るのを見ると、もう一度、大阪の非文化性の罪悪さを云わなくてはならなくなってくる。時として、文化は下らないことであるが、時として、文化的指導者のいないことは、興りうべき物をも興らしめないで終ってしまう。
 私は、大阪人の方が、東京人よりも、遥に、朗らかな、特異的な文化を生み出しうると信じているが、大阪の文化人である、池崎忠孝氏とか、岡田幡陽氏とか、新聞社関係の人々は、決して親切では無い。又、例えば、木谷蓬吟氏の義太夫研究にしても、成長して行く大阪には、何の利益も無い。
 こうした町人文化は、都市にはいつも何処にもある。五井蘭州とか、三浦道斎とか、斎部道足とか、村田春汀とか、その町の将来のことには、何の貢献もしないが、金と暇があるから、こつこつ書きためたというような――そんな文化人は、大阪には、必要ではない。
 何うも、私は歩かないで、理窟ばかり云っている。だが、十回位で終るべき、この記事を書くのに歩いて且書いたなら、それは、百回にもなるかもしれないし、一軒の飲食店を書いても、三日位かかるであろう。何うも、歩かないでもよさそうである。第一に、めきめき寒くなってきたではありませんか、皆さん。
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