかった。そして、常公に、しなだれかかった。
「うわっ、おいてけ堀の化物だ」
 と、常公は、身体を反した。

「今晩あ――やあ、これはこれは」
 庄吉が、暗い土間から、奥を覗き込んだ。そして
「若旦那、今晩は」
 と、云って上って来た。小藤次は、煙管を仕舞って
「とにかく、奥役に聞いて、奉公に上れるか、上れんか、なあ、それから先にして、俺《おいら》あ、もう一度来るから、深雪さんも、よく考えておいてくんな。そりゃあ、無理をすりゃあ、邸の中でも――出来ねえこたあねえが、窮屈だからのう、邸勤めってのは」
「話あ、きまりましたかえ」
 と、庄吉が、小藤次の顔を見た。
「庄公も、一つ骨を折っといてくれ。なかなか、利口なお嬢さんだ。じゃあ、師匠、又来らあ。お邪魔したのう」
「手前も、今夜、ゆっくり、口説いてみましょう」
「師匠の口説くなあ、講釈同然、拙いだろうの」
 と、いいつつ、深雪に挨拶して立上った。常公も、庄吉も、南玉も、上り口まで見送って来た。深雪は、まだ短刀を握りしめて俯向いていた。
「お嬢さん――邸奉公なさるって――そりゃあ、一体、貴女《あんた》の望みか、それとも、この南玉爺の」
「これこれ、爺とは、何んじゃ。齢はとっても、若い気だ。物を盗っても、庄吉と、いうが如し、とは、これいかに。うめえ問答だ。明晩、席で、一つ喋ってやろう」
 庄吉は、南玉が喋るのを、うるさそうに聞きながら
「勤めなんぞより、お嫁に行きなせえ。早く身を固めた方が、利口ですぜ」
 庄吉は、じっと、深雪を凝視めつつ
「だが、びっくりなさんな。こうすすめるのは庄吉の本心じゃあねえんで――その懐の中、手のかかっているものは――」
 深雪は、庄吉を見た。
「短刀でげしょう」
 深雪の眼も、懐の手も、微かに動いた。
「商売柄判りまさあ。お由羅のところへ奉公に上って、その短刀が――」
 と、いった時、南玉が
「わしの、講釈よりも、筋立が上手だよ、のう庄吉」
「誰も、俺を、巾着切だとおもって対手にしねえが、流石に、益満さんは、目が高えや、南玉。深雪さん、益満さんは、貴女のお父さんが、牧を討ちに行ったと、あっしを見込んで打明けて下さいましたぜ。床下の人形のこたあ、世間でも知ってまさあ。二つ合せて考えて、その短刀と三つ合せて考えて、小藤次の色好みを幸に、御奥へ忍んで――ねえ、あっしゃあ嬉しゅうがすよ。十七や、八で、その心意気が――あっしの手が、満足なら、忍び込んで御手伝いしやすがね」
 庄吉の言葉は、二人を動かすに十分であった。だが、二人とも黙っていた。
「あっしに、何か、一仕事――庄吉、これをせいと、お嬢さん、何かいいつけて下さんせんか――死ねとか、盗めとか」
 二人は、黙ったままであった。
「じゃあ
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