三人の相馬大作
直木三十五

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)早《は》や

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)黒|縮緬《ちりめん》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》
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    一

「何うも早《は》や――いや早や、さて早や、おさて早や、早野勘平、早駕《はやかご》で、早や差しかかる御城口――」
 お終いの方は、義太夫節の口調になって、首を振りながら
「何うも、早や、奥州の食物の拙《まず》いのには参るて」
 赤湯へ入ろうとする街道筋であったが、人通りが少かった。侍は、こう独り言をいいながら
「早や、暮れかかる入相《いりあい》の」
 と、口吟《くちずさ》んで、もう一度、首を振ってみたが、村の入口に、人々の――旅の、客引女らしいのが立っているのを見ると、侍らしくなって歩き出した。
 少し、襟垢がついていて、旅疲れを思わせる着物であるが、平島羽二重《ひらしまはぶたえ》の濃紫紺、黒|縮緬《ちりめん》の羽織に、絹の脚絆《きゃはん》をつけていた。
「お泊りなら、すずかなお離れが、空いてるよう」
「お武家|衆《す》様、泊るなら、こっちへ」
 女が口々に呼びながら、小走りに、近づいたが、さすがに、商人にするように、袖を掴まなかった。
「ええ、お娘子《ぼこ》を取りもつで。江戸のお武家衆や」
 侍は笑って
「江戸と、何うして、判るか」
「ええ、身なりがに――さ、寄って、泊って行かっせ」
 勇敢な一人が、羽織をつかんだ。
「お湯も、けれえだから」
「よし、泊ってつかわそう」
「そりゃまあ」
 女は、先に立って
「泊りだよう」
 と、叫んだ。番頭が上り口へ手を突いて、お叩頭《じぎ》[#ルビの「じぎ」は底本では「じき」]をした。
「厄介になるぞ、何程かの」
「へい、二十五文が、定ぎめで御座ります」
「よかろう」
「手前は、浪花講で御座ります、へい、おすすぎーッ」
「ひゃあーッ」

    二

 浪宿の慣らわしとして、三人の相客があった。侍は、床の間を背にして、固い褞衣《どてら》の中から、白い手を出して、煙草を喫いつつ
「南町奉行附、直参、じゃが、ちと、望みがあっての」
「南町奉行附と申しますと――え、何かお召捕用で?」
「ま、そんなところだの」
 廊下に、足音が聞えると、障子が、開いて十二、三の女の子が、三人
 おばあ子、来るかやあと
 鎮守《つんず》の外んずれまで
 出てみたば
 と、叫んで、踊りながら、入ってきた。
「うるさい。もうええ」
 客の一人が手を振った。
 おばこ来もせで相馬の大作なんぞいかめ面《つら》。
「出てくれ」
 と、一人が、一文銭を、抛出《ほうりだ》した。女の子は、次の部屋へ唄って行った。
「ほほう、相馬大作なんぞ、この辺で、唄になっているのかのう」
「ええ、えらい人気で、御座りましてな」
「何時時分に、何《ど》の辺に、おろうな、聞かんかの」
「一向に」
「わしは、その大作を追うているが――」
「貴下《あなた》様が――へえ、そいつは、うっかり、踏込めませんぜ。宿で、泊めないなんてことが御座いますからの」
「何故」
「いえ、大作様を、生神様のように思っている奴がおりましてな」
「なるほど」
「それで、あんな唄まで、出来ましたが、旦那様、うっかりなさらんように――」
「忝《かたじけ》ない」
 侍は、腕組をした。
「何《ど》れ、もう、一風呂浴びてきて、寝ましょうかの」
 一人が立上った。侍は、頷《うなず》いただけであった。

    三

「遅う御座いますな」
「遅い」
 二人の潜んでいる草叢《くさむら》の草は、二人の頭を隠すくらいに茂っていた。そして、その上には陽の光さえ、洩らさないような梢と、葉とが、おおいかぶさっていたし、二人の周囲には、そうした大木が、一杯に並んでいた。
 二人の横には、木の株を枕にして、大砲が置かれていた。筒口は、下を向いていて、その筒口の見当には、街道が、白く走っていた。
(この一発が、天下の眠りを醒《さ》ますのだ。ただ、南部の為に、津軽を討つというのではない。一つは、その為だが、二つには、領民のために、三つには、武士道のために――奢《おご》っている天下の人心を醒まして、ここに、真個《ほんとう》の武士あることを知らせるのだ)
 関良輔は、そう考えて
「吃驚《びっくり》しましょうな」
「ふむ」
 と、大作は、答えて、火薬の油紙包を、掌の上で、いじっていた。
「供侍のみでなく、天下が――」
「さあ――」
「先生も、お喜びなされましょう」
 大作は、答えなかった。良輔も、黙ってしまった。
 街道には
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