一軒、空堀に一軒、天満天神裏に一軒、講釈場があった。だが、いつの間にか、大阪から、講談は無くなってしまった。
「玉川およし」「誰ヶ袖音吉」「木津勘助」「難波戦記」「岩見重太郎」「肥後駒下駄」「崇禅寺馬場」といったような、大阪講談種のものは、その内に、忘れ去られてしまうであろう。別に、惜しくも無いが講談というものは新形式に於て、もっと盛んになってもいい。
 花月亭九里丸は、私の小さい時分、彼の親爺と一緒にチンドンチンドン歩いていたのを憶えている。彼等のグループは、私らの家のあった所の崖下、俗称野麦と称した所にいたらしいが、機があったら、私は彼と一緒の高座へ上って「荒木又右衛門」でも弁じてみようと思っている。
 こういうことは、私は、好きらしい。だから、東京では、十年以上も、寄席へは行かぬが、大阪へくると、時々、春団治を聞きに行く。渡辺均君から紹介されて、小春団治のも聞く。愉快でもあり、上手でもある。この挿画を書いている小出楢重君は私と同じ中学であるが(少し、先輩だ)、随筆を書くと、私よりもうまい。都会人らしい、ユーモアが、快く流れていて、聡明で、謙遜で、イギリス風のエッセイとは、又別の味
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