こんなにまで不経済になってきている)と、いうよりもハンドバッグの註文に応じる店が心斎橋には無い。
 こういうことを云っていると、いかにも私はハイカラらしいが、心斎橋を歩いていていつも羨ましいのは、昆布屋である。昆布の価値は、東京人には判らない。チューインガムという阿呆なものより、昆布のヨードの方がどんなにいいか――私の、少年時代、まだ、大阪の橋々の上には、夏の夜店が許されていた。
 その時分の、枇杷《びわ》葉湯、甘酒――それらは昆布と共に、もう一度、民間の飲み物になってもいい。カルピスなんかよりも、枇杷葉湯は、確に、薬効的であり、甘酒はずっと優れた栄養分を含んでいる。私は、飾窓の装飾を弁えていると同時に、甘酒と、枇杷葉湯の価値も知っている。昆布茶のうまさも知っている。つまり、古今東西の価値を認め温故知新の人間である。
 だから、相当に公平であるが、昆布屋と、飴屋と、鮓《すし》屋の外、心斎橋から、道頓堀へかけて、何も感心するものは無い(然し、大阪の女性は、こんな物に感心してはいけない。全く食べ物ばかりに感心することになって、恋人に愛想をつかされるかもしれぬから――)。
 と、いうよりも、
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