らざる所以《ゆえん》だ。

  心斎橋

 私は、大阪へくると、実によく心斎橋を歩く。或は心斎橋以外は歩かない、とも云っていい。だからと云って、心斎橋は決して好きではない。第一に、決して、美人に出逢ったことが無い(こういうと少し女好きらしいが、それ程でも無い。中位であろう)。
 心斎橋も梅田と同じように、田舎町であるにすぎない。ありったけの時計を、モスリンを、ショールを、ごちゃごちゃに陳《なら》べて、電燈を眩しくつけているだけである。
 飾窓を、飾窓らしく意匠を凝らしている店は、何軒あるだろう。安堂寺町角の天賞堂(その外の貴金属商の俗悪さよ)、大丸、しかん香が既に、ごたごたしすぎていて、一見して、通行人の注意を惹くという、飾窓本来の意味を弁えていない。表に面しているから、その中へ陳《なら》べておいたら見るだろう。買いたい奴なら、覗いて選るだろう――それ以上の注意をしていない。だから、一枚千二百円の、大きい硝子《ガラス》窓など、心斎橋商人の吝《しみ》ったれには、恐らく、その価値が判るまい。飾窓の意義と、窓硝子の価値を知らないで、近代都市の小売商になるなど、田舎であればこそである。デパート
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