まで、経っても、贅六《ぜえろく》根性が抜け無いものか? それとも、東京風に染んでしまっているか?
「君の生れは、何処だい」
私は、よく聞かれる。
「大阪」
「大阪か、大阪とは見えないね」
大抵、こうである。私の言葉に大阪|訛《なま》りが無いからか、私のする事が、大阪人らしくないからか?――とにかく、他国の人々は、大阪人を、尊敬すると共に、軽蔑し、未だに、江戸っ子の方が、大阪人よりも上等人だと、考えているらしい。
「人国記」の流行ってきた時代――大阪人は、大阪から一足も出ないし、江戸人は、江戸の内で一生暮らしているし、もし他国へ出るなら、それは伊勢参りと、善光寺参りとが人生の二大旅行であった頃なら、そうした「概念的贅六」の観方も正しいであろうが、このごちゃごちゃ時代に、何が贅六で、誰が純粋に江戸っ子であろう。一体同じ人間が、そう根本的に差違のあるものか、無いものか?――私は生国を聞かれるたびに、古くさいなとおもう。
だが、こうした概念的の見方は便利であるから、中々廃れない。純粋の、江戸っ子だと聞くと、熱い朝湯がすきで洒落が上手で、粋ななりをしていて、たんかが切れて、金放れがよくって、すらりとしていて――と思うが――何処の山猿かしら、と思っている石井鶴三氏は、下谷っ子であり、泉鏡花は、加賀っぽうであり――こんな概念など一顧の価値も無い。第一に、純粋の大阪人が、今、幾人残っているか? 近江泥棒、伊勢乞食と、矢張り一口に云われる人間が、入込んできて、大阪人になっている――紀州、大和――とにかく、東西南北から他国人が入込んできている。
私の父も、母も、大和人であるから、私は、純粋の大阪人では無いが、とにかく、大阪で生れた人間として、一口に、贅六と云われる概念を打破してもいいとおもう。
恐らく、大阪の町人は、人を押しのけてまでも、金儲けをしたいとは思わなかったにちがい無い。
「儲かりまっか」
と、挨拶したり、すぐ、ぼろの出る粗悪品を輸出したりして、大阪商人及び大阪人の面目玉《めんぼくだま》を、踏潰《ふみつぶ》した、野郎共は、他国の、奴にちがいない。
大阪商人の代表として、蔵屋敷出入の人を、もし、挙げていいなら、彼等は、悉く、立派な男である。度胸と、見識と、洒落と、悟りと、諦めと、趣味と、多少の学問とそう云ったものを持った――つまり、大都会の、大商人らしい、都会人らしい、何処の都会にも、共通する、文化人であったにちがいない。
少くも、西鶴、近松。下って、懐徳堂から町人学者の輩出した当時の大阪人は、今の田舎者の成功者とは、ちがった人間であった。そして、私は、それを、大阪人だと、思っている。現在の例で云えば、平瀬氏などが、大阪町人の代表的一人で、近江商人などの、こすっ辛さと、人間の性がちがっている。
所謂、檀那様、お家はん、であって、番頭が一切をやっていて、薄暗い所に、一日、徒然《つれづれ》なのが、町人である。そして、これは、江戸の町人とも共通していて、ちがうのは言葉だけ――いいや、本当の、上等の、江戸っ子は、決して、べらんめえではない。しとやかな言葉である。
所が、悪貨は、良貨を駆逐すの原則通り、檀那はんは、だんだん伊勢の丁稚上りに圧倒され、丁稚は、ひたすらに勤倹力行して成功し、とうとう、その風が大阪中へ拡がって、こすいとか、厚釜《あつかま》しいとか、野暮とか、しみたれとか、いろいろの悪評を蒙るようになったが、これ、田舎者のせいだ、断じて、大阪人は、そうでは無いのである。
百貨店
附、店員心得のこと
私は、大阪のデパートによく入る。着いた日も、行ってみた。私の、愛人(私は、私と交際している女を、皆愛人と呼ぶことにしている。愛している――神聖なる意味に於て、愛しているからである。つまり、愛児と、同じ意味で決して、私を、咎めてはならない)が、牛肉が好きなので(これは、少し、愛人として、色消しであるが)その味噌漬を、送ってやろうと(おお、親切な愛友よ!)してである。
牛肉店は、店を入って左側にある。私は、一番大きい――だが、金五円しかしないのを送ろうとしたら、店員が「品切れです、五円のは」と、云った。「じゃあ、三円のでもいい」(実際、三円のでも大きくて、十円位に見えるのである。愛人への贈物としては、確に、ダイヤの小さいのよりも、甚だ、適当している)「下に送る所がありますから、下へ行って下さい」
私は、その「下」が、何処にあるのか知らないし、三円で、そんな手数のかかるのは、面倒だから、黙って、立去った。店員は、ちらっと、私を見て、黙っていた。
私が、愛人の為に、下へ行くのを、おっくうがったのは愛人に対しても、又、店側に対しても、我儘であるにちがい無い。然し、私から云わせると、私の如き者の為にも、其処で、送り先を聞き、且つ書くべき設備をしても、デパートの恥ではない、と云いたいのである。
私は、しばしば、銀座の店員の店員らしくないことを、雑誌に書いた。実際、彼等は店員としての資格を、半分も備えていない。私は、商業上に於ける大阪商人という名称が、一種の軽蔑と共に、恐れをもって見られているように女給が、東京風のよりも、エロであるように、大阪の店員は、東京よりも、大阪独特らしく、もっと自分の商売に、熱心でありたいと思うのである。仮令《たと》えばかかる場合「すみませんが、御面倒でも、下まで」と云えば、私は、下へ行かんでも無い。又「只今、五円のは品切れになりまして、明日なら出来ます」と、最初に云えば私は「じゃ三円のを二つ」と、云ったかも知れない。これが、商売のこつである。
私は、店員に、馬鹿丁寧な挨拶をしろ、というのでは無い。少くも、一流の店の店員としては、第一に、自分の担当する品物に対する知識をもっている事。第二、既知、未知の客を区別しない事。第三に適当に品物をすすめる事。第四に、客の好みを察しる事――その外、言葉、姿――いろいろとあろうが――それを具備している店員は、どこの都市でも、極めて少い。
私は、外人の店、支那人の店、遠くは、ハルピン(余り遠く無いが)で、買物をしたが、彼等は、悉く日本人に較べて、品物の説明を十分にする。日本の店員の如く、品物を前に出して、黙って、突立ってはいない。手にとれば、必ず説明し、置けば、次のを渡して又説明する。これが、いかに、客と、品物と、その店と、彼とを結びつけるか私は、殆ど、購買力の大半は、客が、その品物への知識と、輿味とをもつ事によって、成立つのだと、信じている。
ある店は、私が、説明を求めても「さあ」と云って、返事ができないし、ある店は質問すると、面倒臭そうに「存じません」と、答える。私は、そういう店で、二度と買わない。私は、よく、高島屋の百選会とか、三越の三彩会とかへ行くが、新聞の流行記事に、今年の流行は何色で、模様は有職風の現代化などと宣伝しているが、店員は、傲然とした貴婦人(大抵おかめが多い)に、御叩頭《おじぎ》をするばかりで、私などの横は、風を切って行くし、時に、一品を買って「この色は、化学染料でなく草木染で出すといいが」とでも、批判すると、もう、返事ができない。
謂いかえると、知識も、熱も、忠実さも無い。だから、私は、そうした会で、少々の流行品を買う外、悉く、主人が一人で、熱心に、研究している家で買う事にしている。値は、デパートより高いが、品物に対する知識を得る事が多いからである。
私は、急激に発達するデパートの店員の悉くが、彼の専門的知識をもっていようとは思わ無いが、知識を十分与えるように努力している店主が幾人あるか、聞きたいのである。叮嚀《ていねい》とか親切とかは、既に古い。少くとも、大阪の商人、店員は、品物への知識、それによる客の知識の開発、これが商売を盛《さかん》にする現代的の傾向である――と私は信じる。
昆布
ある百貨店を出て、私は勿論、その街つづきを歩くのであるが――私の、小さい時から大阪名物の昆布店は増えもせず、減りもしないで健在である。
昆布店は、もしそれが東京にあったなら、恐らくは、増えるか、減るか、したであろう。それは、大阪名物であるが故に、東京人をして、一口に、反感を抱かしめて「汚い、昆布を、しがんでやあがる」と、云わしめたが、もし、その効能を、昆布屋の新人が、宣伝するなら、チューインガムよりも販路が広いかもしれない。
昆布の含むヨードは、乾燥してしまって、何う成っているか、私もそこまで研究しないし、第一、そんな事を研究している人も無いが、その味から云えば、生には及ばないでも、相当量に含有している事は明らかである。
時代おくれの副菜物視され、昆布屋に新人が無いから、昔の菓子昆布とか、塩、揚げ、おぼろ位にしか製品が区別されていないが、もし他の物と一所にしたり、昆布のみで他種の物にしたり、生昆布を売出したりしたなら、その栄養価の十分と、その味とによって、もっと東京への侵入を許すであろう。
ヨードが、含まれているから、青年男女は、性病の治療法の一つとして「昆布ガム」を愛用すべしと。これなら、親爺の前で、しゃぶっても、大丈夫である。宣伝と製法によっては「味の素」が、世界的になったように、昆布の出汁は、十分、西洋料理にも、入りうるようになるであろうし、鰹節よりも「昆布エキス」を重宝するかもしれない。
何故、大阪人が、昆布をもっと宣伝し改良し、発達せしめないか、私が昆布屋なら、確に昆布の応用をもっと、広くしていたであろう。
昆布茶は、少し、腹にたまるがうまい物だし(ヨードは確高血圧にも、よかったと憶えている)。塩昆布は、茶漬として淡白この上無しと、私は愛用している。別に私が、大阪に生れたからでなく、昆布は確にうまい物である。
私の本郷の下宿時代、私の所へ逃げてきた、私の女房(女房になってから、逃げてきたのでなく、逃げてきて、いつの間にか、女房になったのである)が、此奴、昆布好きで、本郷界隈を、隈なく、昆布の為に、歩いて、藪蕎麦《やぶそば》が、天神さんの中にあること、シュークリームが、近くにある事だけを発見して戻ってきた事がある。
今でも、昆布を求めようとすると、見当がつかない。里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]の愛人、お竜さん(これは私の愛人と少し、意味がちがう)が、いつも私が、大阪へ行くと聞いて「昆布を買ってきて」と註文する(尤も、大抵私は忘れて、またと叱られる)。彼女は、江戸っ子であるが、昆布ずきである。多分里見もそうであろう。
食べると、かくの如く、甚だ、忘れっぽい私にさえ、註文する位に、うまい物であるのに、大阪人はこれを、新らしい商売として、東京へ乗出そうとはしない。宣伝と、製法とによって、無限に生産してくる、この海の草は、十分に儲かるであろうと思う。
私は、一つの塩昆布でさえ、甘いの、からいの、淡白《あっさり》したのといろいろの店があって、味のちがうのを知っているが、考えるなら粉末とし、加工し、精を抜いて、もっと、種々の製品が出来るにちがい無い。不景気な時の暇な内に少し研究しておいて、無駄にならんことである。
女給と、料理と、飴以外に、未だまだ大阪特有の品で、販路の拡まるべきものがある。追々それを私は説明して行こう。とにかく私のは谷孫六先生のように、奇才縦横ではないが、相当に金儲け位は知っているのである。
だが、昆布は、少し、高すぎる。シュークリームなら、二円であろう箱が、七八円である。これは、現在の昆布屋が、考えるべき唯一の点で、将来の昆布屋も、考慮すべき所である。昆布は、もっと、安く、もっと拡まるべきものである。「大丸製昆布」それが、日本中に弘まることは、必ずしも、難事ではない。価値のあるものをして正当の価値に扱わしめよ。私は、私の郷土の名産物として、昆布の不遇を、嘆ずるものである。
飛行機
私は、いつものように、飛行機である。東京から、三十円である。マントも帽子も買えない私として、大変高価であるし、人から、贅沢だと、見られているらしい。
だが、飛行機は、二時
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