何かいっているらしく、時々、低い声が、吉之助の耳に入って来た。それから、吉之助の後方に、横に、つつましい足音と共に、軽輩が集まって来た。
「吉之助、一蔵、一同、お暇乞い申し上げい」
顔も上げ得ないで、庭に泣き伏している人々の頭の上へ、近々と、廊下から、声がかかった。誰も、答えることが出来なかった。僅かに顔を上げた。斉彬が、開くのも、憂い眼を開けたらしく、最後の力を集めて、己の仕事を継ぐべき人々を見ようとするらしく、微かに、斉彬の顔に、黒く動くものがあった。吉之助は、それを見ると
「うっ」
と、むせるように叫んで、手を顫わせ、肩を顫わせて、突っ伏してしまった。一蔵は、涙の中から、じっと、眼を据えて、斉彬の表情の、寸毫《すんごう》の動きでも、見逃すまいとしていた。
「一同、心を一つにして、兄の志を、成し遂げてくれい」
それは、久光の、曇った声であった。吉之助は
(もう、斉彬公は、物もいえぬようにおなりなされた)
と、思った。最後のお顔を、拝して、と涙を拭いて、顔を上げた。黄昏近くなってきた、暗い部屋へ、小姓達は、廊下伝いに、つつましく、燈火を持って来た。庭には、篝火《かがりび》の支度をしていた。
部屋が明るくなると共に、斉彬は、またたきをした。だが、もう視力が弱ってくるらしく、そのまま眼を閉じてしまった。医者が、絶えず、脈を取り、顔色を伺っていた。吉之助は、軽輩の身として、物もいえぬ身分を、もどかしがりながら
(手前一人にても、必ず、成し遂げます。お上の御教訓、吉之助の、髪の末へまでも、しみわたっておりまする。心安らかに、往生遂げられますよう)
心の中で、そう叫んで、斉彬の死の安楽と、その魂の静鎮とを祈った。
だんだん庭は暗くなり、部屋は明るくなってきた。吉之助が、顔を上げると、人々が、斉彬の顔のところへ、元の如く坐っていて、何も見えなかった。
庭の人々は、動きも、咳もしないらしく、何んの物音も立てずに、暗い草の上、砂の上に坐ったままであった。
「御臨終」
と、微かな声がした。庭の人々は、一斉に顔を――少し、腰を上げて、部屋の中を見た。二三人の人が立って行くのと、四五人の人が、斉彬の顔へ、のぞき込むのとが見えた。それと同時に、庭は嗚咽でいっぱいになった。部屋からもすすり泣きが、聞えてきた。
死の後に
小女に、案内されて、中庭を左に、廊下を行くと、右側の部屋に人影があった。小太郎が、急ぎ足に、歩みつつ、ちらっと、それを見ると
「おおっ」
庄吉の声と、顔とが――
(癒ったな)
と、感じた時、南玉の顔が、深雪の顔が――だが、それは、いつもの三人の表情でなく――小太郎が、戻って来るからには――牧を討ったということは、その明るい顔にも、現れているし、その腋の下の包からでも、判るのに――三人の顔には、沈んだ影が、憂いの表情があった。
(何を、三人は?――)
と、感じながら
「討ったぞ」
と、口早に、そして、腋の下の包を、ちょっと、動かして、そのまま、益満のいる大広間へ急いだ。だが、急ぎながら
(何故、三人は、飛び立って来ないのか?)
小太郎には、解ききれぬ疑問であった。
大広間には、浪人達と、益満とが――その人々も、矢張り、同じように、沈んだ表情をして、小太郎を、ちらっと見た。益満も、小太郎に、眼を上げたままで、その腋の下の包み物をも、見たのに、すぐ、俯向いてしまった。
(何か、大事の企画が、齟齬《そご》したのであろう)
小太郎は、不安な胸を押えて、人々に、黙礼して、益満の側へ坐った。
「討ったか?」
「うむ」
油紙で、がさがさ音のする、首の包を二人の間へ置いた。
「小太――」
益満は、それだけ云って、暫く言葉を切っていたが
「斉彬公がお亡くなりになったわい」
それは、いつもの益満の声でない、弱々しいものであった。だが、小太郎は、その言葉を、半分聞いた時に、全身を、冷たく襲って来る絶望感があった。
(これか、皆の、沈んでいるのは?)
小太郎は、じっと、畳を見つめたまま、眼も動かさなかった。三人が、小太郎の様子を見に、廊下の端へ出て来ている姿が、眼の隅に見えたが、小太郎は、自分も、生きているということも、世の中も、この座の人々も、感じないくらいになってしまった。
(わしの仕事は、あの哀れな牧を討つことと、それを討って、斉彬公へ尽すつもりであったのに――)
「哲丸様も、亡くなった」
小太郎は、益満のその言葉に、返事をしようにも、声が出なかったし、したくもなかった。
(わしは、今まで、何をして来た?)
牧は、斉彬と、その家を呪咀したのみでなく、自分の一家をも、呪咀し、その最後にも、殺されながら、小太郎に、打ち勝ったように思われた。一人が
「小太郎、遅かったわい」
と、云った。小太郎は、全身を突
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