下に居並んでいた人々が、手をついた。陸尺《ろく しゃく》が、訓練された手振り、足付で、小藤次の家の正面へ来た。
 益満は、左手を短銃へ当て、狙いの狂わぬようにして、右手を引金へかけた。そして、籠から出て、立上った女の胸板へと、照準を定めていた。
 駕は、然し、横づけにならず、陸尺の肩にかかったまま、入口と、直角になった。そして、益満が
(妙な置き方をする)
 と、思った時、そのまま陸尺は、土足で、板の間へ、舁《か》き入れかけた。
(しまった)
 照準を直した時、駕は、侍女の蔭を通って、もう、半分以上も、家の中へ入ってしまっていた。
(こっちに備えがあれば、敵も用心するものだ――流石に、お由羅だ)
 益満は、微笑して立上った。そして、瓦をことこと鳴らしつつ、二階の窓から、入って来て
「ちんとち、ちんちん、とちちんちん、ちんちん鴨とは、どでごんす――」
 と、唄いながら、段を下りた。富士春が
「騒々しいね」
「ちんちんもがもがどでごんす」
 益満は、片足で、三段目から、飛び降りて、そのまま、ぴょんぴょん、富士春の側へ行こうとすると、火鉢の前に一人の男が坐っていた。

 そして、その男も、富士春も、二人ながら気拙そうに、沈黙してしまった。益満は
(庄吉だな)
 と、思った。そして、二人を気拙くさせたのは、自分だと感じた。その途端、富士春が
「ねえ、益満さん、あの、貴下《あんた》とこのお嬢という人は、この人の手を折った人の、妹さんで、ござんしょう」
 益満は、庄吉に
「初めて――でもないが、手前は、益休と申して、ぐうたら侍」
 庄吉は、周章てて、座蒲団から滑って
「恐れ入ります、お名前は、それから、以前|此奴《こいつ》が、お世話になりましたそうで、いろいろと――」
 富士春が、庄吉を睨んで、鋭く
「余計なことを喋らなくってもいいよ」
「ははは、逢えば、そのまま、口説《くぜつ》して、と唄の通りだの。それで、富士春、妹なら?」
「現在手首を折られた男の妹に惚れて――」
「手前は又、折った小太郎さんに思召しがあるんじゃあねえか」
「馬鹿に――」
「仲よく二人で惚れたって、何んでえ。何んかといや、不具者を引取ってやったと――手前なんざ、不具者の外の亭主がもてるけえ」
 富士春は、ぽんと、煙管を投げ出して、益満に
「その深雪さんが、小藤次の手で奥勤めすると聞いて、へへ、邪魔を入れてますのさ、この人が――奥へ入ると、逢えないもんだから――」
「て、手前、おれの気立を、うぬあ、まだ御存じ遊ばさねえんだ。俺《おいら》、成る程、よく聞いてみりゃあ、深雪さんは好きだと、この胸が仰しゃるけどな、あのお嬢さんを追っかけるのは、南玉爺一人に任せちゃあおけねえからだ。一手柄、俺《おいら》の手で立てさせ上げ奉っちまって、ねえ、益満さん、あの親爺さんなり、小太郎さんに逢わして上げたら、何んなに肩身が広かろうと、これが、世に云う、そら、義侠心って奴だ」
「体のいいこと云いなさんな」
「手前、何んでえ、小太郎の男っ振りに惚れやがって――」
「小娘じゃあないよ」
「何を。昨夜も、手前、あの人は、まだ女を知らないだろう、何んな顔をするだろうねって――※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]と思やあ、腕まくりしてみろ、俺がつねった跡がついてるだろう。さあ、そっちの腕をまくって、益満の旦那に見せてみろ、それ、見せられめえ」
「ははあ、のろけか」
 庄吉は、笑った。益満が
「まま、こういう喧嘩なら、大したことはあるまい。なまじ、仲裁をしては、あとで、悪口を云われるものじゃて――その内に、ゆっくり――」
 と、立上った。
「旅をなさいますって?」
 と、富士春が、見上げた。
「上方へ暫く」
「そして、深雪さんは?」
「奥勤めができんなら、暫くは、南玉の食客《いそうろう》かの」
「庄吉が、くっつきましては?」
「それも、よかろう。庄吉、頼むぞ」
「男ってものは――」
 と、富士春は、口惜しそうに、羨ましそうに呟いた。
「男同士でなくっちゃあ、判らねえ」
 庄吉は、そう、云いすてて、益満を送りに立った。

「お部屋様付になれたら、俺のいうことも聞くか?――成る程」
 小藤次は、常公と、二人で、南玉のところへ、深雪を尋ねて来て、自分の妾に、又は、妻にと話し出した。
「尤もだが、ま、俺からいうと、俺のいうことを聞いてくれたら、由羅付なりと、大殿付なりと、好きなところへ奉公してもいい、と、こういいたいの」
 常公が、頷いた。深雪は、頭から、髪の中まで、口惜しさでいっぱいだった。父に別れるとすぐ、浅ましい妾奉公などを、大工上りの小藤次から、申し込んで来たのに対して、口惜しかった。
(でも、これを忍ばないと――いい機なのだから――)
 と、思った。然し、小藤次に肌を与えてまでも、由羅付
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