の志の通りに、島津の家督を、片づけてやらねばならぬ。それだけしか、わしが、斉彬に尽すことはないのだ。斉彬は、いえぬくらいに、多くを、わしのために、尽してくれたが――)
 伊勢守は、斉彬の亡き後の、島津の相続について、きっと、伊達、黒田の人々は、再び、斉興を、後見役にするということに対しては反対するであろうと、信じていた。
(何んなに反対しても、斉彬の孝心としては、忠義を立てて、斉興を、後見役にしたいであろう。わしは、唯一つの、わしにできる、斉彬に報いうることとして、死後まで、斉彬の孝心を貫徹させてやらなくてはならぬ)
 伊勢が、そう思った時、坊主が
「お上りになりましてござります」
 と、襖越しに、声をかけた。
「お通し申せ」
 と、伊勢が、答えた。

 阿部伊勢守は、二人の挨拶が、終ると
「後見のことで、ござるか」
 と、笑いながら聞いた。伊達宗城が
「何分、斉彬の志を、そのまま久光へ、継がせたく、忠義を当主として、後見を、久光と、御取定め願いとう存じます」
 黒田長博も
「この儀、尤もかと、心得まする」
 と、いった。
「わしも、いろいろと、考えた」
 伊勢守は、腕組をして、絶えず、微笑しながら
「前々からの関係と申し、わが家の相続と同じように、考えておる」
 二人は
「はい」
 と、云って、俯向いた。
「ところで、これは、古い例で、御両所の御意に召さんかも知れんが、関ヶ原の戦いの時、大谷吉継が、石田三成に、家康は、もう五七年で死ぬゆえに、それまで待たぬか、と云った話がある。今更、こんな古めかしいことを、申し上げるのも、お笑い草だが――然し、斉彬の斉興に対する、子としての至情を見るとき、斉興が、ああいう仁ゆえ、久光を後見としては、後見が、二人あるように、斉興は、黙っておるまい、と思えるゆえ、斉彬の心としては、今暫く、後見は、斉興としておき、天寿を待って、久光が立つ。これが、わしの、斉彬の孝心を、亡き後にも、完うさせるものだと、思うているが、何ういうものかの」
 伊勢は、黙って、俯向いておる、二人の心が、自分の説に同意していないのを、よく知っていた。それで
「久光は、わしの見るところでは――御両所の前ゆえ、忌憚なく申し上げるが、斉彬よりも若い。いろいろと若い。そして、ただ、斉彬の歩んで来た道を、ひたすらに、歩もうとしておるが、斉彬であればこそ、斉興は、己の肚の中では、反対しておっても、表面口には上せなかったが、久光では、遠慮なく、振舞うであろう。例えば、紡績で例をとると、久光は、兄の意思をつづけようとしようし、斉興は、打切ろうとするであろうが、つづけられるものなら、世のために、続けてもいいが、久光では、続けられもせず、棄て去りもせずという、ひどく中途半端なものになる。わしの心配は、ここにある。斉興が、後見として、斉彬の続けたものを、悉く、破壊してしまう。これは、一時は、惜しい。然し、斉彬は、わしに申しておった。軽輩の中から、きっと、その倍も、三倍もの力で、それを、復活させる奴がおるとな。それが、眼に見えておるから、と、いつも申しておったが、斉興が、もし、斉彬の仕事に反対したなら、反対すれば、するだけ、反溌力が、潜勢力が強くなって、蘇ってくる。斉興の命は、ここ長くとも、五六年であろうが、その五六年の後に、爆発する軽輩の力と申すものに、或いは――わしらをも、倒すかもしれぬ――それでよい。倒されるものなら、仕方があるまい。然し、今、久光が、斉興と、争って、斉彬の志を、保存するとすれば、この鬱勃たる勢いが、蓄積されまい。一つは、斉彬の愛しておった軽輩のために、一つは斉彬の孝心のために、余命のない斉興を、後見にしたいと、わしは、肚をくくっておる。いかがでござろうか――」
 二人は、阿部が、斉彬と同じように、表面は、柔かであるが、いい出したら退かぬし、尤もな意見であったから
「御高説、至極妙と存じます」
 と、黒田が、いった。
「何分とも――」
 と、宗城が、顔を上げた。

「御隠居が、後見に――」
「もう一度、老公が――」
 そうした噂は、すぐ、家中いっぱいになった。軽輩は、身体中を、蒼白めさせて、怒りに、顫えてきた。
「さんざん、斉彬公の、世話になっておきながら、阿部伊勢という奴は、何んだ」
 と、或る者は、罵った。
「福岡や、宇和島は、何をしているのだ」
 と、一人は、叫んだ。そして、そうした人々が、集まっては、階級の上の人々へ、白い眼を向けるようになった。
 上の方の人々は、近頃の世間と同じように、一口に、痩浪人がと、軽蔑しながら、その浪人達の何かの力を恐れているように
「何んの、紙漉武士共が」
 と、軽輩を、軽蔑しながら、その軽輩共の、身体から溢れて来る、眼から放射されて来る力に、圧迫を感じていた。
「老公が、後見とは、当然だ
前へ 次へ
全260ページ中257ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング