底の知れないフランス人であった。そしてフランス人の智能と来ては、また特別なもので、実際まざりけのないものなのだ。彼は『思考する機械』ではなかった。なぜなら、その言葉は近代宿命論の、また唯物論の無思慮な適用であるからだ。機械はどこまで行っても機械にちがいない。それは思考することは出来ないのだ。だが彼は思考する人間だ、しかも同時に平凡な人間だ。だから彼の驚くべき成功は、うわべはほんのあてずっぽうのように見えても、実はフランス人の明晰な、しかし平凡な思想によって、こつこつと論理を積み重ねて成ったものであった。フランス人は逆説を用いて世間を恐愕《きょうがく》はさせない。彼等は真理を明るみに出すことによって世間を恐嘆せしめるのだ。彼等は――フランス革命の時におけるように、――真理を持ち出す。だが、ヴァランタンは理性を正しく知っているために、理性の限界をも理解しているのだ。発動機について何も知らない人に限って、揮発油なしに発動機を動かすことを論ずるのだ。また、理性について何も知らない人に限って、強力な、何物にも負けない第一原理なしに、理性について論ずるのだ。今の場合、彼はこの強力な第一原理を持って
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