見る空費されて行くが、これを、斉興公が、御心配になるのは、至極の御道理だ――その斉興公のために、犬馬の労をとっておるわしは、少しも、心に咎めることはない――斉彬公は、確かにおえらい、しかし、だからといって、わしが悪人とはいえまい)
将曹は、斉彬の寛量に、打潰《うちつぶ》された心を、取戻そうとして、じっと、考えていた。そして
(わしのして来たことは、間違っていない)
と、自分の心へ、十分、理解させようとしたが、その心の中に、幻のように、煙のように――七人の子供を殺した、ということが、閃いていた。払っても、払っても、その幻は、水の蔭のように、揺れながら立昇っていた。
(何んの罪も無い幼児を殺して――)
将曹は、新鮮な果物のような、子供の頬を思い出して
(これは、わしが、責められても申開きのできぬことだ。然し、これも、御家のためならば、何う、地獄において、呵責《かしゃく》されようとも、退く訳には、行かぬ――道はちがうが、同じく、御家を思う一心からだ)
そう考えてはみたが、自分らの陰謀が、首尾よく、成就したと思うと、何かに対して、大きい罪を犯しているような気がした。何かしら、張りつめていたものが抜けて、弱くなって行くような気がした。
持仏の間には、大きい、広い仏壇が、黒い艶を、金色の光を、静かに、輝かせていた。
すすけた厨子の中に、真黒な裸像で立っている仏が、その前には、段々に供物が、花が、それから、その上に、白木の位牌が――それには、お由羅の筆蹟らしく
[#天から3字下げ]島津修理大夫源斉彬
と、書かれてあった。
殆んど、顔を合せたことのない、自分の生まぬ子――お互に、顔を合せないようにしている斉彬の死に対して、お由羅は少しの感じもしなかった。
「御逝去になりました」
と、いって来た時に
(本当であろうか)
と、すら、疑い
(本当なら、意外に早く成就した)
と、感じただけで、自分の陰謀のために、呪いのために、自分の子が亡くなったということに対して、顔を知らぬ家来の死を聞いた程にも、感じなかった。
そして、こうして、仏壇の前に、珠数をもって、称名しているが、それは、自分の心の咎めを消すためでもなく、斉彬の冥福を祈るためでもなく、一つの、体裁としてのみであった。
お由羅は、称名を、口で、唱えながら、久光のことを、忠義のことを、斉興のことを、考えていた。
(これで、悉く、成就したと、将曹などが考えていてくれたなら、大間違いであろう。これからが、大切なのだから)
お由羅は、軽輩を恐れていたし、だんだん老衰して来る斉興を、覚束なく考えていたし、斉彬を崇拝している久光のことも不安であったし――それらのことが、悉く、自分の意のままに、解決されなければ、十分な成就とはいえない、と考えていた。
(そうせんと、今度は、自分が、殺される)
と、感じていた。
(久光のために、わしの殺されるのはよいが――人を呪った上は、自分も、呪われるものであるが、妾は、子が可愛いばかりでない、お家を大事に思うからこそ、ここまで、大それたことをしてきたのだ)
と、思った。そして、そう思うと、七人もの子を、次々亡くし、その終りには、夫の斉彬さえ亡くしてしまった英姫のことが、思い出されたが、それは
(運の悪い人)
で、お由羅には、見たこともない夫人へ、同情のしようがなかった。
(一度でも、逢うていると、それは、人情として、気の毒にもなるが――)
お由羅は、自分の眼に記憶のない七人の子供の死――それは、自分が、命じて殺したのではあるが、見ていない子供の面影は、他人の話を聞くよりも――遠い昔の、そうした物語の本を読んでいるよりも、心に迫って来るものがなかった。女中が
「お渡りで、ござります」
と、外から、声をかけた。
「今行く」
「あのう、こちらへ、参ると、仰せられてござります」
「ここへかえ」
「はい」
お由羅は、斉興が、なぜ、持仏の間へ来るか、よく判っていた。
(もう、一押ししないと、九仞《きゅうじん》の功を、何んとかに欠くということになる)
お由羅は、自分の褥を、斉興のために、布いて、自分は、下座へ退った。
斉興の顔は、いつになく、沈鬱であった。お由羅に対しては
「わしも、もう、いい齢だから――」
と、洩らすことはあったが、余人に対しては――斉彬に対してすら、まだ、少しも、衰えたところを見せまいとする斉興であった。だが、斉彬の急死に対して、父の情として――微かにでも、心のやましさを感じている人間の自然として、重苦しい鉛のようなものが、頭の中いっぱいに張りつめ、肚の中いっぱいに、沈んでいた。何う、払いのけようとしても
(わしが、殺したのも同然だ)
と、いうような気がしていた。
俯向いて、廊下から、持仏の間へ入って来た斉興に、
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