の忠臣、相馬大作を討取るなんて、高師直《こうのもろなお》みたいな野郎じゃ御座んせんか」
「そうだのう。たった一人で、津軽二十七万石を向うへ廻しての大働きだ。俺あ、当節、贔屓《ひいき》にしているのは、一に大作、二に梅幸」
「三に横丁の子守っ子さ」
「誰だ、誰だ、こっちい出て来い。面あ出せ、面を」
「御覧に入れるような面じゃねえんで――」
「政公か、こん畜生――何んしろ、やることが、気に入ったね、大砲を山へもち込んで、だだあん」
「こら、耳のはたで、びっくりすらあな。ほら、女湯で、子供が泣き出したわな」
「ばばばあーん、これぞ、真田の張抜筒」
右源太は、光の届かぬ、湯の中の隅へ入って
(南部だけでなく、江戸にも、人気があるらしいが――もし、江戸へでも、現れたなら)
と、心臓を固くして、額の汗を拭いていた。人々は
「大作のお師匠さんの、平山行蔵ってのは妙な仙人だが――」
「大作って先生も、近頃の世間の奴らは、遊びにすぎて、といい出すと、うるさいって、村山の若旦那も仰しゃってたけれどもが、俺ら理窟抜きに好きだわな。芝居ですると、団十郎だ」
「芝居でも、船の底へもぐるなんざ出来やしめえ。俺ら、明日から一つ、贔屓《ひいき》にして――墓は、何処だろうな。一つ万燈を立てて、町内で、お参りしようじゃねえか。こんなお墓の石をもっていると、女の子に振られねえぜ。政公なんざ、石塔ぐるみ、背負ってるといいや」
「へん、背負っているのは、女の子だ」
「何を、借金と灸《きゅう》のあととだろう」
「一体、何んて野郎が、大作を討ったのだい」
「さあな、聞いてたが忘れたが――」
「そいつの邸へ、犬の糞を、投込んでやろうじゃねえか。ねえ、お侍さん、御存知じゃありませんか――おや、いねえぜ、二本棒あ」
「何んじゃ」
「うわあ、お出なさいまし、今晩は?」
右源太は、頭から手拭をかぶって
「熱い熱い」
と、いいながら、出て行ってしまった。
二十
「羨ましいな、右源太。当節、百石の加増など、一生かかっても、有りつけんぞ」
玄関際の、詰所――小さい庭から、差込む明りだけで、薄暗くて、冷たい、部屋の中で朋輩の一人がいった。
「そうでも無い」
右源太は、扇子を、膝へ立てて、羽目板へ凭《もた》れて、微笑していた。
「まず、重役に妾の世話をするか――己の娘を、差上げるか、そんな例は多いが、これこそ、槍先の功名に等しいからのう」
「然し、町人共は、よく申さぬな」
と、一人が、口を出した。
「平山行蔵を始めとして、あの門下一党は、世の中を、罵倒して、上役人の無為無能、下人民の奢侈、怠惰を口汚く申しておるが、江戸っ子はおもしろいものだ、そんなことは、蛙の面に水、大作を、役者に見立ててこの狂言大当りなどと、二枚画を出して、叱られた双紙屋さえあると申すのう」
「そうらしい」
と、右源太は頷いた。そして
「武士の作法で討つなら仕方があるまい」
といった。
「ところが――右源太」
と一人が、声を低くして
「大作が、もう一人いると申すでは無いか」
「ええ?」
「見かけたという奴が、確《たしか》に、相馬大作で、然も、平山子龍の邸から出てくるのを見たというが、何うもおかしいの。討たれた奴が白昼出るのは?」
右源太は、黙っていた。そして
(本当だ)
と、思った。
(戻ってきているのかもしれぬ。然し、大手を振っては歩きはすまい。二度と、人に顔を見られるようなことはすまい。そんなことをしたなら、身の破滅だからな――俺は、何処までも、そいつは、他人の空似だと頑張っておればいい。もし、本物と判ったなら――その時は、その時だ)
「妙でないか」
一人が、右源太の顔を見た。
「他人の空似ということがあるからの」
「それはそうだ」
「然し、その男は、確に、大作だと申しておったが――」
「証拠でもあるか?」
「ちらと見ただけだが――」
「はははは」
右源太は、おっかぶせるように笑った。そして
「そんな話より、岡場所のことでも、話そうでは無いか、何んなら、今夜一つ奢ろうかの」
「結構、一つ、あやかりに――」
「又もや、御意の変らぬ内、拙者一足先へ参っておるとしようか」
と、一人が片膝を立てた。
二十一
だあーん――それは、その近くに住む人が、生れて以来、聞いたことの無い音であった。その近くで、その音を立てたなら、死罪に処さるべき、鉄砲の音であった。
(鉄砲だ)
と人々は、ぎょっとすると共に、窓を開けたり、跣足のまま走って出たり――往来の人々は、音のする方を眺めて――新らしい橋の橋外の柳の木の辺に、行列の人数の乱れているのを見ると共に――小僧は徳利を小脇にかかえて、溝沿いに、恐る恐る走ると、侍は刀を押えて、町人は顔色を変えて、走り出した。
人の騒ぐ姿、罵る者、橋外へ
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