。浪人は、世の中を乱そうとするし、家中の軽輩共は、家を乱そうとしている。久光には、軽輩共を、押えることができまいが、斉興なら――」
「久光公は、斉彬公の真似が、上手だから、押えることができんのみか、却って、下手に、軽輩に、利用されるだろう」
「然し、もう、老公も、いいお齢だから、ここ暫くの間に、ばたばたと、押えつけてしまわぬと――」
「そうは行くまい。奴等の根というものは、ずいぶん、張っておるし、何うも、天下の大勢は、一揉めしそうではないか?」
 九州の名族として、七百年来、薩南の地に、蟠居《ばんきょ》し、関ヶ原以来は、上下の分が定まって、士分階級が二つに分れ、以後三百年来、凡庸《ぼんよう》と雖も、門地さえ高ければ、傲然として下に臨み、下の者はいかに人材であろうとも、容易に、鋭出することのできなかった因襲が、斉彬のために破られて、上士の人々を、圧迫して来たことは、それらの人々にとって、容易ならぬことであった。
「奴等、低い身分の者は、失う物がない。京師へ脱走し、江戸へ出奔するに、身一つでいい――わしは、近頃、あいつらが、羨ましくなって来た」
 そう嘆じる上士階級の人々もあったが、多くの人々は、
「倒幕の、何んのと、流行物《はやりもの》にすぎぬ」
 と、考えていた。そう考えなければ、かれ等は、軽輩の下につかなくてはならなかった。倒幕のこと、開国のことにかけては、軽輩の方が、遥かに、経験と、理前とをもっていた。そして、軽輩が、信じている如き天下となれば、当然、そうした天下にした功労は、軽輩の手に移って、自分らの現在の地位は、逆になる虞《おそ》れがあった。だから
(流行ものだ。今に、治まる)
 と、考えて、気安めをするより外になかったかれ等は、今更、軽輩の後塵を拝して、働きたくもなかったし――だが、そう考えながら
(或いは、そういうことになるかもしれぬ)
 と――そして
(そうなった時には、この地位が――だが、今更、大久保や、西郷の前に、頭が下げられるか)
 と、自分の考えと、自分の地位の矛盾に、いらいらしながら
(斉興公が、この際、思いきって、軽輩共を、やっつけてしまってくれたなら――)
 と――それは、上士の人々は、お互に、口へは出さなかったが、肚で考えていることであった。

 西郷吉之助は、すぐ、お庭方を御免になった。大久保一蔵は、琉球館書記方心得を、罷免されてしまったし、その外、斉彬の手で、取立てられ、取立てられかけていた人々は、殆んど、その位地を奪われてしまった。
 そして、その人々の代りに、上士の人々が、それらの二男が、三男が入って来たが、上役は、蔭でそっと
「物の役に立たぬ」
 と、呟くし、下役の人々は
「何んだ、あの野郎」
 と、軽蔑した。そして、心ある上役は、軽輩時代の近づいたのを知って、斉興を、もう一度、後見にしたということは、却って、悪かったと考え、下役の人々は
(老公は、すぐ死ぬんだ。死んでみろ、手前ら――)
 と、威張るのみで、仕事のできぬ上士出の人々を、軽蔑して、斉興の死を、待つ心になっていた。
 磯浜にあった紡績工場は、閉鎖されてしまった。上士達は
(何んの役にも立たぬ紡績工場など――いっそ、こわしてしまえばいい)
 と、思ったし、下士達は、それが、ただ、斉彬の遺物であるというだけで、そうしたことに、深い憤りを包んでいた。反射炉の火も消えてしまった。上士達は、それに対して
「濫りに、大砲などを鋳造して、幕府のとがめを受けるなど、愚の頂上だ。薩摩には、天嶮《てんけん》がある。誰が、入れるものか」
 と、評した。そして、下級の士は、磯浜の堤の中に、沈黙している、その反射炉から生れてきた大砲を、撫でながら、或る者は、泣き、或る者は憤り、或る者は、叫んでいた。
(斉興が立とうと、久光が、立とうと、わしらの志は、変らないぞ。わしらは、それぞれ、斉彬公のお志をもつものだ。吾々の一人一人が、それぞれ天下の難に当るのだ。一人で、日本を背負って立つつもりなのだ)
 三人集まれば、五人集まれば、斉彬の遺訓を口にしていた。
 軽輩が、何をしても、だまっているのを、将曹等は、斉彬が亡くなっての失望だと、考えていた。
 それで、硝子工場を、機械方を、造船を――斉彬が、日本の進歩のために、研究し、設備しておいたすべての事業を、「経費節約」と、いう名の下に、停止させてしまった。そうして、実際また、それらのところで働いていた人々も、斉彬を失っては、完全な仕事をし得なかった。
 斉彬の、遺しておいたこうした形が、だんだん荒れて行くと共に、軽輩の力は、ますます内部で潜興《せんこう》してきた。上士の方からも、軽輩へ、近づこうとする人が、生じてきた。軽輩の中の無為な人々が、同僚の言行に対して、理解を持ち出してきた。
「おれは、斉興を、主とも頼
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